2017-04-21

西洋占星術で見る承久の乱

西洋占星術の観点から承久の乱を考察しました。

三浦平九郎判官胤義さんのこちらの一連のツイートが興味深かったので。
https://t.co/DN4YPEFyLV
https://twitter.com/bot_miura9/status/854678797945151488

上皇が三人になった承久三年四月二十日(ユリウス暦5月13日)。
myastrochart 1221年5月13日
太陽・土星・冥王星が冥王星を中心にT-スクエアをとっています。
太陽(朝廷)と土星(幕府)を冥王星(政治・権力)が鋭く対立させている、とも読めます。
土星=幕府、とするのには無理があるかもしれませんが、土星には「社会的な」「質実剛健の」といった意味もあるので、あながち間違っていないようにも思えます。

水星と海王星の合
知性とロマンの合致。水星は他にもコミュニケーション能力や知識人といったキーワードがあります。そういったこと・ものが海王星的な幻想と結びついたということでしょうか。

これが天王星とはオポジション(180度)で凶座相。
改革には失敗しそうです。

冥王星とはトライン(120度)で吉座相。
政治的にはそう悪いことではなかったのかもしれません。

木星・火星・カイロンのグランドトライン
幸運の大三角形・グランドトライン。
情熱をもって(火星)、弱者を救う(カイロン)と木星の恩恵が受けられていたかもしれません。
義時追討の院宣を出すよりも、民衆を味方につけるのに適していたと思われます。

承久三年五月十四日(ユリウス暦6月5日)。
myastrochart1221年6月5日
後鳥羽上皇が実際に兵を集めた日です。

太陽と水星の合
太陽(朝廷)に知力が結集したのかもしれません。

月と土星の合
月は女性を意味します。土星(幕府)に女性、あるいは女性的なものが味方しやすいことを表します。その代表が北条政子だったということなのかもしれません。

太陽・水星と月・土星は水星と土星がオポジション(180度)で対立しています。

そして木星と冥王星の合が月・土星の合とスクエア(90度)で緊張状態です。
スクエアは本来凶座相ですが、刺激を与えたり、生涯の克服・努力を促すアスペクトでもあります。これがかえっていい作用をもたらしたのかもしれません。

太陽(朝廷)は天王星とトライン(120度)で調和的
なので、改革を起こそうとしたのは自然なことのようにも思えます。が、調和座相ゆえに、楽観的だったかもしれません。


内円を後鳥羽院のホロスコープ、外円を挙兵の日として、二重円を作成しました。
doublechart 承久の乱

二重円は見方が難しいので余力があったら鑑定します。

陰陽師からは10月上旬にすべき、といわれていたようです。
中間値である旧暦10月5日をユリウス暦に直すと、1221年10月21日。
myastrochart 1221年10月21日
太陽・金星・天王星が合(0度)。
太陽(朝廷)・金星(経済力)・天王星(改革性)が上手くマッチして、その力は甚大なものに。

太陽・金星・天王星に冥王星が60度で調和座相
政治的にも上手くいったでしょう。有力な政治家が味方してくれた可能性もあります。

太陽・金星・天王星と海王星は180度で不調和
ロマン的な物、理想的なものとはかけ離れたものになっていたでしょう。

たしかに陰陽師のいうとおり、10月上旬にしていた方がよかったかもしれませんね。
幕府に勝てたとは思いませんが、惨敗することはなかったのでは?
経済力を盾に幕府の力を削ぐだとか、弱者(月とカイロンの合)を味方につけて民衆の信頼を得るとか。
このあたりは承久の乱には詳しくないので適当に言ってますが。
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2017-04-12

「小説家になろう」サイトで小説を発表しました

二か月ほど前に占い小説が完成しました。
歴史上の人物について、占いを用いて考察する、というのが占い小説の主な内容です。
タイトルは「アストろじっく!聖徳太子篇」です。

小説の概要を載せた企画書を、占い本を扱っている出版社数社に持ち込みました。

企画書には小説のあらすじ、想定する読書層などを記載し、
「巻末か文中に『解説』の項目を設け、読んでいるうちに自然と占い・占星術の知識が身につくような本にするのはどうでしょうか。可能であれ ばプロの占い師・占星術研究家の方に解説をお願いしたいです」 
という言葉を添えました。

メールで持ち込みはやっていますか?と尋ねる形をとりました。

一社から「会議にかけます」というお返事をいただきました。
その結果は「弊社としては見送らせていただく」というものでした。
理由を尋ねたところ、「売り方が難しいため」とのことでした。
結果は残念でしたが、丁寧に対応していただいて本当に嬉しかったです。

また、占う人物を源頼朝か平清盛、あるいはその両方にして、シリーズものとして占い小説を書くのもいいなと思っていたので、
企画が通らなかった理由をはっきりいっていただいたのも助かりました。
小説の内容以前の問題なら、仕方ないかなと。
書き始める前に教えていただいてよかったです。

こちらの作品はなんとか形にしたいという気持ちが強く、自費出版や同人誌、アマゾンkindleなども考えていました。
国会図書館に自分の本を献本するのが夢なんです。
が、金銭的な理由や、「全く売れなかった場合に発表したくなってしまうかも」という危惧から、あとで出版も出来る「小説家になろう」サイトで発表することにしました。

「小説家になろう」サイトのマイページです。
http://mypage.syosetu.com/1037362/

こちらのサイトでは、投稿したけれどダメだった作品なども掲載しようかなと考えています。

「占い小説? 面白そう!」と興味を持って下さった方、応援して下さった方、どうもありがとうございました。

しばらく自分の書きたいものは何なのかを見つめ直してから、また地道な投稿生活に戻ろうと思います。

以上、報告でした!
2017-04-03

今鏡マンスリー「師通」

堀河天皇の御代のことであった。
朝廷では、まだ年若い帝を差し置いてその父白河院が政務を執っていた。
摂関家の嫡男、藤原師通はそれが気にいらなかった。
表立って院に反発することもあった。

ある日、師通は帝の面前でこう言った。
「あなたさまは主上。唯一無二の存在なのです。父院のすることをただ黙って見ているべきではありません」
まだ幼い帝は、
「そうだな。だが、私はまだ非力だ。それに父に従う上達部も多い」
と答えた。
「そのような輩は、私がこてんぱんにしてみせます」
師通が胸を張る。
その様子がおかしかったと見え、主上は
「頼もしいな」
と笑った。

数日後、師通は院の御所の前を通った。
車がたくさんとめてある。
それを見た師通は、こう言った。
「降り位の帝の御所の前に、上達部(かんだちめ)の車が止まっているとはけしからん。車を破却しろ」
「はっ」
師通の随身が車を壊していく。
あたりは騒然となった。

それを後日聞いた主上は、師通を呼び出して
「やりすぎだ」
と叱った。
「院に媚びを売る輩には、あれぐらいしてもどうということはありません」
師通は平気な顔でそう言ってのける。
「だが、車を破却された上達部が可哀想であろう?」
主上が師通の目を見て言う。
「……。申し訳ありませんでした」
「わかればよい。今日は下がりなさい」
「はい」

師通は帰宅後、うすぼんやりと視線を宙に漂わせていた。
「どうかされましたか?」
屋敷の居候の法師、恵信が聞く。
「主上はとてもお優しい方ではあるのだが、いささか気のお弱いところがあってな」
「そうなのですか?」
「ああ。それで私はときどきやきもきしてしまうのだ。私と主上は正反対だからな」
「そうかもしれませんね。ですが主上とあなたさまには三つの共通点があります」
「ほう、それは何だ?」
「一つには、御目の麗しいこと。二つには、管絃に巧みなことでございます」
「三つめは?」
「それがわかるのはもっと先にございます」
「もったいぶるな」
「まあそう言わずに。じきにわかる時が来ますよ」
そう言って恵信はうっすら微笑した。

師通は、宮廷の宴で主上と会話する機会を設けた。
「私と主上には、共通点が三つあるのだそうです」
師通は恵信に言われたことを主上に話した。
「誰がそのようなことを?」
「恵信という法師です。門の前で行き倒れているのを私が拾いました。話してみるとなかなか学のある法師でしたので」
「そうか。面白いことをいう法師だな」
主上は微笑した。

家に帰ると、師通は恵信を呼び出した。
「主上がお前のことを誉めていたぞ。面白いことをいう法師だと」
「そうですか」
恵信が目尻を下げる。
「お前はいったい、何者なのだ? お前ほどの碩学の法師が、乞食のような風体をして行き倒れるとは。なにがあったのだ?」
「近頃物忘れが激しくて、思い出せませぬ。ですが、何者といわれればそうですね、主上と院のことを古くから存じ上げている者です」
「主上と院を? お前、主上にお会いしたことがあるのか?」
「いいえ。ですが、存じ上げているのです。主上が生まれる前から、ね」
「おかしなことをいう。説法の一種か?」
「まあそんなものだと思って下さい」
恵信はそう言って笑った。
薄気味悪い笑い方だった。


しばらくして師通は病で床についた。

夢かうつつか、師通の枕元に恵信が立った。
師通が言った。
「お前の正体が今になってわかった。お前は、頼豪の関係者だな?」
祈祷の者が読み上げた悪霊の名の中に、主上の兄敦文親王を誕生させるも呪い殺した僧侶・頼豪の名があったのだ。
恵信が答える。
「頼豪は私の師。そして実の父でもあった。私の真の法名は頼恵である」
「私を呪ったのか?」
「私にそんな力はない。だが、予見はしていた。そなたと主上。二人の共通点。それは、父に先んじて死ぬこと」
恵信、いや頼恵はそう言い放った。
主上にお伝えせねば。
師通は身体を起こそうとするが、力が入らない。
「その身体では無理だ」
頼恵がとどめを指すように言う。
「無念だ」
師通が呟く。

数刻後、師通は絶命した。
2017-03-26

永久の春

田嶋春さんにささぐ

寒いと思ったら、雪か。
前の大納言藤原公任は、庵から出て外に出た。
「おお、寒い。老人にはこたえることだ」
ひとり言を呟いてから、辺りを見回す。
誰もいないというのに、私としたことが。
公任は苦笑いしてしまった。

出家し、長谷で庵を結んでから一月近くたっているというのに。
全く、私ときたら未だに身近に人のいる暮らしが身についているのだな。

今度は心の中でごちる。

すると使いの者らしき人物がやって来た。
「雪の中ご苦労だったね」
「全くです。前の大納言様におかれては、訪れる人も、物を送ってくる人も多いのですから、もっと都の近くに庵を結んでほしかったものです」
「それでは出家の意味がなかろう」
公任が少しあきれたようなようすで言う。
「それはそうですが、使いの者の気持ちにもなって下さいよ」
「まあ悪かった。この懐紙でも持っていきなさい。雪の日に来てくれた駄賃だ」
公任が冗談めかして言う。
すると使いの者はたちまち真顔になり、
「いえ、めっそうもございません。それに、すでに主から褒美はたくさんいただいていますので」
「ほう。今日の客人はよほどご立派な方と見える。誰だね?」
「法成寺の入道、道長様です」
そこで公任の顔色が変わった。
すると
「おーい、公任ー」
という太い声が辺りに響いた。
「やっ、これはこれは」
公任が平伏して頭を下げ始める。
それを制し、道長は
「良い、良い。お互い入道した身。俗世の頃のことは忘れようではないか」
とかったつに言った。
道長は数年前に公任に先んじて出家していた。
政界の実力者、というのは相変わらずだったが。
「そなたも入道したと聞いたときには、一番乗りで訪れたかったのだが、どうにも忙しくて、な。なにか不自由はないか? 良かったらこれをもらってくれ」
そう言って道長は法衣(ほうい)を差し出した。
見事な法衣だった。
自分に差し入れされて余った品だろう。
差し入れした人物に悪い気もしたが、公任は素直に受け取った。

すると道長がこう詠んだ。
「いにしへは思ひかけきや取り交しかく着んものと法の衣を」
(大意:お互いに法服を取り交わし着ようと昔は思ってみたでしょうか)

公任が返歌をする。
「同じ年契りしあれば君が着る法の衣をたちおくれめや」
(大意:二人は同年齢という因縁があるのですから、あなたがお召しになるのに遅れることなく、私も法服を着ます)

「やはり和歌ではかなわないな」
道長が笑う。
「私のとりえは和歌ぐらいですから。あとは漢詩と管絃ぐらいですね」
公任が笑って言う。
「相変わらずだな」
「なんの! 貴殿には負けますよ」
「何のことだかわからないが、まあ良い。元気そうでよかった。来たばかりで悪いが、これで失礼するよ。ここは寒すぎる」
「お構いも出来ませんで。しかし、何か用があったのではありませんか?」
「おお、そうだった、そうだった。実は上東門院さま(彰子のこと)に送る屏風に、和歌を書いて欲しいのだ。そのお願いをしに参ったことをすっかり忘れていた」
「年をとられましたね」
「うるさいな」
道長は怒った様子もなく、また笑った。
「考えておきますよ。しばしお時間をください」
「わかった」
道長はそういうと庵を後にした。

公任は道長が帰った後で、さすがだな、と感心していた。
相変わらず口が上手いし、心配りも行き届いている。
嘘でも、「一番乗りで訪れたかったのに」と言われれば誰も悪い気はしない。
まして道長ほどの地位にある者からなら言わずもがな、である。
道長は人心掌握術に長けている、と言って差し支えないようであった。
それに相手を立てることも忘れない。
相手の良いところは素直に認め、自ら張り合うことは決してしない。
そしてその人物の長所を、要所要所で存分に利用する。
人の上に立つ者としての器量を、またしても見せつけられた思いであった。

実資などは「道長に媚びを売って、小野宮の者として恥ずかしくないのか」と暗に私を責めたが、
私は別に自己保身のためだけに道長に近づいたわけではなかった。

朝廷の安寧を願っていたのだ。
道長には強引なところもあったが、おおむね周囲とは協調的だった。
その点は他の執政者では望めなかったように思う。

それに、道長には人間的魅力もあった。
豪胆なようでいて実は小心者。
峻厳さを見せたと思えば、菩薩のように優しく手を差し伸べることもある。
なにより、周囲の人間を自分の「側(がわ)」に巻き込むおおらかさ、鷹揚さは、
他の誰にも真似することは出来ないだろう。

私は元嫡流の者として道長に反感を抱いていた時期もあったが、
彼の器量を間近で見せつけられ、その思いは徐々に薄れていった。

今は確かに権力が道長に集中しすぎているかもしれない。
だが、権力が一点に集中していたとしても、
それが善いものであるのならば、別に良かろう、という考えに至っている。

その晩、公任は屏風に載せる歌を詠んだ。
いくつかの候補のうち、次の和歌を選んで道長のもとに使いをやった。

「一年(ひととせ)を暮れぬとなにかおしむべきつきせぬ千代の春をまつには」
(年が暮れてしまうからといって、どうしてわずか一年を惜しんでよかろうか、惜しむべきではない。
暮れれば待ちに待った春となり、その春は千年にわたってめぐりきて尽きることはないのだから)

道長によってもたらされた平和が、いつまでも続くように、という願いを込めて。



   参考文献
金葉和歌集・詞花和歌集 1989 川村晃生・柏木由夫・工藤重矩(校注) 岩波書店
千載和歌集 1986 久保田淳 岩波書店
藤原道長の日常生活 2013 倉本一宏 講談社
2017-03-11

阿闍梨の託言(かごと)

海砂のりさんにささぐ


怖いものなんて、なかった。

父にも母にも大事にされて育ったし、養母にも可愛がられた。
年の離れた兄にも愛された。
駄々をこねると、兄は「全くお前にはかなわないな」と苦笑しながらも望みを叶えてくれた。

私はそれらを、当たり前のことだと思っていた。
誰からも尊重され、愛される。
それも出自を含めた自身の魅力、なればこそ。
正直に言って、この考えは今も変わっていない。
それが悪いことだとも思わない。

阿衝事件で基経を敵に回したときも、基経のことを怖いだなんて思いもしなかった。
示唆をなめさせられはしたが、何事も経験だ。
あれは誰が敵か味方かを図る、よい機会だったのだ。

私に怖いものはない。
そのはず、だったのに……。


皇族とはいえ、父は皇位からは遠いところにいた。
自身の甥が即位していたのだ。

ときに常軌を逸した行動をとる水尾の帝。
あの帝に王侍従として仕えていたときに、「私ならもっとうまくやるのに」と思ったことならあった。
だが、まさか帝位が自分に廻ってくるとは思いもよらなかった。
水尾の帝が問題を起こしたために父は帝となったが、私は第七皇子だ。
しかも、他のきょうだいと一緒に一度臣籍降下していた。
だが私の養母は後宮で隠然たる力を持つ尚侍淑子殿であった。
ときの権力者基経の異母妹である淑子殿。

私はただ、父が床についた頃にふとこう漏らしただけだ。
「臣下としての経歴を持つ私が紫雲の人となったならば、世の中は変わるでしょうね。養母上(ははうえ)にも、きっと至上の景色を見せることができるでしょう」
と。
この一言が養母の心に火を灯(とも)したものか、私は皇太子となった。
そして父が崩御したその日に即位した。
光孝と諡号(しごう)された父は、満足そうな表情を浮かべてこの世を去ったという。


「なにか、迷っているようですね」
考え事をしているのを察知した増基が、私に話しかける。
増基は私が昇殿を許した僧侶で、相談係のようなものであった。
死を目前にした私は仁和寺に移り住み、増基に身の回りの世話をさせていたのだ。
「いや、迷いなどない」
「本当にそうですか?」
少し笑って増基が言う。
「私には、怖いものなど一つもなかったからな。迷うことなど、もってのほかだ」
私はそう豪語する。
「そうですか。では、何を考えておられたのですか?」
「今までの人生を振り返っていた」
「ほう。さては女のことですな」
「そんなことはない。だがそうだな。確かに女たちは私にはなくてはならない存在だった」
「出家したにもかかわらず、女色をやめないあなた様らしい発言ですね。全く、困ったお人だ」
増基が苦笑いする。
「あなたにはまだ時間があります。思う存分考えたらいいですよ。私は少し席を外しますね」
「ああ」
増基はそっと立って御房の奥に引っ込んだ。


私はそっと目を閉じる。
そして、想いを巡らせる。

ー即位後に迎えたきさき、温子ー
基経の娘であるそなたに対して、私はどこか冷たいところがあったな。
「皇子はまだか」と基経に当てこすられて、そなたは陰で泣いていたこともあった。
にもかかわらず、私の前では気丈に振る舞って……。
それに気づいていながら、私は気づかぬ振りをし通した。
そなたから皇子が生まれる前に、敦仁を皇太子に立てもした。
私は良い夫ではなかったな。
すまなかった。

ー糟糠の妻、胤子ー
一見すると可憐な容貌で、ほんの若い頃に見初めた女だった。
楚々とした風情とは裏腹に、口は悪く、態度もでかい。
お世辞にも性格が良いとはいえない女だった。
喧嘩も数えきれぬほどしたが、それもまた楽しかった。
お前のような女は初めてだったよ。
お前の生んだ敦仁は、帝となった。
晴れがましいであろう。
それとも、当然と言わんばかりに大きな顔をするだろうか。
それはそれで見てみたいな。

ー才に長けた忠臣、道真ー
右大臣にまで取り立てたのは、そなたの才だけが理由ではなかった。
藤原氏に対する牽制、の意味もあったのだ。
頭はいいが融通の利かないそなたには、いまいち伝わっていなかったようだが。
そなたの重すぎる忠誠心が、私には少し負担だった。
もう十分であろう。
恨むなら私だけを恨め。

ー良き仲介者、忠平ー
矜恃と自尊の人であった兄時平と違って、そなたは均衡感覚、調整能力に長けた男だ。
だから養女の順子を任せもした。
他の臣下とも上手くやれるであろう。
これからはきっと、協調の時代なのだ。
後は頼んだぞ。

ー愛息、醍醐の帝ー
なぜ、私よりも先に死んでしまったのか。
帝という位が、病弱だったそなたには重荷だったのか。
だとしたら、悔やまれてならない。
だが、そなたの敷いた善政は、後世まで語り継がれるであろうよ。
父として、誇らしい。
私ももうすぐ逝く。
待っていてくれ。

そして……。

ー私が晩年最も寵愛した女、褒子ー
醍醐の元に侍る予定だったそなたを、私は奪い取った。
藤氏の長である時平の娘を、皇位から遠ざけたかったのだ。
それに、そなたは自我を持たぬ人形のようだったから。
その美しいだけの人形に、私は自らの手で息を吹き込みたくなったのだ。
本当なら、そなたは醍醐の后として最もときめいていたのかもしれぬのに……。
悪かった。
余生は幸せに過ごしてくれ。
そなたは今でも十分に美しい。

昔、水尾の帝の皇子である元良親王を慰撫するために、褒子を彼の元にやったことがあった。
私の元に戻らぬなら、それでもいい。若い男と暮らした方が幸せだろう、と思って。
だが、褒子は私の元に戻ってきた。
泣きながら私を責めもした。
そのとき、私は自分が想像していた以上に、うれしかったんだ……。

褒子はまだ若い。
私は先頃、若くて財力もある男を褒子に遣わした。
その男と、どうか幸せになってくれ。


怖いものなど、なかったはずなのに。
どうしてだろう。
大切な人を残していくこと。
これだけはどうしても怖い。


私は一通り想いを巡らせた後、目を開いた。
そこには、褒子がいた。
「亭子院さま、ひどうございます」
「こ、これは夢か、幻か」
私は狼狽して辺りを見回した。
見ると増基が立っていた。
「そなたの仕業か」
私がそう言うと、増基は悪びれもせずにこうのたまった。
「人聞きの悪い。私は京極御息所(褒子のこと)様の願いを聞き入れたまでですよ」
「御息所の、願い?」
「私が増基様に頼んだのです。どうか最期に上様に会わせてほしいと」
褒子が言う。
「そなたのことはあれにたのんだはずだ。あの男はどうした?」
「当人の承諾なしに、一体何をしていらっしゃるのです。とうに追い返しましたわ」
「しかし……」
「それに、こんな髪では誰も妻になどしてくれませぬ」
褒子はそう言って、かぶっていた頭巾をとった。
尼削ぎの短い髪。
「褒子!」
「私は先ほど出家いたしました。あなた様の後世を弔います」
「しかし、そなたが女を捨てたら、私たちのこどもは……」
「信頼できる者に預けました。何も心配することはありません」
褒子はなおも言う。
「私を女に居続けさせたのは、上様に他なりません。その上様が世を去ろうとするとき、私もまた女でなくなるのです」
「そんな理屈をこねて……」
「私に知恵をつけたのもまた上様です」
そこで増基が口を挟んだ。
「自分のしたことに責任を持たれることですな」
「おぬしは黙ってろ」
「最期の時を二人でお楽しみください。あっ、でも同衾は御法度ですよ」
「当たり前だ!」
「亭子院様ならやりかねない、と思いまして」
増基が肩をすくめる。
「せめてもっとぼかして言え!」
私が怒って言うと、増基は笑った。
私たちのやりとりを見ていた褒子が、くすくすと笑い声を立てる。

怖いものなどない。
そんなことを言う人間は途方もなく傲慢だと、今になって、気づいた。

   
   参考文献
大隈和雄(訳) 2012 愚管抄全現代語訳 講談社
川尻秋生 2011 平安京遷都 岩波書店 
片桐洋一・福井貞助・高橋正治・清水好子(校注・訳) 1972 竹取物語・伊勢物語・大和物語・平中物語 小学館
川端善明・荒木浩(校注) 2005 古事談・続古事談 岩波書店
角田文衛(監修)1997 平安時代史事典 角川出版 
西原和夫・塚越和夫・加藤実・渡部泰明・池田匠(編) 1994 新総合図説国語 東京書籍印刷株式会社
橋本義彦 1996 平安の宮廷と貴族 吉川弘文館
橋本義彦 1976 平安貴族社会の研究 吉川弘文館
保坂弘司 2007 大鏡 講談社
保立道久 1996 平安王朝 岩波書店
保立道久 1999 平安時代 岩波書店

褒子を元良親王の元にやって~というのはこちらで書きました。
もちろん創作です。
「魂宿し(たまやどし)」
http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-305.html

託言(かごと)の意味について
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/39939/meaning/m0u/
プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
noteのアドレス→https://note.mu/yukime0128
「小説家になろう」サイトのアドレス→http://mypage.syosetu.com/1037362/


このブログ内の文章の無断転載等はおやめ下さい。

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