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2019-04-19

花のかんむり

ときどき、脳裏に浮かぶ光景がある。

あれはきっと、お姉さまの入内の日の前日のことだ。
帝への輿入れの準備で、邸内は大わらわだった。
まだ六歳だった私がいなくなったことに、誰も気づかなかったくらい。
私がいなくなったことに気づいた邸の女房たちは大慌てで私を探していたらしい。
そんなことになっているとはつゆ知らず、夕暮れどきになって私は自邸に戻った。
お姉さまの姿を見つけて、一心不乱に駆け出す。
一番上の姉である定子お姉さまは、湯浴みを済ませ、翌日に着る衣裳に身を包んでいた。
予行練習のようなものをしていたのだろう。
「お姉さま!」
「四の君、どうしたの、そんなに泥だらけになって」
私は近くの山林で、花を摘んでいた。
お姉さまに花で作ったかんむりを渡したくて。
私の手の中にある花かんむりを見たお姉さまは、こう言った。
「私のために作ってくれたの?」
少し小首を傾げて。
そのさまは本当に可憐で、ため息が出るくらい美しかった。
「うん。だってお姉さまは、帝のお后になるのでしょう?」
そのようすを聞いていた父が、豪快に笑う。
「そうだとも。お前のお姉さんは、帝のお后になるんだ。だからお前は、帝の義理の妹にもなるんだよ」
私は目を輝かせた。
「あなた、そんな気の早い……」
母は少し困ったような顔をして父をたしなめる。
それをかわして、父は私にこう言った。
「そうと決まったら、お前にはお仕置きをしないとな。帝の義妹が、そんなにお転婆ではいけない。黙って邸を抜け出すなんて、もってのほかだ」
父が私のお尻を撲とうとする。
それを母と姉が慌てて止める。
「あなた!」
「お父さま」
気を取り直すかのように、姉は私に向かってこう言った。
「その花かんむり、私にかぶせてくれる?」
お姉さまが身体を少しかがませる。
「一の君様、髪が汚れてしまいます!」
古参の女房が大きな声を出す。
「いいのよ」
私はお姉さまの言葉がうれしくて、自分の作った花かんむりを、お姉さまの頭にかぶせた。
お姉さまは満足げな表情をした後で、私ににっこりと微笑みかけた。
そして花かんむりを外して、私の頭にかぶせた。
「私よりも、あなたの方がこのかんむりは似合うわ」
私は不思議な顔をしていた、と思う。
「あなたがもっと大きくなったら、いつでも後宮にいらっしゃい。一緒に花遊びをしましょう」
私は首を縦に振ってこくこくと頷いた。
「こうきゅう」がどんなところかもわからないのに。

次の日のお姉さまは、この上なく美しくて、この世のものだとも思われなかった。


あれから、何年、何十年という月日が流れただろう。
お姉さまは帝に愛され、兄弟たちもまた引き立てられた。
全てが一転したのは、父の死だった。
飲水病で、お姉さまが皇子を産むのを見届ける前に逝ってしまった。
残された兄たちは、長徳の変を起こして貴族社会の秩序を乱した。
検非違使から逃げ回り、あろうことかお姉さまの御所に匿ってもらったという。
お姉さまは必死で兄たちを守ろうとしたけれど、その甲斐なく検非違使たちはお姉さまの御所に突入した。
そのどさくさの中で、お姉さまは自ら髪を切ったのだという。
兄たちを守るためだったのか、衝動に駆られてのことだったのか、今となってはわからない。
お姉さまは、身ごもっていたというのに。
私は今も兄たちの浅慮が許せないでいる。
たとえお姉さまが許すとしても。

父という後見を失い、兄弟が不始末を起こした結果、お姉さまは帝の愛だけに縋って生きなければならなくなった。
帝はお姉さまのことをこの上なく慈しんでくれたけれど、帝であるがゆえにままならないことも多くあった。
政治のことなどまるでわからない私は、正直にいって歯がゆくて仕方なかった。

やがてお姉さまは三人目の子を産んだ後に、この世から儚く去ってしまった。
当時私はお姉さま付きの女官だった。
それもあって、お姉さまの子どもたちのことを託された。
お姉さまからそう言われなくても、私はもちろん面倒を見るつもりだった。

今でも思い出す。
お姉さまが私にかけてくれた言葉を。
「道子。あなたには本当に苦労をかけてしまってごめんなさい。世が世なら、あなただって高貴な人の妻となっていたでしょうに」
「そんなことを仰らないでください。お姉さまのお傍にいることが、私の幸せなのですから」
お姉さまが涙ぐむ。
妹を不憫に思って、だろうか。

別に私は自分のことを不幸だとは思っていなかった。
ただ、お姉さまが不幸になっていくのを見るのだけは辛かった。

子どもたちの世話をしているうちに、私は帝の目にとまったようだった。
帝はきっと、私にお姉さまの姿を重ねておられるのだろう。
誰が見ても、そうだと思う。

帝の愛を拒むことは、許されない。
それがこの世の理(ことわり)だ。
けれど私は、お姉さまのことを思うと帝の愛を受け入れる気にはなれなかった。
だから、言葉を尽くして帝の求愛を拒もうとした。
けれど悲痛な面持ちで、懇願するように私の手を取る帝を、突き放すことはどうしても出来なかった。
これは愛ではない、同情だ。
帝のためではない、お姉さまのためだ。
だってお姉さまの愛した人を、これ以上悲しませるわけにはいかないから。
そう自分自身に言い訳をして、私は帝の愛を受け入れた。
やがて私は身ごもり、守り刀に、と剣をいただいた。
そのとき、胸の内にほんの少しだけ暖かいものが灯った。
横になりながら、いただいた剣をじっと見つめる。

あの世にいるお姉さまは、今の私をどんな風に見ているのだろう。
愛する人の心を慰めてくれたと、喜んでくれているだろうか。
それとも、愛を誓った人の心変わりを悲しんでいるだろうか。

お姉さまのことはさておき、私自身はどうなのだろう。
兄たちは、私が皇子を産むことを期待して、帝の寵愛を喜ばしいものと受け止めているようだけれど。

帝の温かな手。
優しいまなざし。
でもそれはきっと、私に向けられたものではない。
そう思うと、なんだか悔しいような、切ないような気持ちになってしまう。
少しばかりではあっても、私自身もまた帝を愛しんでいると言うことなのだろうか。
わからない。

そのうちに私は、病がちになった。
帝からはしきりにお手紙が届けられた。
「気をしっかり持って」
「身体を大事に」
急いで書いたと思われる、走り書きの文字。
形式ばっていないその文(ふみ)が、私にはうれしかった。
これが、人を愛しく思う気持ちなのだろうか。
やはりわからない。
もしかしたら、わかろうとすることを拒んでいるのかもしれない。

病が重くなり、これが最期というとき、私の頬に涙がひとしずく流れた。


お姉さま、ごめんなさい。
あなたの愛する人を、わたしはきっとまた哀しませてしまう。

不出来な妹を、どうか許して。



藤原道子。
世間でいうところの御匣殿は、子を産まぬまま息絶えた。
帝や伊周・隆家たち兄弟の悲嘆はすさまじかった。


*****

御匣殿の名前は不明なのですが、小説にする上で「道子」という名前をつけました。

*****

   参考文献
倉本一宏 藤原行成「権記」(中) 講談社 2012
山中裕・秋山虔・池田尚隆・福長進(校注・訳) 栄花物語 小学館  1998
山本淳子 源氏物語の時代ー一条天皇と后たちの物語ー 朝日新聞出版 2007
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2019-03-17

昔と、今と

Ryuさんにささぐ

寛弘二年(1005年)十一月十三日。

今上の第一皇子敦康親王の読書始が行われた。
場所は中宮彰子の御在所である飛香舎(ひぎょうしゃ)だ。

侍読の式部権大夫大江匡衝が「御注孝経(ぎょちゅうこうきょう)」を読み、尚復(しょうふく、助手のようなもの)がそれを復唱する。
敦康親王は、背筋を伸ばしてじっと聞き入っていた。
そのようすは六歳とは思えないほど立派であった。
今上の子供時代を彷彿とさせると、行成は感じた。
儀式が始まってしばらくした頃、どこからか音が聞こえた。
左大臣(道長)以下、集まっていた殿上人たちが皆一斉にその方向を見る。
なんと、今上が几帳の端からこの儀式をご覧になっていたのだ。
音は几帳が少し動いた音だったらしい。
見つかった今上はばつの悪そうな顔をしていた。
そして何かをごまかすかのように、コホンと咳払いをした。
「いや、その……。うまくやれているか気になってしまってね」
今上はこう弁明する。
「父子の道は自然にして来たるところであり、その関わりは君臣の義に同じ。孔子もこう言っていただろう。だから親が子を心配するのはどうしようもないことなのだ」
するとそれを聞いていた敦康親王が、こう言った。
「孝子の親に事(つか)えるや、父母居らばこれを敬し、父母を養えばその心に叶い、父母病めばこれを憂い、父母死さばこれを哀しみ、父母を祭祀せば厳にして安んず。 故にこの五者を備えてはじめて、その親に事えるという。これも孝経の一説です。私はこのような気持ちで父に報いたいと思います」
そのさまは溌剌としていて、実に堂々たるものだった。
並み居る殿上人たちは、皆感心していた。
「なんて末頼もしい」
「さすが今上の皇子」
皆が口々にささやく。
今上はその言葉に満足し、几帳を取り払わさせた。

その後、詩の献上や管弦の興があった。
人々は口々に敦康親王を褒め称えた。
左大臣だけが、少し複雑そうな顔をしていた。


寛弘七年(1010年)七月十七日。
この日は敦康親王の元服の議が行われる日だった。
親王は十一歳。
顔はまだあどけないが、背がだいぶ高い。
やはり今上の若い頃に似ている、と行成は再認識した。
儀式のようすは、本当に立派なものだった。
数年前の読書始を思い起こさせるが、あの時と今とで、大きく変わったことがある。
中宮に皇子が生まれたのだ。
それも男皇子が二人。
そのためか、あのころに比べると殿上人たちの熱心さが違う、と感じられる。
私の気のせいかもしれないし、そうであってもほしいのだが。
儀式が終わると、敦康親王は真っ先に中宮のもとへと向かったらしい。
他の殿上人の思惑がどうであれ、二人の関係は変わらなさそうだ。
行成はほっと胸をなでおろす。
そのとき、今上に声をかけられた。
「左大弁」
行成は突然声をかけられてびっくりする。
「驚かせて悪かったね」
今上が笑う。
親子なだけあって敦康親王とそっくりだ、と行成は思った。
「昔と今とで、変わらないのはそなたと中宮だけだな」
「……」
今上ははっきりとは言わなかったが、行成にはすぐにわかった。
敦康親王に対する態度、だ。
「とはいえ、無事儀式が終えられてよかった」
「そうですね。中宮さまにおかれましては、本当にご立派なことです。生さぬ仲の子供を、ここまで慈しむことが出来るだなんて」
「これ、誰が聞いているかもわからないのだぞ」
今上が辺りを見回す。
だが、行成はさらに続けてこう言った。
「中宮さまに、先ほどおっしゃったことを直に伝えられてはいかがですか」
「ふむ」
今上は考え込む表情をした。
「出過ぎたことを言いました。申し訳ありません」
「いや、そうだな。ありがとう。中宮には感謝しないとな」
今上はそう言って行成から離れ、中宮の御在所に向かった。

「中宮と敦康はいるか」
今上が御在所の御簾を上げる。
「今上! そんな先払いもなしに」
女房たちは慌てふためく。
「気にしなくてよい。少し二人の顔を見たくなっただけだ。すぐに行くよ」
見れば、彰子が敦康に何やら贈り物をしている。
「それはなんだね?」
「野太刀と、横笛ですわ」
彰子が答える。
今上の表情は満足そうだ。
「立派な帝になってほしいという気持ちを込めて贈りましたの。あなたさまのような、立派な帝に」
「そうかね」
今上の表情が少し曇る。
それが実現できるかは、まだ不透明だからだ。
敦康は、儀式の疲れが出たのか、少し眠そうにしていた。
「疲れたの? 休んで来たら」
彰子が敦康に声をかける。
「はい、そうします」
敦康は彰子には心を許しているらしい。
素直に応じた。
どこからみても、そのようすは親子だった。
敦康が出て行くと、今上は開口一番こういった。
「中宮。ありがとう」
「なんですか? 突然」
彰子が笑う。
「敦康を実の息子のように慈しんでくれて。私は果報者だ」
「そんなの、当り前ですわ」
「当たり前?」
「だって敦康は、私にとっても息子ですもの」
彰子は一呼吸置き、今上の目を見る。
「あなたが私を見てくれなかったとき、支えてくれたのが敦康でした。あの子の無垢な愛情が、私をここにとどまらせてくれたのです」
「とどまらせた?」
「私は最高権力者である父の娘であり、あなたさまの中宮です。でも、それでも私は心細かった。自分がここにいてもいいのか、ずっと不安だった。それを慰めてくれたのが、幼い敦康だったのです」
「それは申し訳なかった。だが私は……」
今上の言葉を、彰子は遮る。
「いいんです。今は違いますから」
彰子が微笑む。
一点の曇りもない笑顔だ。
「あなたには、かなわないね」
今上がそういうと、彰子はふふっと笑った。

行成はその日の翌日に今上から御礼と、昨日の出来事を伝えられたのであった。

 
参考文献
倉本一宏 藤原行成「権記」(上)(中)(下) 講談社 2011~2012
倉本一宏 藤原道長「御堂関白記」(上)(中)(下) 講談社 2009
倉本一宏 現代語訳「小右記」1~7 吉川弘文館 2015~2018
角田文衛(監)平安時代史事典(上)(下) 角川学芸出版 2012
保坂弘司  「大鏡」全現代語訳 講談社 1981
山中裕・秋山虔・池田尚隆・福長進(校注・訳) 栄花物語 小学館  1998
山本淳子 源氏物語の時代ー一条天皇と后たちの物語ー 朝日新聞出版 2007

   参考サイト
古記録データベース
https://t.co/ZPo9g9DG0G

孝経については「ぷらっとさんぽ」さまのを引用しました。

古記録データベースがとても役に立ちました。
ただ、「敦康」で検索すると、思ったより記事が少なくてびっくりしました。
式部卿などでも検索したのですが、それでも少なく感じられました。
何か別の呼び方があるんでしょうかね?
私はとても使いこなせませんが、使いこなせる人ならいろんなやり方、遊び方、があると思います。
この時代の創作をしている人なら、使わないのは損ですよ!
2019-02-24

賞に入選しました

集英社コバルト文庫の投稿企画「平安小説賞」に入選しました。

http://cobalt.shueisha.co.jp/contents/heian_novel_result/

とてもうれしいです(*^_^*)

小説を投稿し始めて十年近く経つのですが、書いてきて本当に良かったなあと思いました。

今後は、コバルト系の賞に重点を置いて公募用の小説を書きます。

「はじめての夜小説賞」向けの原稿は書き終わりまして、今寝かせているところです。

それと2020年1月締め切りのノベル大賞にも1~2本小説を出したいです。


本格的なデビュー目指して頑張ります!
2018-12-28

破戒僧の悔恨

葉つきみかんさんにささぐ

先にこちらをお読みくださいませ。
「破戒僧と一輪の菫」
http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-267.html


木漏れ日が降り注ぐ、春の日。
澄憲は邸の裏手で、菫が咲いているのを見つけた。
菫はあの女性を思い起こさせる。
澄憲は一本一本丁寧に菫を摘んだ。

「菫が満開でした。どうです? 綺麗でしょう」
澄憲が高松女院に菫の花束を差し出す。
「可憐なあなたさまに、ぴったりの花だと思いましてね」
澄憲が少年のような顔をして、屈託なく笑う。
「まあ、そんな小さい花を持ってきて。花といえば桜か牡丹でしょうに」
側近の女房である丹波が口を挟む。
「おやめなさい」
女院がとがめる。
「私のためにとってきてくれたのですね。うれしい」
目に涙をためて女院は呟く。
澄憲は満面で笑みを浮かべた。
(こんな花で喜ぶのか。随分とちょろいものだなあ)
内心ではこう思っていたのだが。
女院を落とすからには、螺鈿細工の筥や、金銀の扇が必要にもなるかもしれないと覚悟していたが、どうもそうではないらしい。
澄憲は拍子抜けしていた。
それでも気を取り直して、こんなことを言う。
「菫の根の方には甘い蜜が隠れているのですよ。なめてみてください」
「こうですか?」
女院が菫の根を吸い始める。
「そうです、そうです」
澄憲も女院と同じように花の蜜を吸い始める。
「甘いですね」
澄憲が熱っぽい目で女院を見つめる。
「まるであなたのようだ」
「まあ、そんな」
女院は視線を斜めに落とした。
照れているようだ。
澄憲が女院の頬に手をやる。
唇をなぞった後で指を口の中に差し入れる。
女院は指を甘噛みして、ささやかな抵抗をする。
二人は見つめ合い、やがて女院は前方に崩れ落ちた。
澄憲がその身をかき抱く。
丹波は澄憲の大胆さに呆れながらも、他の女房たちに下がるように指示した。
(女院さまが幸せならば、私は何も言えない)
丹波の胸中は複雑だった。
僧でありながら妻妾のたくさんいる澄憲が、女院に本気だとはとても思えなかったのだ。
(でも、偽りの心であってもそれで女院さまが幸せを感じることが出来るのなら、それでいいのかもしれない
今までが不幸すぎたのだもの)

高松女院は帝の中宮でありながら、夫である二条天皇にほとんど顧みられることのなかった女性であった。
二条天皇にしてみれば、敵意を抱いていた二代前の帝・近衛天皇の妹である高松女院には、どうしても愛情が向かなかったのかもしれない。
だが、だからといって前の天皇の后を再入内までさせて自分のそばに置くというのは、酷であろう。
しかもその天皇が他でもない近衛天皇、ともなれば、女院が煩悶するのも無理はない。
丹波は女院の側にありながら、何も出来ない自分が歯がゆかった。
そこに現れたのが女院の護持僧である澄憲だった。
いけ好かない男ではあるが、説法には目を見張るものがある。
女の扱いにも。
丹波は二人のことを黙認していたが、澄憲と女院の逢引きを止めるべきだったのでは、と後悔することもあった。
(露見することがないといいのだけれど。いいえ、私が露見させないわ)
丹波は一人気を引き締めるのだった。

二人の間は露見することはなかった。
いや、事実を言えば、露見する前に終わった。
二人の関係が絶えたのではない。
高松女院が亡くなったのだ。

女院は澄憲との間の二人目の子を身ごもっていたが、病をえて床についていた。
澄憲は女院の死に立ち会った。
しどろもどろしている澄憲を丹波が叱責し、立ち会わせた。
女院の死に様は、澄憲の魂を揺すぶった。
澄憲は女を「個」としてみない男だった。
女を等しく愛するが、その実誰も愛していないような、女の目に映った自分を愛するような、そんな男だった。
それを、女院が変えた。
自らの死と引き換えにして。

澄憲は女院との約束を守り、女院との間に生まれた子を寺で拾ったと偽って自分のそばに置いた。
海恵と名付けたその子供が物心つく頃に、隠し通すのが辛くなり、自分は本当の父親だ、と打ち明けた。
海恵は屈託のない顔で、「そうだと思っていました」と澄憲に笑いかけた。
口元に、高松女院の面影があった。
澄憲は涙した。
その日以来、二人きりのときだけは澄憲と海恵は親子でいることが出来た。

「父上。私の母上は、どんな人だったのですか?」
海恵が尋ねる。
「可憐で、愛らしくて、とても純粋なひとだった」
「じゅんすい?」
「お前にはまだ難しいか。そうだな、菫の花に感動できるひと、のことかな」
澄憲は菫の花束を持って行ったことを思いだしていた。
(僧侶であった私より、あの御方の方がよっぽど真摯に生きていた。あのひとは、真水のような純粋な魂の持ち主だった。私のような濁り水が合わさってしまって誠に申し訳が立たない)
澄憲の頬に、水が一滴流れた。
それを海恵が小さな手で拭おうとする。
それが愛らしくて、澄憲はまた涙を流す。
(いつか償えるだろうか。邪な気持ちであの御方に接してしまったことを。
いつか許せるだろうか。あの御方を救った気持ちになっていた、浅はかな自分を)
「父上?」
海恵が心配そうに澄憲を見ていた。
「ごめんよ。なんでもないんだ」
(それでも、今はこの小さな存在を守り、慈しみ育てることが、私の役目なのだ。償いや謝罪は、後回しだ。たとえそれに何年、何十年かかろうとも、私はあきらめない)

日が陰ろうという頃、粗末な寺の裏手に二つの小さな影があった。
その影は寄り添うように重なって一つになり、やがて消えた。
夜は全てを隠してくれる。
男の思い出も、涙も、子の苦しみも。
2018-11-16

本元(ほんもと)長谷雄草子

ツイッターの紀長谷雄さんにささぐ

平安時代初期。
ある日の朱雀門の一角。

「長谷雄ー」
大江千里は紀長谷雄の姿をみとめると、手をぶんぶん振り回す動作をした。
ここにいるぞ、ということであろう。
「そんなに大仰にしなくてもわかるよ。恥ずかしいな」
長谷雄は困り顔だ。
「そんなこと言ったって、君は本を読みながら歩くから、私に気づかないことも多いじゃないか」
「今日は読んでないだろ」
「それもそうか。ついいつものくせで」
千里は頭をかいた。
「やれやれ」
長谷雄は小さくため息をつく。
「しっ」
千里が口元で人差し指を立てて囁く。
「なんだ?」
「また来てるぞ」
千里の視線の先には、門の柱の下で佇む女の姿があった。
「誰かを待っているのかな」
千里が小声で話す。
「こんな早朝にいつもいるなんて、幽霊なんじゃないのか」
長谷雄の返事はつれない。
「そうかな。確かに幽霊みたいに肌は白いけれど。綺麗な人だよな」
「そうか?」
長谷雄がそっと目を凝らすと、女はかすかにほほ笑んだ、かのように見えた。
「あれ、私に微笑みかけてくれたのかな」
千里の声は弾んでいる。
「気のせいだろ?」
長谷雄は動揺を隠しながら、努めて冷静に言う。
「いや、あれは絶対私に微笑みかけてくれたんだって」
「いやいや、お前の勘違いだよ」
「なにをーー? はっ、さては君もあの女の人のことが気になるんだな」
「そっ、そそんなことないよ」
「狼狽してるーー」
千里がにやつく。
「よし、なら勝負をしないか。勝負に勝った方があの女性をものにする権利が与えられる」
「勝負?」
千里の思わぬ発言に、長谷雄が聞き返す。
「あの女性に話しかけるのを、何日我慢できるか、だ」
「そんなことしたら、二人していつまでも話しかけられないじゃないか」
「上限を設定するんだよ。そうだな、百日間にしよう。百日二人とも我慢出来たら、そのときは今度の試験の結果で勝敗を決めるんだ」
「なるほど。それはいいかもしれないな」
長谷雄がうなずく。
「さて、もうこんな時間だ。朝日が昇ろうとしてしまっている。走るよ」
「お、おう」
二人は駆け始めた。

長谷雄と千里は文章生である。
家が近いこともあり、毎朝一緒に大学寮に通っていた。
朱雀門は、その途中にある門であった。

長谷雄はその日、朝の女のことをずっと考えていた。
(あれは絶対に私に微笑みかけてくれたんだ。
きっとあの女性は私に気があるんだ。
艶やかな黒髪の、美しい女性だった。
なぜ、あんなところに毎日立っているんだろう)
長谷尾は悶々とした。
それは一か月、二か月が過ぎても変わらなかった。
そしてとうとう二か月半ほど、八十日が過ぎて長谷雄は女に話しかけた。
我慢が出来なくなったのだ。
「どうして、こんなところに佇んでいるのですか?」
「人を、探しているのです」
「人を? どんな人です?」
「優しくて、頼りがいがありそうで、上背(うわぜい)の高い、そうあなたさまのような」
そう言って女は上目遣いで長谷雄を見た。
そしてそのままにっこりと微笑んだ。
まだ若い長谷雄は気恥ずかしくなってしまい、顔をそむける。
「そんな人は、どこにでもいます」
「そうかもしれません。でも私に話しかけてくれたのは、あなただけです」
一瞬千里の顔が頭をよぎった。
今日は早くに行くから、と昨日伝えておいた。
「ここではなんですから、私の家へ行きませんか?」
「えっ……」
「おいしい唐菓子があるのです。ねっ?」
長谷雄は大学寮のことも忘れて女についていった。

女に案内されて着いたのは、あばら家だった。
家は傾いていて、庭は荒れ放題である。
あばら家の中に入ると、長谷雄は女を抱き寄せ、押し倒した。
「あら、私そんなつもりじゃ……」
女はそう言いかけたが、長谷雄の耳には入ってこなかった。
長谷雄は夢のようだ、と思った。

長谷雄はしばらくのあいだ女のもとに足しげく通っていたが、次第に足が遠のき始めた。
女体に溺れていたのが冷めてきた、というのもあるが、女が結婚の話を持ち出すようにもなってきたのだ。
「私は文章生の身。結婚なんてとても」
と言っても女は聞かない。
はじめはそれとなくだったが、この頃でははっきりと口に出して言うようになってきた。
長谷雄は次第にうっとうしくなってしまい、女のもとに通うのをやめた。

しばらくしてから、長谷雄は千里に怒られた。
どこからか、女と長谷雄のことを聞いたらしい。
「悪かったよ」
「勝負に負けたのに、褒美だけもらうような真似をして。ずるいにもほどがあるぞ」
千里は眉をつり上げている。
「悪かったって。しかしあれだな。抱く前はこんなに尊い女はいない、と思えたのに、抱いてしまったらそんな思いは徐々に薄れていってしまった。生身の女ってのは、そんなもんなのかな。なんだか空しいよ」
「百日間我慢すれば、また違ったんじゃないか? 神聖な気持ちをずっと保つことが出来たかもしれんよ」
「そこまで計算していたのか?」
「まさか! 区切りの良い数字だから百日と言っただけだよ」
「そうだよな」
長谷雄が笑った。


数年後。
長谷雄は同年ながら素晴らしい才を持つ菅原道真の門下に入り、学問を究めていた。
和歌に精を出すようになった千里とは、次第に疎遠になった。

ある日、長谷雄は師匠の道真にこの一件を話した。
「それは良い体験をしましたね」
「良い体験?」
「そうです。人生経験に勝る学問の材料はありません」
「そうですか。そういう考え方もありますね」
「朱雀門の下に佇んでいた女性は、きっとお金に困っていたのでしょう。自分を養ってくれる人間を探していた」
「それならもっとお金のありそうな人間を探せばよいのに」
「お金のある人間というのは、たいてい用心深いですからね。それなら世間知らずの君のような文章生の方が都合が良いと考えたのでしょう」
「そうだったのですか」
「今まで気づかなかったのですか?」
道真は少し笑って言う。
「はい、恥ずかしながら」
「あなたはまだまだですね」
そのとき、勝手口の方から声がした。
「あなた、お話はそれぐらいにして手伝って下さい」
道真の北の方の宣来子だ。
「はいはい」
道真が立ち上がり始める。
「あれは私の師の娘でね、それもあってどうにも頭が上がらないのですよ。でも意外と楽ですよ。女の尻に敷かれるというのも。あなたも枯れそうな大輪の花よりも、力強く咲く野花を。非日常よりもありふれた毎日を提供してくれる、堅実な妻を娶りなさい。それがきっと、あなたの学問の援け(たすけ)ともなる」
「はい、わかりました」
長谷雄は道真の邸を後にした。

数か月後、長谷雄は正妻を娶った。

また長谷雄は後年、この若い頃の体験から長谷雄草子のもととなる物語を作成したという。


*****

長谷雄草子の内容は、ご自分で調べてくださいませ♪
面白いお話ですよ(^_^)

長谷雄の相方?役は大江千里さんでなくてもよかったのですが、この時代の人の名前が上手くつけられなくて名前をお借りしました。千里さんの生没年が不詳なのをいいことに(^^;)
プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
note、「小説家になろう」サイトにも投稿しています。

このブログ内の文章の無断転載等はおやめ下さい。

コメント本文にURLを記載したい場合は、URLかメールアドレスのところにでも張って、その旨をお書きください(スパムコメント防止のため)。
お手数おかけしますm(_ _)m

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