2017-10-09

歴史小説「三条の家の子2」

使いの者はこう言った。
「熊野に詣でていた平清盛さまご一行が、京に戻ったとのことです」
「なに、清盛殿が!」
「はい」
「そうか、清盛殿が……」
公教は少し考え込むような顔をする。
使いの男は何か言いたげであったが、言葉は発さずにその場を立ち去った。

公教は思案する。
院御所襲撃以来、信頼が朝廷の政治運営の舵(かじ)をとっている。
だが信頼にも、それに付き従っている義朝・師仲にも、世を取りまとめる力があるとは思えない。
それでも天皇・上皇が幽閉されている以上、信頼らを敵に回すことは出来ない。
そんなことをしたら、朝敵の汚名を着せられる。
それに、信頼らは武力を保持している。
強大な武力の前では、口先だけの政治は何の役にも立たない。
それが保元の乱を経験して、身にしみてわかったことだ。

だが。
公教はそこで深呼吸をした。
だが清盛殿がいるなら、話は別だ。
強力な武力を持つ清盛殿の協力があれば、信頼を圧倒することが出来るのではないか。

まずは清盛殿を味方に引き入れよう。
そして、信頼に反感を抱いている者を自分の陣営に引き入れるのだ。
例えば惟方。
先日の除目で信頼をやり込めた光頼の弟惟方なら、味方に引き入れることが可能なのではないか。
公教は一通り考えを巡らせると、清盛・惟方双方に接触を試みた。


まずは清盛殿に信頼らを制圧してくれないか、と話を持ち掛けた。
清盛殿は喜んで話に乗ってきた。
清盛殿は先に娘の婿に迎えていた信頼の子息信親(のぶちか)を、丁重に六波羅から信頼のもとに送り返したという。
そして自身の名を記した名簿(みょうぶ)を信頼に提出し、恭順の意を示したそうだ。
信頼はあっさりそれを信じたということである。
全くもって間抜けな男だ。
公教は呆れるやら、情けないやら、であった。

惟方の方は、渋面を作っていたが、やはり思うところがあったのだろう。
協力させてほしい、と言ってきた。
そして天皇と上皇の居場所を私に教えた。
天皇と上皇さえこちら側に引き込めれば、あとは何も問題がない。
もちろん計画通りに行けば、の話ではあるが。
公教は天皇と上皇の救出計画を練った。

これが上手くいけば、我が一家の朝廷における存在感はゆるぎないものになるだろう、と信じながら。
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2017-10-06

歴史小説「平氏の棟梁、帰還」

平清盛は、熊野詣の途中であった。

「父上―、宿はまだにございますか」
あどけない顔をした少年が清盛に尋ねる。
「宗盛、ついさっきも同じことを言っていただろう。もっと辛抱しないか」
「だってえ」
宗盛と呼ばれた少年は口を尖らせて拗ねたような顔をする。
先年元服したばかり。
まだ十三歳の少年だ。
「まあまあ基盛、そう目くじらを立てるでない」
清盛は基盛に向かって言葉をかける。
こちら二十歳ぐらいの青年である。
「父上はそうやってすぐに宗盛を甘やかす! 宗盛の今後のためにもよくないと思いますよ」
基盛が咎める。
「宗盛に無理をさせると、私が時子に怒られるのだ」
「父上は何かというとすぐそれだ。義母上(ははうえ)が怖いのは確かに私にもわかりますが」
「そうだろう、そうだろう」
清盛がうんうんと首を縦に振る。
「清盛さま、あまり口が過ぎると、私が奥方様に言いつけますぞ」
「家貞、お前は私の味方ではないのか」
清盛が累代の家人家貞に向かって、懇願するように言う。
そのようすはとても一族の長とは思われない。
だが、子息と家臣たちは笑っているばかり。
清盛のことを棟梁として、信頼しているのだ。
家貞は言う。
「私は奥方様に言いつけられていますので。殿が無理をしないように、とも」
「これは一本取られたな」
清盛が言うと、一行からはまた笑いが出た。

そのとき、飛脚が駆けつけてこう言った。
「都で大事件が起こりました」
そう言って子細を話す。
これを聞いた清盛は、
「これはいったいどうしたらよかろうか」
と思い煩うばかりであった。
清盛に従っていたのは、子息の中では越後守基盛と、淡路守宗盛、その他は侍十五人であった。
ここからまっすぐに九州の方へでも落ちのびて軍勢を集めるのが良いだろうと評定していると、紀伊国(今の和歌山県)の湯浅権守宗重と称する武者が表れた。
三十七騎の精鋭を率いて、である。
宗重は言う。
「まっすぐに京都においでなさい。京都に入るのに妨げがあれば、お力になりましょう」
また、熊野の別当湛快は侍というわけではなかったが、鎧七組を弓矢その他に至るまでそろえて頼もし気に取り出し、ためらうことなく清盛に与えた。
また、宗重は宗盛を見つけると、
「私の息子と同じぐらいの年齢だ。その上、清盛殿の秘蔵っ子と見た。戦では何が起きるかわからない。念のために、これを差し上げましょう」
と言って自分の息子の着けていた紫色の革で嚇した(おどした)小腹巻(鎧の一種)を脱がせ、宗盛に着せてやった。
「宗重殿。それではあなたの御子息が……」
清盛が言いかけると、
「なんの! 私の息子はそんなにやわではありません。どうかお気をつけて。ご武運を祈っています」
宗重はそう言って去って行った。

清盛は熊野へは代理を立てた。
「皆の者、われわれはこれから京に戻る。左馬頭(さまのかみ、義朝のこと)風情にでかい顔がさせられるか!」
清盛が雄たけびを上げると、他の者も続いた。
皆の士気が上がる。
平清盛は、いざとなると頼りになる男であった。

かくして平清盛は十二月十七日に入京した。
院御所襲撃から八日が経っていた。
2017-10-05

歴史小説「除目と恩賞3」

光頼はこんなふうにふるまってはみたものの、気がかりで、急いで宮中から退出することはせず、殿上の間の小蔀(こじとみ)の前に立っていた。
清涼殿の東側の長い廊下の奥に置いてある昆明地(こんめいち)の衝立障子の北、遠く脇の戸の辺に弟の検非違使別当惟方が立っていたのを招き寄せて、こう言った。
「今日、公卿の会議があるという知らせがあったので急いで馳せ参じたけれども、たいして議案を決定するようなこともない。
本当かどうかはわからぬが、この光頼は死罪にされる人数に数えられていると、伝え聞いた。その人々の名前を聞けば、現代においては学問や儀礼に精通した、相応の賢い人たちだ。私がその数の中に入るということは、たいそうな面目になろう」
そこで光頼は一呼吸置いた。
物騒なことをいっているが、様子は冷静であった。
「それにつけても、そこもとが、右衛門督信頼の車の後ろに乗って、少納言入道の首を検分するために一緒になって出向いたことは、どれほどふさわしからぬ行動であることか。近衛大将や検非違使の別当は、他とは異なる重職だ。その職に就いていながら、他人の車の後ろに乗るなどとは、先例もない。また、その場にとっても恥だ。特に首実検は、非常に穏やかではない」
とも、続けて言う。
すると惟方は、
「それについては、天皇の御意向でもありましたので」
と苦し紛れに言って、赤面した。
光頼は驚いた顔をして返答する。
「これは、なんと。天皇の御意向だからとて、こちらの考えるところを、どうして一言、申さなくてよかろうか。
我々の祖先、勧修寺内大臣高藤、そのお子の三条右大臣定方が、醍醐天皇の御代にお仕えして以降、君(天皇の意)はすでに十九代、臣下の我が家はまた十一代、名をお受けして行ってきたことは、みな民を重んずる徳政だ。一度も悪事にまじわったことはない。我が家は、太政大臣にまで昇進できるほどの、それほどの名家ではないものの、正しい道をわきまえた臣下にひたすら連れ添って、おもねりへつらうような連中の仲間にならなかったゆえ、昔から今に至るまで、人から後ろ指をさされるほどのことはなかった。
お前が初めて逆臣に引っ張り込まれて、代々続いてきた我が家の名声を失うことになるのが口惜しいことだ」
そこで光頼はちらり、と惟方を見る。
惟方は俯いていて、顔を上げようとしなかった。
光頼は続ける。
「もしまた、皇居に放火でもしたなら、君もどうして安心できる状態でいらっしゃれようか。大内裏が燃えかすの地になってしまうのですら、皇室にとってはお嘆きのもととなるであろう。まして、君や臣下の身に、万一のことがあったなら、徳を基本とする王の政治の滅亡が、今この時に現実となってしまうであろう。
右衛門督信頼は、お前にあらゆることを相談していると聞く。充分に気配り、心配りをして、機会をうかがって、天皇や上皇のお身体に災難が及ばないようにするべきだ」
光頼の発言を聞いて、惟方はうなだれていた。
自分の思慮の浅さに、恥じ入ったのであろう。

「ところで、天皇の食事どころの朝餉(あさがれい)の方に人音がして、殿上の間をのぞく櫛形の窓に人影があるのだが、あれはなんなのだ?」
光頼が問うと、惟方が答える。
「それは、そこに右衛門督信頼が住んでいるので、その世話をする女房などの姿が横切ったのでしょう」
光頼は聞くに耐えられず、
「世の中、今はこんな有様だ。天皇のいらっしゃる朝餉には、右衛門督が住み着き、君を黒戸の御所にお移し申し上げたようだ。世の末ではあるが、太陽も月も、まだ地には落ちておられない。とはいえ、私はどのような前世からの宿業で、このような世に生を受け、嘆かわしいことばかり聞くのだろう。
臣下の者が王位を奪うこと、中国にはその例が多くあるとはいえども、わが国にはいまだ、このような先例を聞いたことがない。皇室の神たる天照大神(あまてらすおおかみ)・石清水八幡宮の神は、国王の正しい政治を、どのようにしてお守りになるつもりなのか」
と遠慮なく繰り言をいう。

惟方は、人が聞いていやしないかと、背筋の凍る思いであった。
「まったく、今の内裏のありさまを聞いては、目も耳も洗ってしまいたくなることよ」
と最後に言って光頼は退出した。

残された惟方は、朝餉の間にいる信頼の方を見た。
小袖に赤い大口袴(おおぐちはかま)を着、冠には巾子紙(こじかみ)を入れていた。まるで天皇にでもなろうかというありさまである。

このような男に付き従い、あまつさえ大将として祭り上げてしまったとは。
惟方は、大変なことをしでかしてしまったと、後悔しはじめていた。
2017-10-04

歴史小説「除目と恩賞2」

そのまた数日後、内裏では殿上の間で公卿の会議を開催するということで招集がかかった。
藤原惟方の同母兄の藤原光頼は、ことさらに華やかな装束を着、鞘に蒔絵(まきえ)を施した儀式用の細い太刀を腰に帯びて内裏に参入した。
身近に使える侍は一人も連れず、身だしなみを整えた雑色四、五人、そこに侍の右馬允(うまのじょう)範義に雑色の着物を着せ、細太刀を懐に差させて紛れ込ませ、「もしものことがあったら、私をお前の手で討て」と言いおいておいたということである。
内裏では、大勢の軍が陣を張り、隊列を整えて厳戒態勢をとっていた。
そのためにたまたま参内する公卿・殿上人も恐れをなし、身を低くして入っていった。
ところがこの光頼という男は武士連中に遠慮することなく堂々と入っていく。
武士は威圧されて、弓を寝かし、矢を脇に控えて通す。

紫宸殿の北側の通路を沓(くつ)を履いたまま通り、清涼殿の殿上の間の小庭を巡って室内を見ると、右衛門督藤原信頼が最上席について、その場にいる本来であれば信頼よりも上位の者たちはみな下座に着いていた。
光頼はこれは納得しがたい奇妙なことだ、と思った。
そこで殿上の間に上がって左代弁宰相藤原顕時が末席の宰相として着座していたのに向かって、笏をきちんと持ち直してあらたまってあいさつをした。
「お座敷のようす、たいそう、だらしのうございます」
そう言ってしずしずと上席に歩み寄り、信頼の着いている上座にむずと乗りかかるように座ると、信頼はたちまち顔色を失い、うつむき加減になった。
着座していた公卿たちは、それをなんとあきれたことだと驚いて、目を見開く。
左衛門督である光頼は言う。
「今日の会議は衛府の督が主催するものと拝見しました」
左衛門督である自分ではなく、なぜそれより下の地位の右衛門督たる信頼が場を仕切っているのかと、暗に咎めたのである。
そして束帯装束の下襲の長い裾をたたんで引き直し、着衣の襟元や折り目を整え、笏を取って居ずまいを正した。
「そもそも今日はどういう案件を決定いたすべきなのでありますか」
光頼は問うが、着座していた公卿・殿上人は、一人も言葉を発しない。
まして、下座からの発議など、全くない。

光頼は、やや時が経ってから、さっと立って静かに歩いて外に出た。
これを見ていた武士たちは、
「なんと肝のすわった強靱な人よ。ここのところ、人は多く出仕なさったが、信頼の上座に着きなさった人はいなかった。この人が初めてだ。門をお入りになった時から、少しも怖じ気づく様子もおありでなかったが、とうとう、しでかしなさったことよ」
「ああ、この人を大将にして合戦をしたいものだ。どれほど頼もしかろう。昔の武人、源頼光をひっくり返して光頼とお名乗りになるから、こんなふうでいらっしゃるのか」
などと言った。
するとそばにいた右代弁藤原資長に仕える雑色が、
「どうしてそれなら、頼光の弟の頼信の名をひっくり返して信頼と名乗りなさる信頼卿は、あれほど臆病なのか」
と言った。
「壁に耳あり、石に口あり、ということわざがある。そのこと、聞いても聞かなかったことにしよう」
一人がこう言うと、そばにいたものは忍び笑いに笑っていたということである。
2017-10-01

小布施に行って来ました☆

最初に「栗の木テラス」というお店に行ったのですが、すごく混んでいて。
名前を書いて少し散策してから入り直しました。
10時開店で10時半ごろに行ったのですが、なかなかの待ち人数でしたよ。
行くなら開店と同時でも良いかもしれません。

お腹が空いたのでその前にそば粉のクレープを食べちゃってました。
私はマロン&マロンクリーム。
450円とは思えないくらい栗が美味しかったですv

「栗の木テラス」
http://www.kanseido.co.jp/shop/obuse/




「オートンヌ」というチョコレートのケーキを食べました。
奥のは確か「季節のチーズケーキ」。
紅茶も二杯分出てきますし、ケーキは本当に濃厚でした。
バラの飾りチョコレートが可愛くて写真を撮っちゃいました。
外装も内装もとても素敵なお店です。

北斎館にも行ってきました。
写真は写真OKのところで撮りました。
タイトルは忘れちゃいました。
西行法師が山部赤人と一緒に描かれています。

北斎館
http://hokusai-kan.com/







このあたりの路地の奥にパワーストーンのお店がありまして。
名前を見てなかったのですが(レシートにも店名がない!)、多分ここだと思います。
千幸~Sencia~センシア 小布施本店
http://www.obusekanko.jp/enjoys/buy/obuse501.php



こちらはこのお店で買ったものです。
660円でした。
自分の好きな石でも作れるということでしたが、なにが良いか迷ってしまって、結局すでに出来ているものを購入しました。
石は何だったかな。
忘れちゃいました(←ダメじゃん!)。
色的にはアメジストとパールですが。
全体的に良心的なお値段だと感じました。
石の配色や組み合わせのセンスも私は良いと思いましたよ。
このあたりは好みもあるので何とも言えませんが。

追記:お店で渡された誕生石・干支石・星座石及び石の意味合いの紙に店名が書いてありました。
他の地域にも店舗があるようですよ~。

お腹が空いてきたし、そろそろ食事を、と思ったときにはもう二時半ぐらいでした。
が、入りたいと思ったところはランチは14時まで、や秋期間はカフェだけ、というお店ばかりでして。
結局車で少し走ってファミレスでご飯を食べました。
15時くらいになってました。

なかなか難しいです(笑)。
でも栗の木テラスは行って良かったですよ♪

一日楽しかった~(´▽`*)
プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
note、「小説家になろう」サイトにも投稿しています。

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お手数おかけしますm(_ _)m

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