2017-03-26

永久の春

田嶋春さんにささぐ

寒いと思ったら、雪か。
前の大納言藤原公任は、庵から出て外に出た。
「おお、寒い。老人にはこたえることだ」
ひとり言を呟いてから、辺りを見回す。
誰もいないというのに、私としたことが。
公任は苦笑いしてしまった。

出家し、長谷で庵を結んでから一月近くたっているというのに。
全く、私ときたら未だに身近に人のいる暮らしが身についているのだな。

今度は心の中でごちる。

すると使いの者らしき人物がやって来た。
「雪の中ご苦労だったね」
「全くです。前の大納言様におかれては、訪れる人も、物を送ってくる人も多いのですから、もっと都の近くに庵を結んでほしかったものです」
「それでは出家の意味がなかろう」
公任が少しあきれたようなようすで言う。
「それはそうですが、使いの者の気持ちにもなって下さいよ」
「まあ悪かった。この懐紙でも持っていきなさい。雪の日に来てくれた駄賃だ」
公任が冗談めかして言う。
すると使いの者はたちまち真顔になり、
「いえ、めっそうもございません。それに、すでに主から褒美はたくさんいただいていますので」
「ほう。今日の客人はよほどご立派な方と見える。誰だね?」
「法成寺の入道、道長様です」
そこで公任の顔色が変わった。
すると
「おーい、公任ー」
という太い声が辺りに響いた。
「やっ、これはこれは」
公任が平伏して頭を下げ始める。
それを制し、道長は
「良い、良い。お互い入道した身。俗世の頃のことは忘れようではないか」
とかったつに言った。
道長は数年前に公任に先んじて出家していた。
政界の実力者、というのは相変わらずだったが。
「そなたも入道したと聞いたときには、一番乗りで訪れたかったのだが、どうにも忙しくて、な。なにか不自由はないか? 良かったらこれをもらってくれ」
そう言って道長は法衣(ほうい)を差し出した。
見事な法衣だった。
自分に差し入れされて余った品だろう。
差し入れした人物に悪い気もしたが、公任は素直に受け取った。

すると道長がこう詠んだ。
「いにしへは思ひかけきや取り交しかく着んものと法の衣を」
(大意:お互いに法服を取り交わし着ようと昔は思ってみたでしょうか)

公任が返歌をする。
「同じ年契りしあれば君が着る法の衣をたちおくれめや」
(大意:二人は同年齢という因縁があるのですから、あなたがお召しになるのに遅れることなく、私も法服を着ます)

「やはり和歌ではかなわないな」
道長が笑う。
「私のとりえは和歌ぐらいですから。あとは漢詩と管弦ぐらいですね」
公任が笑って言う。
「相変わらずだな」
「なんの! 貴殿には負けますよ」
「何のことだかわからないが、まあ良い。元気そうでよかった。来たばかりで悪いが、これで失礼するよ。ここは寒すぎる」
「お構いも出来ませんで。しかし、何か用があったのではありませんか?」
「おお、そうだった、そうだった。実は上東門院さま(彰子のこと)に送る屏風に、和歌を書いて欲しいのだ。そのお願いをしに参ったことをすっかり忘れていた」
「年をとられましたね」
「うるさいな」
道長は怒った様子もなく、また笑った。
「考えておきますよ。しばしお時間をください」
「わかった」
道長はそういうと庵を後にした。

公任は道長が帰った後で、さすがだな、と感心していた。
相変わらず口が上手いし、心配りも行き届いている。
嘘でも、「一番乗りで訪れたかったのに」と言われれば誰も悪い気はしない。
まして道長ほどの地位にある者からなら言わずもがな、である。
道長は人心掌握術に長けている、と言って差し支えないようであった。
それに相手を立てることも忘れない。
相手の良いところは素直に認め、自ら張り合うことは決してしない。
そしてその人物の長所を、要所要所で存分に利用する。
人の上に立つ者としての器量を、またしても見せつけられた思いであった。

実資などは「道長に媚びを売って、小野宮の者として恥ずかしくないのか」と暗に私を責めたが、
私は別に自己保身のためだけに道長に近づいたわけではなかった。

朝廷の安寧を願っていたのだ。
道長には強引なところもあったが、おおむね周囲とは協調的だった。
その点は他の執政者では望めなかったように思う。

それに、道長には人間的魅力もあった。
豪胆なようでいて実は小心者。
峻厳さを見せたと思えば、菩薩のように優しく手を差し伸べることもある。
なにより、周囲の人間を自分の「側(がわ)」に巻き込むおおらかさ、鷹揚さは、
他の誰にも真似することは出来ないだろう。

私は元嫡流の者として道長に反感を抱いていた時期もあったが、
彼の器量を間近で見せつけられ、その思いは徐々に薄れていった。

今は確かに権力が道長に集中しすぎているかもしれない。
だが、権力が一点に集中していたとしても、
それが善いものであるのならば、別に良かろう、という考えに至っている。

その晩、公任は屏風に載せる歌を詠んだ。
いくつかの候補のうち、次の和歌を選んで道長のもとに使いをやった。

「一年(ひととせ)を暮れぬとなにかおしむべきつきせぬ千代の春をまつには」
(年が暮れてしまうからといって、どうしてわずか一年を惜しんでよかろうか、惜しむべきではない。
暮れれば待ちに待った春となり、その春は千年にわたってめぐりきて尽きることはないのだから)

道長によってもたらされた平和が、いつまでも続くように、という願いを込めて。



   参考文献
金葉和歌集・詞花和歌集 1989 川村晃生・柏木由夫・工藤重矩(校注) 岩波書店
千載和歌集 1986 久保田淳 岩波書店
藤原道長の日常生活 2013 倉本一宏 講談社
スポンサーサイト
2017-03-11

阿闍梨の託言(かごと)

海砂のりさんにささぐ


怖いものなんて、なかった。

父にも母にも大事にされて育ったし、養母にも可愛がられた。
年の離れた兄にも愛された。
駄々をこねると、兄は「全くお前にはかなわないな」と苦笑しながらも望みを叶えてくれた。

私はそれらを、当たり前のことだと思っていた。
誰からも尊重され、愛される。
それも出自を含めた自身の魅力、なればこそ。
正直に言って、この考えは今も変わっていない。
それが悪いことだとも思わない。

阿衝事件で基経を敵に回したときも、基経のことを怖いだなんて思いもしなかった。
示唆をなめさせられはしたが、何事も経験だ。
あれは誰が敵か味方かを図る、よい機会だったのだ。

私に怖いものはない。
そのはず、だったのに……。


皇族とはいえ、父は皇位からは遠いところにいた。
自身の甥が即位していたのだ。

ときに常軌を逸した行動をとる水尾の帝。
あの帝に王侍従として仕えていたときに、「私ならもっとうまくやるのに」と思ったことならあった。
だが、まさか帝位が自分に廻ってくるとは思いもよらなかった。
水尾の帝が問題を起こしたために父は帝となったが、私は第七皇子だ。
しかも、他のきょうだいと一緒に一度臣籍降下していた。
だが私の養母は後宮で隠然たる力を持つ尚侍淑子殿であった。
ときの権力者基経の異母妹である淑子殿。

私はただ、父が床についた頃にふとこう漏らしただけだ。
「臣下としての経歴を持つ私が紫雲の人となったならば、世の中は変わるでしょうね。養母上(ははうえ)にも、きっと至上の景色を見せることができるでしょう」
と。
この一言が養母の心に火を灯(とも)したものか、私は皇太子となった。
そして父が崩御したその日に即位した。
光孝と諡号(しごう)された父は、満足そうな表情を浮かべてこの世を去ったという。


「なにか、迷っているようですね」
考え事をしているのを察知した増基が、私に話しかける。
増基は私が昇殿を許した僧侶で、相談係のようなものであった。
死を目前にした私は仁和寺に移り住み、増基に身の回りの世話をさせていたのだ。
「いや、迷いなどない」
「本当にそうですか?」
少し笑って増基が言う。
「私には、怖いものなど一つもなかったからな。迷うことなど、もってのほかだ」
私はそう豪語する。
「そうですか。では、何を考えておられたのですか?」
「今までの人生を振り返っていた」
「ほう。さては女のことですな」
「そんなことはない。だがそうだな。確かに女たちは私にはなくてはならない存在だった」
「出家したにもかかわらず、女色をやめないあなた様らしい発言ですね。全く、困ったお人だ」
増基が苦笑いする。
「あなたにはまだ時間があります。思う存分考えたらいいですよ。私は少し席を外しますね」
「ああ」
増基はそっと立って御房の奥に引っ込んだ。


私はそっと目を閉じる。
そして、想いを巡らせる。

ー即位後に迎えたきさき、温子ー
基経の娘であるそなたに対して、私はどこか冷たいところがあったな。
「皇子はまだか」と基経に当てこすられて、そなたは陰で泣いていたこともあった。
にもかかわらず、私の前では気丈に振る舞って……。
それに気づいていながら、私は気づかぬ振りをし通した。
そなたから皇子が生まれる前に、敦仁を皇太子に立てもした。
私は良い夫ではなかったな。
すまなかった。

ー糟糠の妻、胤子ー
一見すると可憐な容貌で、ほんの若い頃に見初めた女だった。
楚々とした風情とは裏腹に、口は悪く、態度もでかい。
お世辞にも性格が良いとはいえない女だった。
喧嘩も数えきれぬほどしたが、それもまた楽しかった。
お前のような女は初めてだったよ。
お前の生んだ敦仁は、帝となった。
晴れがましいであろう。
それとも、当然と言わんばかりに大きな顔をするだろうか。
それはそれで見てみたいな。

ー才に長けた忠臣、道真ー
右大臣にまで取り立てたのは、そなたの才だけが理由ではなかった。
藤原氏に対する牽制、の意味もあったのだ。
頭はいいが融通の利かないそなたには、いまいち伝わっていなかったようだが。
そなたの重すぎる忠誠心が、私には少し負担だった。
もう十分であろう。
恨むなら私だけを恨め。

ー良き仲介者、忠平ー
矜恃と自尊の人であった兄時平と違って、そなたは均衡感覚、調整能力に長けた男だ。
だから養女の順子を任せもした。
他の臣下とも上手くやれるであろう。
これからはきっと、協調の時代なのだ。
後は頼んだぞ。

ー愛息、醍醐の帝ー
なぜ、私よりも先に死んでしまったのか。
帝という位が、病弱だったそなたには重荷だったのか。
だとしたら、悔やまれてならない。
だが、そなたの敷いた善政は、後世まで語り継がれるであろうよ。
父として、誇らしい。
私ももうすぐ逝く。
待っていてくれ。

そして……。

ー私が晩年最も寵愛した女、褒子ー
醍醐の元に侍る予定だったそなたを、私は奪い取った。
藤氏の長である時平の娘を、皇位から遠ざけたかったのだ。
それに、そなたは自我を持たぬ人形のようだったから。
その美しいだけの人形に、私は自らの手で息を吹き込みたくなったのだ。
本当なら、そなたは醍醐の后として最もときめいていたのかもしれぬのに……。
悪かった。
余生は幸せに過ごしてくれ。
そなたは今でも十分に美しい。

昔、水尾の帝の皇子である元良親王を慰撫するために、褒子を彼の元にやったことがあった。
私の元に戻らぬなら、それでもいい。若い男と暮らした方が幸せだろう、と思って。
だが、褒子は私の元に戻ってきた。
泣きながら私を責めもした。
そのとき、私は自分が想像していた以上に、うれしかったんだ……。

褒子はまだ若い。
私は先頃、若くて財力もある男を褒子に遣わした。
その男と、どうか幸せになってくれ。


怖いものなど、なかったはずなのに。
どうしてだろう。
大切な人を残していくこと。
これだけはどうしても怖い。


私は一通り想いを巡らせた後、目を開いた。
そこには、褒子がいた。
「亭子院さま、ひどうございます」
「こ、これは夢か、幻か」
私は狼狽して辺りを見回した。
見ると増基が立っていた。
「そなたの仕業か」
私がそう言うと、増基は悪びれもせずにこうのたまった。
「人聞きの悪い。私は京極御息所(褒子のこと)様の願いを聞き入れたまでですよ」
「御息所の、願い?」
「私が増基様に頼んだのです。どうか最期に上様に会わせてほしいと」
褒子が言う。
「そなたのことはあれにたのんだはずだ。あの男はどうした?」
「当人の承諾なしに、一体何をしていらっしゃるのです。とうに追い返しましたわ」
「しかし……」
「それに、こんな髪では誰も妻になどしてくれませぬ」
褒子はそう言って、かぶっていた頭巾をとった。
尼削ぎの短い髪。
「褒子!」
「私は先ほど出家いたしました。あなた様の後世を弔います」
「しかし、そなたが女を捨てたら、私たちのこどもは……」
「信頼できる者に預けました。何も心配することはありません」
褒子はなおも言う。
「私を女に居続けさせたのは、上様に他なりません。その上様が世を去ろうとするとき、私もまた女でなくなるのです」
「そんな理屈をこねて……」
「私に知恵をつけたのもまた上様です」
そこで増基が口を挟んだ。
「自分のしたことに責任を持たれることですな」
「おぬしは黙ってろ」
「最期の時を二人でお楽しみください。あっ、でも同衾は御法度ですよ」
「当たり前だ!」
「亭子院様ならやりかねない、と思いまして」
増基が肩をすくめる。
「せめてもっとぼかして言え!」
私が怒って言うと、増基は笑った。
私たちのやりとりを見ていた褒子が、くすくすと笑い声を立てる。

怖いものなどない。
そんなことを言う人間は途方もなく傲慢だと、今になって、気づいた。

   
   参考文献
大隈和雄(訳) 2012 愚管抄全現代語訳 講談社
川尻秋生 2011 平安京遷都 岩波書店 
片桐洋一・福井貞助・高橋正治・清水好子(校注・訳) 1972 竹取物語・伊勢物語・大和物語・平中物語 小学館
川端善明・荒木浩(校注) 2005 古事談・続古事談 岩波書店
角田文衛(監修)1997 平安時代史事典 角川出版 
西原和夫・塚越和夫・加藤実・渡部泰明・池田匠(編) 1994 新総合図説国語 東京書籍印刷株式会社
橋本義彦 1996 平安の宮廷と貴族 吉川弘文館
橋本義彦 1976 平安貴族社会の研究 吉川弘文館
保坂弘司 2007 大鏡 講談社
保立道久 1996 平安王朝 岩波書店
保立道久 1999 平安時代 岩波書店

褒子を元良親王の元にやって~というのはこちらで書きました。
もちろん創作です。
「魂宿し(たまやどし)」
http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-305.html

託言(かごと)の意味について
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/39939/meaning/m0u/
2017-03-05

思いつきホロスコープ診断14

2012/06/20 22:29 参照数59

宇多天皇のホロスコープを診てみます。

貞観9年5月5日 京都生まれ
西暦にすると867年6月10日

〈ユリウス暦で見た改訂後〉
双子座の第二旬の太陽
新鮮な好奇心と純粋な知的欲求の持ち主です。どのような事態においても素早く対処していける順応性があり、価値なしと見れば思い切りも早く、他人を刺激し煽動しながら自分は冷静な観察者の立場を崩しません。この生まれの人の鋭い機知はしばしば新しい活路を開く力となりますが、深く探求することは苦手で、物事に飽きやすい傾向があります。極端な歓喜と深刻な不安を同時に味わうことが出来る人で、内心には慈悲と寛容への憧れがあります。

第二旬の太陽。水星に加えて金星の影響を受けます。水星の敏活さに金星の親和性が加わり、親愛の情に深く、人の感情に敏感な人を作ります。熱しやすく激しい性格で、幾分放縦で闘争的ではありますが、強い人格と行政力の持ち主です。しかし、金星の否定的な性質が現れると、利己的な幸福をむさぼり、恵まれた知能を悪事や背信行為に用いるようになります。

獅子座の月
誇り高く高尚な性格です。生来人の上に立つ器量があり、頼まれると面倒なことでも引き受けて世話をします。自分の存在を強く意識しているので、称賛されることが好きです。しかし、ときには尊大で横柄な面が現れます。教養のあるなしを問わず大きな包容力の持ち主で、人の情愛には最大の反応を示します。

金星と天王星の合(0度)
ロマンティックな事柄に強い感受性をもちます。刺激的・磁力的な魅力があります。エキセントリックな恋愛事件が多く、愛情生活に急変が多いでしょう。かなり頑固で気まぐれな面もありますが、若くして芸術的天分を認められます。

月、太陽、冥王星、火星がクレイドルという複合アスペクトを形成

クレイドルについて。
http://www.horoscope-tarot.net/natal/asp/n.html
クレイドルというのは正六角形を半分にしたような形の複合アスペクトであり、「ゆりかご」を意味します。

月、太陽、冥王星、木星でもクレイドルという複合アスペクトを形成

クレイドルが二重にあると云うことで、かなり恵まれた運勢の持ち主だったように思います。
火星と木星も11.39度でオーブの許容範囲には含まれませんが、トラインにかなり近いです。
ぱっと見では「ホームベース」という正六角形、六芒星の一角のみかけている状態のように見えます。
強運の持ち主といって差し支えないでしょう。

意思・感情・政治力・行動力・拡大性が調和的に、あるいは刺激的に働くため、大きなことを成し遂げることができそうです。
それがこの方の運命、あるいは天命なのではないでしょうか。

水星、海王星、カイロンが水のグランドトラインを形成。
知性と夢想性と‘癒し,が上手く調和します。
水星と海王星の吉座相(120度)。豊かなイマジネーションの持ち主です。他人の心情や思想に影響されやすいのが弱点ですが、慈悲や慈善に対する良き理解力があります。
海王星とカイロンの吉座相(120度)。傷ついた人々や病んだ世界を救済したいという気持ちが強く、それが自分自身のトラウマ解消にもつながります。
水星とカイロンの吉座相(120度)。知性によって傷ついた人を癒す良き人となるかもしれません。

地の星座の惑星がない。
真面目さや緻密さ、慎重さに欠けるきらいがあるかもしれません。

ターニングポイント
プログレス法で譲位した寛平九年(897年)をみますと、太陽と土星がトライン(120度)で吉座相をとっていました。
この座相は社会的位置や人生基盤が固まること、尊敬と信用の増加、責任ある要職に就くこと、年長者から厚遇されること、恒久的な利得、特に相続問題や土地・不動産に関した事柄は好転することを示します。

譲位は絶妙なタイミングだったということですね!

クレイドルが二重にある(ホームベースに限りなく近い)ということで、かなりの強運の星のもとに生まれた人、といえるのではないでしょうか。
ホームベースらしきものが浮かび上がったときはかなりテンションが上がりました(笑)。
ホームベースもクレイドルも本には載っていないので、また知識が得られたら追加します。

射手座の20度あたりに惑星が運行するときにすごいことが起こりそうです。
トランジット法でみたところ、即位の日には目立った惑星は通過していませんでした。
ASCやMCなどの感受点はわかりませんが。これらは出生時刻がわからないと調べられないので。

二重のクレイドルに、グランドトラインが一つ。
すごいですねえ(゚∀゚)

水のグランド・トラインはオーブを甘くとりましたが。
度差9.14度です。太陽と月が絡む場合以外は、一般的には8度までしかとりませんので。

何にせよ、すごいホロスコープには違いありません。


〈グレゴリウス暦で見た改訂前〉
双子座の第二旬の太陽
新鮮な好奇心と純粋な知的欲求の持ち主です。どのような事態においても素早く対処していける順応性があり、価値なしと見れば思い切りも早く、他人を刺激し煽動しながら自分は冷静な観察者の立場を崩しません。この生まれの人の鋭い機知はしばしば新しい活路を開く力となりますが、深く探求することは苦手で、物事に飽きやすい傾向があります。極端な歓喜と深刻な不安を同時に味わうことが出来る人で、内心には慈悲と寛容への憧れがあります。
第二旬の太陽。水星に加えて金星の影響を受けます。水星の敏活さに金星の親和性が加わり、親愛の情に深く、人の感情に敏感な人を作ります。熱しやすく激しい性格で、幾分放縦で闘争的ではありますが、強い人格と行政力の持ち主です。しかし、金星の否定的な性質が現れると、利己的な幸福をむさぼり、恵まれた知能を悪事や背信行為に用いるようになります。

双子座の月
陽気で軽快な性格です。貪欲な知識欲を持ち合わせます。旅行好き、遊び好きで、目新しいものに本能的に引かれます。要領がよくて抜け目なく、勢力の強い側につく巧妙な処世術を身につけています。生き生きとした豊かな情感を持ち、それが魅力となって異性を惹きつけます。

太陽と月のコンジャクション(0度)。
サインとハウスの特徴を強調するため、幾分性格的な偏りを生じます。双子座の部分が強く出ます。精神的にアンバランスで頑固になりがち。また、このアスペクトが風の宮にあることから、クールで気まぐれな人となるようです。太陽(意思)と感情(月)が同じ方向に向いていることから、自分がこうと決めたら一直線、な人となるのではないでしょうか。

これに木星と火星がそれぞれトライン(120度)。
バランス感覚や社交を意味する天秤座に木星が入っており、これが太陽と月のコンジャクションに吉座相を取っていることから、基本性格に運とバランス感覚と社交性が良い形で加わります。
エキセントリックさを表す水瓶座に情熱を意味する火星が入っており、これが太陽と月のコンジャクションに吉座相を取っていることから、基本性格に情熱的な要素が加わります。それは少し変わった形で表出するかもしれません。

金星と天王星がコンジャクション(0度)。
ロマンティックな事柄に強い感受性をもちます。刺激的・磁力的な魅力があります。エキセントリックな恋愛事件が多く、愛情生活に急変が多いでしょう。かなり頑固で気まぐれな面もありますが、若くして芸術的天分を認められます。

水星、海王星、カイロンが水のグランドトラインを形成。
知性と夢想性と‘癒し,が上手く調和します。
水星と海王星の吉座相(120度)。豊かなイマジネーションの持ち主です。他人の心情や思想に影響されやすいのが弱点ですが、慈悲や慈善に対する良き理解力があります。
海王星とカイロンの吉座相(120度)。傷ついた人々や病んだ世界を救済したいという気持ちが強く、それが自分自身のトラウマ解消にもつながります。
水星とカイロンの吉座相(120度)。知性によって傷ついた人を癒す良き人となるかもしれません。

金星、冥王星、カイロンが金星を中心にT-スクエア。
経済力、爆発力、‘癒し,が不協和音を奏でます。
金星と冥王星の凶座相(90度)。社会的人気と共に異性を魅了する強烈なセックスアピールを持ちます。好色的熱望があり、抑制されなければ性的に過剰となりやすい。理想と現実の相克に遭いやすく、分不相応な望みはあと一歩のところで破綻しやすいでしょう。報われぬ愛を抱いたり、背徳的な恋愛事件を起こしやすく、愛情問題が原因で性格に影を作ります。
金星とカイロンの凶座相(90度)。恋愛を恐れて異性との距離を取ろうとするか、逆に異性遍歴を重ねるか。癒し癒されることが恋愛のテーマとなりやすい。
冥王星とカイロンの凶座相(180度)。性交と死に対する強い衝動があるか、逆に理由もなくタブー視したり恐れを抱くかのどちらかとなるでしょう。

木星と冥王星の凶座相(180度)。
冒涜的な宗教感をもち、財力と金権力を渇望します。政治的な権力抗争に関係しやすいでしょう。最悪の場合は社会的勢力・地位・財産など、一切を失う不運に見舞われます。

地の星座の惑星がない。
真面目さや緻密さ、慎重さに欠けるきらいがあるかもしれません。


ターニングポイントは即位、及び阿衡事件が起こった887年。
月と海王星の合が形成されています。
これは面倒な運で、厄介な問題の紛糾、失態、隠れた敵が突然に積極的になること、非現実的な空想を持つこと、怠惰になることを示します。モラルの低下や生活習慣の乱れが現れやすく、自重して身の成り行きに注意すべきです。

譲位した897年も気になります。
太陽と木星の凶座相(90度)が形成されています。
権利を脅かされたり不当な待遇を受けること、法的な心配事など、全般に財政や法律に関した事柄には良くない時期であることを示します。


臣下から天皇になった人ですから、幸運を表すグランドトラインの一つや二つ持ってるんじゃないの~と予想していたんですが、案の定水のグランドトラインを持っていました。

小惑星カイロンを含めてもいいものかどうか迷ったんですけれどね。
カイロンはT-スクエアにも組み込まれていますから、この方にとっての人生における重要なキーワードは‘傷ついた癒し手,であると思います。
奉仕活動に従事したり、慈善事業を起こしたり、自己のトラウマの解消をしたり。
このカイロンという小惑星が解釈が難しく、心理占星術でしか取り上げられていません。
なので比較的自由に書いてしまいました(^_^;)

水のグランドトライン、というわけでとっても優しくてナイーヴ、でもちょっと人に流されやすいところがあるかもしれません。
太陽と月が双子座にあり、それに木星と火星が吉座相を形成していることから、風の星座の影響も強かったんじゃないかなと思います。
基本的な性格はクールで理知的、でも優しいところもある、ということで。

臨機応変にことに対処することが出来て好奇心旺盛、社交的、な双子座の部分が強く出ているんじゃないでしょうか。太陽と月、アセンダント星座は性格を決定する三要素と言われており、そのうちの二つが集中してるんですから。コンジャクション作って。

個別にみていくと、「遊び好きで、目新しいものに本能的に引かれます。」「刺激的・磁力的な魅力があります。エキセントリックな恋愛事件が多く、愛情生活に急変が多いでしょう。」「好色的熱望があり、抑制されなければ性的に過剰となりやすい。」遊び好きで好色な人ですね。イメージ通りです。
「真面目さや緻密さ、慎重さに欠けるきらいがあるかもしれません。」計画性はあまりない印象の人です。


阿衡事件については詳しくないのですが、まさしくそんな感じですね。隠れた敵が突然に積極的になるとか。



   参考文献
岡本翔子 心理占星学入門 2000 扶桑社
石川源晃 1992 [演習]占星学入門 平河出版社
石川源晃 1991 [実習]占星学入門 平河出版社
流智明 1986 占星学教本 JICC出版局
ルル・ラブア 2005 占星学 実業之日本社
2017-03-04

変わりゆくものと、変わらぬものー伊周伝ー

平安中期。

ある日の深更。

「定子、あれをごらん」
伊周が、眠りこけている帝を指さす。
「あらあら」
定子がそれを見て微笑する。
「もう夜も明けたのに、こうしてお休みになっていてもいいものでしょうかねえ」
伊周がからかうような口調でいうと、定子はなおも笑って
「本当に」
などという。
定子はときの帝の妃で、伊周は定子の兄に当たる。
伊周は、帝に請われて漢文を教えていた。
それはこの日のように夜更けにまで及ぶこともあった。
教養にあふれ、貴公子然とした伊周は、帝の憧れだった。

そのとき、殿舎で鶏の鳴く声がした。
童女が隠していた鶏が犬に見つかり、鶏が追いかけられて逃げだそうとしたため、ということである。
その鳴き声で帝が目を覚まして、
「どうして迷い込んでいた鶏なのか」
などという。
すると伊周は、間をおかずにこう朗詠した。
「声、明王の眠り(ねぶり)をおどろかす」
堂々とした麗しい声で。
帝はそれを聞いて満足げにうなずく。
定子も「ぴったりだわ」と、興を惹かれたようすで言う。

状況に即した漢詩を、絶妙な頃合いで引き出す。
それも目の前にいる帝を「明王」に見立てるという賛美まで込めて。
伊周は「当意即妙」「機知や才智」といった点では、当代随一といって差し支えないようであった。

※注釈
伊周が引き合いに出した漢詩を次に挙げる。
ちなみに、鶏人というのは時刻を知らせる役の官人である。

鶏人暁に唱ふ 声明王の眠りを驚かす
鳧鐘(ふしょう)夜鳴る 響き暗天の聴きを徹す
官人が暁を知らせる その声は賢帝の眠りを覚ます
深夜に鐘が鳴る その響きは闇を貫いて人々の耳に達する



それから十数年後。
時代は移り変わり、廟堂に座する人々の面々もまた変貌していた。
定子は帝の第一皇子敦康を遺して亡くなり、伊周は流罪という示唆をなめながらもその後帰京した。
ただ帝だけが帝として同じ地位にあった。

今夜の出来事は帝の第二皇子敦成誕生後に開かれた百日(ももか)の儀のおりのことである。

敦成はときの執政者道長の娘・彰子の所生であり、公家の大数から望まれた、待望の皇子であった。
この時代に最も望まれた政治形態はいわゆる「摂関政治」。
自身の娘を帝と娶せ、その間に生まれた皇子を皇位につける。
その帝を自身が摂政として、成長後は関白として補佐をする。
帝・后・そして后の父による三位一体の政治。
それが摂関政治であった。
もしくは次代の帝・その母后・母后の父親、の三位一体の政治、であろうか。

それはともかくとして、この儀には伊周も招かれていた。
少しすすけた直衣を着て。
おそらくは、招かれざる客。
その一挙手一投足に公卿たちは瞠目し、耳をそばだてる。
聞こえるような声で誹謗したり、嫌みを言う者もいる。
それを道長はときになだめ、場の空気を和ませようとする。
優越感に浸りながら。

宴が終わりかけ、最後に道長が公任に命じて皆に杯を勧め、和歌を詠ませたときのことである。
能書の行成が公卿たちの詠んだ和歌の序題を書こうとしたとき、伊周が行成から筆を取り上げて自作の序題を書いた。
伊周は酔っているのであろうか、足が少しおぼつかなかった。
皆は酔っているのならば仕方がないか、と思いつつもその様子を固唾をのんで見ていた。
その和歌の序題は次のようなものであった。

第二皇子の百日の嘉辰(かしん)、宴を禁省に合う。
外祖左丞相(道長のこと)以下、卿士大夫で座に侍す者は済々である。
竜顔を咫尺(しせき)に望むと、鶯觴(らんしょう)を酌み、献酬した。
恩に酔う余り、私(ひそか)に相語って云ったことには、「隆周の昭王・穆王(ぼくおう)は、暦数が長かった。
我が君(帝のこと)も又、胤子が多い。
康なるかな帝道は。
誰が歓娯しない者があろうか。
請うことには風俗を課し、寿詞を献じることを。

儀同三司(伊周のこと)

人々は目を見張った。
この序題には敦成が第二皇子であること、帝には敦成のほかにも皇子女が多く存在すること、などが込められている。
加えて「隆周」には道「隆」と伊「周」を意識させる狙いがあったであろうし、「康なるかな帝道」のうちの「康」は敦「康」の名に通じるものがある。
公卿たちは誰も、何も言わなかった。
伊周は酔った「ふり」をしていたのか。
なんということ。
気まずい沈黙があたりを漂う。

そのとき、帝が伊周のほう見て、こう朗詠した。

「孫子世録に曰く、康、家貧して無し
常に雪に映(えい)して書を読む
少小より清介にして、交友雑ならず
後に御史大夫に至る

蒙求における、孫康映雪・車胤聚螢だな。
蛍雪の功。私の好きな言葉だ。
この漢詩は、故院(円融院)もお好きだったようだ」

帝はさりげなく、皆に円融院の孫、敦「康」というのを想起させた。
そして頼もしげに伊周の方を見る。
ああ、伊周はやっぱり伊周だ、と思いながら。
青春の日々が、よみがえるようであった。

ー敦康のことはわかっている。待っていたぞ、伊周ー
ーありがたきご配慮ー

帝と伊周が、目で会話をする。

それに気を悪くした道長が、何かを言いかける。
すると帝は道長を招き、杯を交わした。
「敦康を大切にもてなしてくれて、感謝している。これからもよろしく頼むぞ」
「はい。もちろんですとも」
道長は笑顔でうなずくが、腹は煮えていた。
この日の日記には、帝の言葉をあえて書かなかったと云うことである。


   参考文献
石田穣二(訳注) 1980 新版枕草子 角川出版  
倉本一宏 201 藤原伊周・隆家ー禍福は糾える縄のごとしー7 ミネルヴァ書房
倉本一宏 2009 御堂関白記 講談社
山中裕・秋山虔・池田尚隆・福長進(校注・訳) 1998 栄花物語 小学館
山本淳子 2007 源氏物語の時代ー一条天皇と后たちの物語ー 朝日新聞出版


中関白家のショートショートは他にもあります。
隆家メインの「蛍」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-196.html
道頼と隆円の「千代のかげ」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-342.html
2017-02-11

今鏡マンスリー「師実」

師実はその日、修理大夫橘俊綱が主催する宴に遅れて参上した。
俊綱はすでに酔っているらしく、鼻のあたりが真っ赤であった。

橘俊綱。
橘姓ではあるが、彼は師実の同母の兄である。
師実・俊綱の母祇子は身分が低かったため、俊綱は他家に養子に出された。
俊綱が生まれたころには隆姫や、他の妾妻から別の男児が生まれる可能性が十分にあったので、卑賎の母を持つ俊綱をあえて引き取る必要はないと頼通は判断したのだ。
だが結局頼通は子供に恵まれなかった。
祇子以外の女性から生まれた子供は皆早世してしまったのだ。
祇子から唯一の実娘寛子を得て、ようやく頼通は祇子腹の子を日の目に出そうという決心にいたる。
寛子の前に祇子は男児を四人産んでいたが、全て寺に入れたり、他家に養子に出したりしていた。
師実は寛子の弟であったために、それらの処遇を受けずに済んだのである。
俊綱と師実には二十六歳の年齢差があった。

生まれた順番が違ったという、それだけのことだ。
もしかしたら、自分はここにいる同母兄の立場だったかもしれないのだ。
師実は、皆の前で嬉々として挨拶をしている俊綱を見た。
裕福ではあるが、所詮は修理大夫だ。
あの同母兄はひねくれているに違いない。
もしかしたら、私のことを憎んでいるのかもしれない。
自分と私の身分上の差を思って。

一刻ほど過ぎたあたりだろうか。
身分の高そうな男が俊綱に向かって、
「そなたの裸踊りが見たいものよのう」
と言い出した。
俊綱は嫌がるふうでもなく、
「良いでしょう、とくとご覧あれ」
などと言って着物を脱ぎ始めた。
師実はそれを見ていて苛立ちを抑えきれなくなり、
「失礼する!」
と言って宴の会場を後にした。
私の同母兄が、あんな考えなしの道化だったとは。
全くもって馬鹿馬鹿しい。

帰り仕度をしていた師実に、下仕えの男がそっと耳打ちする。
「中将さま、主が土産物を渡したいので後で自分の局に来てほしい、とのことでございます」
この期に及んでご機嫌取りか。
私が摂関家の嫡子だからか。
師実は苛立ちを覚えながらも、案内されて俊綱の自室に向かった。

「修理大夫殿、入りますぞ」
師実が局に入ると、俊綱がしゃっくりを上げながら師実を待っていた。
だいぶ酔っているようである。
「中将殿。何か気に障りましたか?」
「いいえ。私は何も」
まだ年若い師実は、仏頂面で応える。
「本当にそうですか?」
師実は黙り込んでいたが、やがて口を開いた。
「今は修理大夫とはいえ、元は私の同母の兄だった者が、人前であんな醜態を見せて。ただ恥ずかしくなっただけですよ」
吐き捨てるように、師実は言う。
「そうですか」
俊綱は気分を害した様子もなく、ひょうきんそうな顔をしてただ聞いていた。
だが、師実の目を覗き込むように見た後、不意に大声を出した。
「いつまでもいじけた顔をしてんじゃねえぞ、小僧」
「なっ……! 誰に向かってそんな口を叩いていると思っているのか。大体、私はいじけてなど……」
「いじけてるじゃねえか。大方拗ねてやがるんだろう。孤独ぶって、自分を憐れんで。全く、摂関家の跡取りになろうって人が、これでは先が思いやられるってもんだ」
「あ、あなたはどうなんですか? 父に捨てられて、自分を憐れんだことがなかったというのですか?」
突然の怒鳴り声にびっくりして、師実は及び腰になる。
「もちろんあったさ。泣いて夜を明かしたことも一度や二度じゃない。明るい場所にいる皇后(寛子)や、お前を羨ましく思ったこともある。だが、私はそこから立ち直った。私には養父(ちち)がいた」
「お養父上が?」
「ああ。養父は宇治殿の息子だというのに私に傅く(かしずく)わけでもなく、私を厳しく育てた。それが養父の愛情だと知ったときに、私はすべてを許すことが出来た」
「そう、ですか。そんなお養父上がいて、私は羨ましい」
「お前にもいるじゃねえか。立派な父親が」
「父など……。自分の保身のために私を引き取っただけの人を、父と思ったことなどありません」
「宇治殿は小狡いところもあるが、別に不誠実なわけじゃない」
「あなたにはわからないでしょうが……」
「わかるとも。あの人は私と対面するとき、優しい言葉をかけたりはしない。ひいきをしたら私のためにならないと、分かっているからだ。だが、その目の奥にはすまなそうなものが浮かんでいる。内心では、悪いことをしたと思っているのだろうよ」
「そう、ですか……。だからといって、私はこれからどうしたら」
「父親のことは許さなくてもいい。ただ、自分を思ってくれている人のことを無碍(むげ)にはするな。自分のことも大切にしろ。自分を大切にできて初めて、周囲を幸せにすることが出来るんだ。わかったか?」
「……はい」
師実は深々と頭を下げて俊綱の居室を後にした。


師実は帰り道で、下仕えの男に向かって呟いた。
「修理大夫殿はいつもああなのですか?」
「ああ、とは?」
「ひどく酔っていらっしゃったではありませんか」
「そんなことはありませんよ。あれしきの酒の量で酔っ払ったりはしません。普段から蟒蛇(うわばみ)のように飲みますよ」
師実は驚いて、
「でもあんなに鼻を赤くしていたではありませんか」
と言った。
男は笑って、
「あれは元からです。私の赤い鼻は祖父の御堂殿(道長)譲りなのだと、内々でいつも言い張っていますよ」
と答えた。
師実は狐につままれたような心地がした。
あれは、演技だったということなのだろうか。
「うちの殿が、何か失礼なことをしましたか?」
男が不安そうに言う。
「いいえ」
「そうですか」
男はほっとした表情になった。
「ただ、素敵なものをいただきました。大切にしようと思います」
大事にしまって、宝物にしよう。
俊綱から言われた言葉を胸に、師実は新しい人生の第一歩を踏み出した。


   参考文献
角田文衛(監) 2012 平安時代史事典 角川学芸出版

橘俊綱については「今鏡」にも素敵な逸話があるので、良かったら読んで下さいね(*^^*)
藤波の上 第四 伏見の雪のあした 所収です。
プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
noteで占い記事も配信中。アドレス→https://note.mu/yukime0128


このブログ内の文章の無断転載等はおやめ下さい。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンター