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2012-11-23

天之日矛と不思議な紅い石

新羅。

天之日矛(アメノヒボコ)は持ち帰った紅い石を満足げに眺めていた。
今日は思いもかけずいい物を手に入れた。
天之日矛は牛泥棒と思しき男の命乞いを聞き入れ、この紅い石を手に入れたのであった。
男はおかしなことを言っていた。
「この石はある女が産んだものです。
外で女が昼寝をしていたところ、太陽の光が虹のように輝いたかと思うと、女の女陰の部分を射しかかりました。
私は不思議に思い、その女の様子を絶えず窺っていました。
すると幾日も経たないうちに女の腹が膨れ上がり、しばらくしてこの紅い石を産んだのです。
私は女にこうてこの石を貰いうけました。
この石を譲りますから、どうか命だけはお助け下さい」
と。
馬鹿げている。石が女から生まれるなどと。これは男の作り話に違いない。
天之日矛は皮肉気味に口を歪ませ、石を床に置いた。
すると間もなく音が聞こえてきた。
「カタタ、コトト」
「地揺れか?!」
天之日矛は驚いて辺りを見回した。
ところが家が揺れている様子はない。
ふと足元に目をやると、さっき置いた石だけが小刻みに揺れ転がり、音を放っている。
どうしたことだろう。
天之日矛は不思議に思った。
石の軌道はどんどん大きくなっていき、やがてぐるん、と大きく輪を描いた。
すると突然、女の細い足が天之日矛の目に飛び込んで来た。
顔を上げると、そこには女が一人立っていた。
薄い布を幾枚も重ねた、異国のものらしい衣裳を着ている。
女からはかぐわしい匂いがした。
睫毛は長く、顔色が透き通るように白かった。
女は衣裳の袖で口元を覆い、目を伏せている。
何ともいえない風情がある、と天之日矛は思った。
天之日矛は女の手を取り、寝所へと促した。
女は否とも肯とも言わず、静かに天之日矛に着いて来た。
目と目でお互いを確認し合い、二人は交わった。
女は口が利けないようで、閨でも微かに「音」を発するだけであった。
石が女に変わったーー不思議なことだとは思ったが、天之日矛は女に夢中で突きつめて考えようとはしなかった。


女は天之日矛の家にとどまっていた。
来る日も来る日も異国料理を作り、天之日矛の帰りを待っていた。
三ヶ月ほどが過ぎた頃だろうか。
天之日矛は女にも、女の作る料理にも飽きてきていた。
口のきけない女とは会話も出来ず、目で合図のようなものを送り合うだけ。
天之日矛はしまいに別の恋人の家に泊まることが多くなった。

ある日、天之日矛は酒に酔って自家へ帰った。
すると咎め立てをするような目の女と視線がぶつかった。
「なんだ?」
女は目を伏せる。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
天之日矛はからむように言った。
酒が随分とまわっていたのである。
女は目を伏せたままだ。
「お前はつまらん女だ」
天之日矛が呟いた。
そのときである。
天之日矛の胸が急に痛くなった。
「黙って聞いていれば、あなたは勝手なことばかり。
私を一体なんだと思っているのです。
大体私はあなたの妻になるような女ではないのです。
祖国に帰らせていただきます」
「お前、口が利けたのか……!」
「私はこの国の言葉は話せません。
あなたの胸に直接語りかけているのです」
そういうと女はそっぽを向き、戸口から出て行った。
天之日矛はしばし呆然としていた。
だが、女を追いかけなくては、という思考が頭をよぎり、慌てて追いかけた。
女は小舟に乗り出しているところであった。
「待て、待ってくれ、私が悪かった。
どうか戻って来てくれ」
「いいえ、戻りません。
あなたという人の正体が知れました」
女は精霊のようなものを呼び出し、間もなく地平線の向こうに消えて行った。
天之日矛も急いで跡を追った。
女は難波の地に腰を落ち着けた。
この女の名は阿加流比売(アカルヒメ)。
難波の比売碁曾(ひめごそ)に鎮座する大和の神であった。
天之日矛は難波に到着する直前、海峡の神に邪魔をされてかの地には辿り着けなかった。
やむなく、来た道を引き返して多遅摩(たじま)の国に上陸した。
天之日矛はもはや新羅に帰ろうとはせず、そのまま多遅摩の国に留まり、現地の豪族の娘を妻とした。



その6代目の子孫が葛城之高額比売(かづらきのたかぬかひめ)で、彼女は息長帯比売の命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)の母親である。



   参考文献
吉田敦彦監修・島崎晋著 2007 面白いほどよくわかる「古事記」 日本文芸社
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2012-11-15

トラックバック・黒歴史熟女恋物語「千年の恋 ひかる源氏物語」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー

邦画が盛況している昨今。さまざまなジャンルが網羅され、古今東西あらゆる文学作品が映像化されてきました。世界的に有名な文学作品「源氏物語」が幾度も映像化されるのも、当然のことでしょう。昨年(2011年)にも「源氏物語 千年の謎」が公開されました。しかしこの映画の評判はあまりよろしくない。劇場に観に行った妹に聞いたところ「生田斗真だけは面白かった」という始末です。そんな中途半端な駄作なら観たくないなー...
黒歴史熟女恋物語「千年の恋 ひかる源氏物語」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー



※引越して来たばかりでトラックバックの仕方がよくわかりません。不都合がありましたらご指摘下さい。


読んで懐かしくなりました。この映画については「ゲンジがたり」という記事に感想をちょろっと載せました。

以下引用

映画の「千年の恋ー光源氏物語」に至っては、「吉永小百合を出したかっただけでは?」という疑念が生まれました。金にあかせて好き勝手する男を書きたいなら、別に光源氏じゃなくてもいいじゃん…。竹中直人の明石の入道が強烈でした。まだ源氏物語をきちんと読んていない段階でテレビでこの映画を観たので、その後もこの明石の入道のイメージが中々頭から離れてくれなくて困りました。何故にあんなにギャグっぽいの(+_+)?いや面白かったけどさ…。もっと教養があって奥深い人のはずなんだがな。六条御息所の描かれ方もちょっと納得がいかない。母親の面影を求めて年上の女性に、というわけではなかったと思うのだが。六条御息所はあまり好きじゃないけど、美しくて教養が高くて当代一の貴婦人、というのをもっと出してやれよ…。紫式部と夫の姿もね…。ちょっと型にはめて考えすぎ、な感が。この映画は源氏物語というより、それが書かれた時代にスポットライトをあてているだけみたいだから、これはこれでいいんだろうけど。つか2時間で源氏は無理あるよね(-_-)

レビューを読んでやっぱり中身のない映画だったなwと再認識しました。それにしたってひどすぎますがね(^_^;)
2012-11-14

私本平治物語

「黒衣の宰相」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-255.html
「仏と仏の評定」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-279.html
「長恨歌絵巻1」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-450.html
「長恨歌絵巻2」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-451.html
「長恨歌絵巻3」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-452.html
「芙蓉の殿上人1」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-385.html
「芙蓉の殿上人2」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-386.html
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「芙蓉の殿上人4」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-388.html
「三事兼帯の者1」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-256.html
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「帝の御叔父1」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-250.html
「帝の御叔父2」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-253.html
「院御所襲撃1」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-453.html
「院御所襲撃2」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-454.html
「信西最期」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-251.html
「除目と恩賞1」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-455.html
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「平氏の棟梁、帰還」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-459.html
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「天皇の救出、上皇の脱出(仮)」
「朝敵討伐(仮)」
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「美福門院崩御」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
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「花いくさ1」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-300.html
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エピローグ1「破戒僧と一輪の菫」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-267.html
エピローグ2「月の行方」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-311.html
 
2012-11-14

プログレス法で見る日本維新の会

2012/10/16 00:52 参照数9

日本維新の会 2012年9月28日 大阪府大阪市にて発足

二年目の2013年9月28日から2014年9月27日まで。
金星と火星の吉座相(60度)。
情熱的な性格になること、情愛が豊かになること、情にもろくなること、仲間と連合して得られる利益、共同出資や共同作業による成功を示します。

月と金星の凶座相(150度)。
感情的な障害を意味します。異性による悲しみ、失恋、女性との争い、近親者とに不和を示し、金銭トラブルも懸念されます。結婚については家族が反対者となりやすい。また、この進行座相はしばしば子供を失うこと通して家庭的な紛争が起こってくることを示します。友情や社交生活も後退し、浪費や贅沢によって金銭を失いやすい。女性は不始末になりやすく、快楽の追求から信用を失います。

三年目の2014年9月28日から2015年9月27日まで。
太陽に月と天王星の合の凶座相(180度)。
月と天王星の合。変化を意味し、新奇な体験や新しい環境を求めること、生活様式を変えること、新しい試みに心を傾けることなどを示します。旅行・移転・転職もおおむね良好。特に新しいアイディアの実行やクリエイティブな仕事に関して好機に恵まれます。また、この座相のもとでは男性は女性とのロマンティックな交遊関係に心を惹かれやすく、女性にとってもしばしばロマンスを生じます。
太陽と月の凶座相(180度)。一般に不運な時期を示します。職業上のトラブル、仕事や商売の不信と損失、この生まれの人の目的に対して反対や妨害が起こること、上位の人々から損害を与えられること、不調和な結婚、家庭的な悩みや心痛が起こることを示します。
太陽と天王星の凶座相(180度)。誹謗や中傷によって地位や信用が危機にさらされること、公けの紛争や強い敵を持つこと、訴訟や告発など、全て突然に襲ってくる災厄や損害を示します。女性にとっては離婚すること、急いで結婚して突然に夫を失うことなど、全て家庭を破壊に導くことがこの期間に起こってくることを示します。
・プログレス法は基本的に人物の運勢を見るものですが、ここでは政党の結成日を誕生日としてホロスコープを作成しています。「結婚」は共同ですること、ということで、政党におきかえて考えると共党や党の合併ということになるのかもしれません。

これらに冥王星がそれぞれ90度を取り、T-スクエアを形成。
月と冥王星の凶座相(90度)。逆転、あるいは退歩を意味します。物事の撤回、努力の崩壊、反発や拒絶が起こりやすく、支持者や保護者を失うこともありがちです。また、この時期は上司や目上に尽くしても報われません。勉強不足だったり検討不足だった事柄は基礎からやり直す必要があります。しかし、こうした不運に遇った人でも、全てを刷新し、過去を脱皮して、英知を持って二者択一の決断を行えば人生に新しい局面が開けます。
天王星と冥王星の凶座相(90度)。本には載っていない座相なのですが、改革心と権力が反発し合ったりというようなことがあるかもしれません。
太陽と冥王星の凶座相(90度)。有力な後援者や支持者を失うこと、暗黙の脅威を受けたり凋落すること、努力が潰え去ること、不利な環境や情勢の変化など、全て失意につながる不運な変化が起こることを示します。
・これだけのアスペクトが集まるのは珍しい(と思います)。三年目、何かが起こるのでは?

四年目の2015年9月28日から五年目の2017年9月27日まで。
金星と土星の吉座相(60度)。
貞節な気持ちを持つこと、年長者との共同に成功すること、真面目に働く人は平常の努力が認められること、堅実な経営手腕から安定した財産を作ることなどを示します。

七年目の2018年9月28日から2019年9月27日まで。
金星と海王星の凶座相(180度)。
本には載っていない座相なのですが、共同・協調や金銭的なことが理想とかみ合わないといったことがあるのではないかと予想します。

八年目の2019年9月28日から2020年9月27日まで。
水星と土星の合(0度)。
義務の意識や責任の自覚を持つこと、精神集中力が増すこと、真面目な業務・研究・著述に良い時を示します。


私は維新の会、及び橋下徹氏に対して、今のところ何も思うところがありません。
その様から小泉純一郎氏が総理だった頃のことが想起され、同じ轍を踏むまいと、一歩引いた目で見てはいますが。
橋下氏は弁護士としてTV番組「行列の出来る法律相談事務所」に出ていた頃が丸山弁護士と共に好きでした。
いや、丸山弁護士には今も期待をかけていますけれどね。大阪都構想が持ち上がった時に一緒にやらないかということを橋下氏に打診されたということをTV番組で知ったときには、私も「やっちゃえばいいじゃん!」と無責任に心の中で煽っていました。だっていいコンビだったと思うんだもの。ミスターノーネクタイ。さっぱり見なくなったな「行列」…。
まあそれはさておき。
あの頃の橋下氏は大阪人らしく「笑い」を突きつめようとしていた。
あと、点数を多めにつけるとでも言おうか、贔屓目に見るなら「法律」というものを庶民にも分かりやすく伝え、その敷居を低くしてくれたともいえる。
なのでそういったこと一切合切をかなぐり捨てたかのような今の橋下氏を見ていると、「どうしちゃったの?」というのが先にきます。維新の会立ち上げ後、真剣な表情を全く崩さないところを見ていると、なんか笑ってしまったりもする。我ながら意地が悪いな。


私の維新の会及び維新の会に多大な期待を寄せる人、観はこんななのですが、
ただ、選挙で熱弁を奮う橋下氏のクローンみたいな候補者たちを見るとなんかね…。
平凡な人間が個性を追求しすぎると却って無個性になるのだということを私たちに示してくれているかのようで、ちょっともの悲しい気持ちになります。


まあとにかく三年目です。維新の会にとって大きな節目となる年、と私は睨んでいます。吸収合併、党首の交代、支持基盤の崩壊、などなど。太陽と冥王星の凶座相なんかそのまんまありそう。消えるのか、残るのか、二者択一はそこから既に始まっているような気がします。
三年目に何か「事件」が起き、その件をきっかけに党は静かに瓦解していく、なんてシナリオが思い浮かびますねぇ。こう、理想に行き詰った七年目に解散騒動が起き、八年目で「責任」に目覚めた党幹部が「後片付け」、「終い支度」を始める、みたいな。十年後以降もやって、もっと長いスパンで見ていくべきかな。


   参考文献
ルル・ラブア 2005 占星学 実業之日本社
2012-11-14

創作メモ:「英雄の条件」

2012/10/06 10:20 参照数7

数年前から構想はあるものの、一行もかけていないどころかキャラや設定、名前すら詰められていないというシロモノ、デス。

ぶっちゃけ書き上げることが出来る気がしないので、自分用のメモとしてブログに上げちゃいます。

政治三部作。


第一部:「英雄の条件」

施設育ちの主人公が総理大臣という高みに極(のぼ)りつめるまでを描く。

テーマは政治とは何か。


両親の離婚によって貧しい児童養護施設で育った主人公Aの元に、双子の弟だという名乗る人物Bが訪ねてくる。
身の上語りに花を咲かせる二人。
政治家になりたいというAに対し、「口下手の君じゃダメだ。俺がスポークスマンになる。容姿がそっくりな俺が、ときどき君になり替わればいい」と語るB。
役者を目指していたというBは、Aの仕草を一通り真似てみせる。
感嘆するA。
Bは政治の知識にも明るく、Aを喜ばせる。
Bは人物をチェスの駒に例えて政治状況を考える。


理想化肌のAに対し、現実を叩きつけるB。
Bの言うことを聞き入れ、一躍国会議員となるも、心が晴れないAは次第にBのことを疎ましく思うようになる。
総理大臣となるもBの言うことに耳を貸さなくなり、黒い噂のある有力者たちをどんどん切っていくA。
BはAを説得しようとするが、AはB自身も遠ざけるようになっていった。

そんなある日、「事件」が起こる……。


実はBはAの作りだしたもう1人の自分であった。
即ちAは二重人格者だったのである。


有力者たちを切っていったAは窮地に立たされることが多くなる。
そこにBがやって来て真相を話す。
驚くA。
「君は何も知らなかったのさ」、と高笑いするB。
「主人格の交代だ」
指を鳴らすB。
「君はただ眠っていればいい。俺がこの国を変えてみせる。理想だけで世の中が動かせると思ったら大間違いだ」
Bに人格を乗っ取られたAは、Bのやり方を指をくわえてみているしかなかった。

数ヵ月後、A(主人格はB)はスキャンダルや求心力の低下などから総理大臣の地位を失墜させ、政治的に失脚する。

善意と悪意とは馬車を引っ張る二頭の馬のようなものであり、どちらかだけを進ませることは出来ない。
これは政治家のみならず、一人の人間に対しても言えることである。

クリーンな政治家というものは存在せず、存在したとしたらその近辺には自らの手を汚してくれる者が必ずいるものである。
そうした政治のダークな部分とでもいうべきものを切り捨ててしまっては、政治というものはそもそも成り立たない。

といったことを象徴する作品に仕上げたいなーと思っております。

また、ミステリー仕立てにする予定。
ミスリードは気の利かない秘書の入れた一つ少ないお茶。

Aのホロスコープを設定するとするなら、冥王星を含むT-スクエアの持ち主で、総理大臣になった年にはプログレス法で太陽と水星が合の座相を形成(田中角栄さんと徳川家康が天下を取った時と同じ座相)しているような感じ。


第二部:タイトル未定

テーマは選挙とは何か。

戦後最大のフィクサーと畏れられた妙寺院(もしくは珍しい名字)正吉の養女にして、一代の英傑と謳われた東城(とうぎ)清一の実娘伶子の生き様を描く。

東城清一…貧しい家に生まれるもそのカリスマ性から一躍政治のトップに登りつめた政界の異端児。ありとあらゆる人を惹きつけてやまない磁力的な魅力を持ち、巧みな演説を武器にする。世襲議員でないことから、人々からは「一代の英傑」と称えられた。しかし、その存在感ゆえに党の存続を危ぶんだ政界のフィクサー妙寺院正吉の謀略により失脚。その後白血病を患い、失意のままこの世から去る。
ホロスコープは月(人気)と海王星(理想)の配置が強い印象。庶民性を打ち出して成功したので蟹座の影響もある。

実父の死後、相次いで母親を失くした伶子は、妙寺院正吉の元に引き取られる。伶子に政治の全てを叩きこむ正吉。反抗期らしい反抗期を経ずに大人になった伶子。孫と祖父ほどの年齢差ながら、いつしか二人の間には愛情とも、親愛の情ともつかぬ微妙な空気が流れるようになっていた。そんなある夜、正吉は伶子を衝動的に押し倒してしまう。抵抗しない伶子。
「なぜ抵抗しない」
「……」
伶子は正吉の肩越しに電灯に集まる虫を見ていた。
「私にも……、わかりません」
正吉は身を起こし、首を振る。
そして伶子の元から離れ、正吉は後ろ姿のままこう言うのであった。
「私はお前を明日、国会議員の○○に嫁がせる」
「厄介払いというわけですの?」
「そうではない。お前ももう20歳だ。私の養女として、身の振り方は考えねばならん」
「わかりました。お養父様(おとうさま)がそう仰るのなら」
納得のいかない伶子だが、養父の命令には逆らえない。
従順に従うのだった。

伶子は○○と結婚するが、その結婚生活は幸福なものではなかった。
「驚いたな。妙翁(妙寺院正吉のあだ名。名字の頭文字をとって妙翁)の手が付いていなかったとは」
初夜、ベッドに広がった血の跡を見て、こんなことを言いだす〇〇。
やがて流産をきっかけに二人の間には溝が出来、〇〇の浮気を機に二人は別居、さらに正吉が死んだことで「私に最早価値などないわ」と伶子は〇〇に離婚を迫る。
承諾する〇〇。

私は二度と結婚しないだろう。男に縋って生きるなんて、私には屈辱でしかない。けれど私に何が出来るだろうか。伶子は目を閉じ、一転空を見上げた。
私には、政治しかない。

実父である東城姓に復し、妙翁の養女にして東城清一の実娘という自らの出自を利用して選挙コーデイネーターとなった伶子。

政治を知り尽くし、選挙のいろはを心得ている伶子は、参戦する選挙全てに勝つという輝かしい成果を得る。
第一部の主人公Aの対抗馬の選挙コーディネーターを務めることになった伶子。
有利に進んでいたかに見えた選挙だったがAの対抗馬の女性スキャンダルによって初めて負ける。

「どういうことです。あなたについていれば負けることはないということだったのに!」
「私はスキャンダルにはくれぐれも気をつけなさいと言いました。今回負けた咎はあなたの方のみにある。全く、私の全勝記録をストップさせてくれて。慰謝料をいただきたいくらいだわ」

全勝記録がストップしたこと、閉経を迎えたことで、伶子の心にある変化が訪れる。
私に子供はもう産めない。
テレビには私が勝たせた国会議員の汚職のニュースが流れていた。
(中略)
議員たちを選挙に相応しい‘顔,に仕立て上げ、キャッチーなコピーを踊らせる。
私が作ってきたのは外側だけだった。
中身のことなんて考えもしなかった。
私が国会に送り出した議員たち。
彼らは皆、今はどうしているのだろう。
(中略)
何かを生み出そう。
私は決心した。

伶子はその後、輝星会(仮)という政治家を養成する塾を開く。
中身のある政治家の育成に心身を捧げる決意をしたのだ。
また、身寄りのない男の子を養子に迎える。
養父(ちち)は何を思って私を引き取ったのか、そんなことに考えをよぎらす伶子。
私はこの子を一人前に育てよう。ーー答えが見つかるまで。


怜悧な美貌に傲慢な性格を併せ持つ伶子のホロスコープ。アセンダント星座は水瓶座で、太陽星座が乙女座、もしくは全体的に乙女座の影響が強い印象。


第三部:フィクサー

戦後最大のフィクサーと畏れられた妙寺院正吉の生涯を描く。

テーマはフィクサーとは何か。

孤児である正吉は、事業をやっている妙寺院家に奉公に出る。妙寺院家当主に気にいられた正吉は、跡を継ぐように言われる。妙寺院家は名家ではあったが借金まみれで、跡目を継ぎたがる者がいなかったのだ。商才に秀でた正吉は数年で妙寺院家の借金を返し、事業を軌道に乗せる。
国政への意欲も見せ、国会議員となる。豊富な財産を元手に政財界の有力者となるも、顔の不味さから総理になることを諦める。正吉には頬に刃物で傷つけられた大きな傷跡があった。やがて政界のフィクサーとなる正吉。議員を引退後もそれは変わらなかった。
東城清一が台頭して来た際、当初は人気取りのため東城が自身の庇護している党に入党していたことを歓迎する。が、正吉の言うことを聞かず、独自の政治理念に基づいて行動する東城のことを、正吉はしまいに疎んじるようになる。そして次期総理と目されていた東城を追い詰め、政治的に失脚させる。自身の庇護する党の存続のためにも、異端児は排除せねばならなかったのだ。
あの時の自分の判断は正しかったのか。また自分は東城に対し、嫉妬や羨望の念があったのではないか。東城を追い詰めたのは、その裏返しだったのではないか。自問自答する日々を送る正吉。そんな折、東城が病で亡くなったことを知る。東城の妻も後を追うような形で病で亡くなり、残った一人娘は施設に預けられる手筈になっているという。その娘伶子を引き取る決心をする正吉。伶子の利発さや輝くばかりの美貌に東城の影を感じつつも、その成長に心慰められる日々。贖罪、悔恨、嫉妬…、様々な感情を髣髴とさせる養女伶子の存在は、いつしか正吉にとってなくてはならないものとなっていた。伶子の方でも、正吉の存在は唯一無二のものであった。二人の関係は極めて微妙なものであった。いつか壊れてしまうだろうという予感と、予感があるからこそ大切にしなければいけないという思い。そんなある夜、二人の関係性を一変させる出来事が起こる…。正吉の、そして伶子の下した決断とは?

正吉は人物を将棋の駒に例えて政治を動かそうとします。

主人公正吉のホロスコープ。アセンダント星座は蠍座。土星の影響が強い。


みたいな。


なんか年々自分の中でハードルが上がっていって、余計に書けなくなるという悪循環を引き起こしています。
プラトンの「国家」や、トマス・モアの「ユートピア(羊は大人しい動物だが最近では人間を食べつくしてしまう、というあれです)」なんかを引き合いに出したいと考えるようになったりとか。どっちも途中までしか読んでないっちゅーねん(-_-)。

政治に関する書物をたくさん読もうとしているのだけれど、政権や総理がころころ変わるものだから、いろんな本が出てて何を読んでいいかわからなかったり。同じ著者でも本によって言ってることが違ったり、出てる本の内容が
乱雑だったり、でもうわけわからん!と匙を投げたくなってます。

得意分野で攻めていくか、とホロスコープでいろいろ考えたりはしてるんだけれど、これもねえ。
でもプログレス法で見る「維新の会」と「自民党」はやろうと思ってます。
自民党は歴史が長いもんだから三年目ぐらいでやになって放置してます(^_-)。でもそのうちやります。


最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました~。
2012-11-14

有名人ホロスコープ診断5

2012/09/29 17:41 参照数32

安倍晋三さんのホロスコープを診てみます。

1954年(昭和29年)9月21日東京都生まれ。

乙女座の太陽。
公序良俗を尊ぶ心と実務能力の持ち主。支配星の水星は、この星座において実利的な知性と良い識別眼を授けます。社会への接触欲と合理的な処世方針を持ち、有用な存在となります。緻密な計画性と几帳面さがあって、仕事は正確で良心的です。遠慮深いところがありますが自尊心は強く、批判精神が発達しているために倫理観にも厳しいものがありますが、内心では世俗離れした夢を持っています。

蟹座の月。
想像力豊かなロマンティックな性格で、自分の未来に夢を持っています。感受性が強く、人生の諸状況に敏感に反応する一方、各分野の傑出した人物には自ら進んで接触を求めます。人の世話を焼く親切な気持ちがある半面、人気取りに熱中しがちな傾向もあります。ファミリー感覚に優れているため、身内を大事にします。感覚的な愛情に溺れるのが弱点ですが、良き夫・良き妻となるタイプです。

月、木星、天王星が蟹座で合(0度)。
感情・幸運・改革性が合わさり、その力は甚大なものに。それが良い方に働くか、悪い方に働くかはこの方の力量次第です。
月と木星の合。楽観主義的な人生観を持ち、のんきで寛容な性格です。同情心が強く人をよく保護する性質を持ち、健全な実務能力もあります。社会的地位の高い友人から援助を受けやすく、富の獲得が容易です。男女とも、よい伴侶にめぐり会うことにより、より充実した人生を送ります。
月と天王星の合。聡明で多才な人柄ですが、非凡な望みを持ちやすく、方にはまった考えを嫌います。感情的な緊張が強く、不安定な気分が突然に変化を起こさせます。思想と行動の独立性を守ろうとする気概が強いため、敵を作ってしまうこともあるでしょう。
木星と天王星の合。大惑星のアスペクト。独立的な生活信条を持ち、片意地に信念を固守します。革新的な思想に傾倒しがちですが、意識のレベルが高く、純粋かつ献身的な信仰心があります。ユニークな人生体験をしやすく、予期せぬときに友情を得たり知的援助に恵まれるでしょう。

これに水星と海王星の合(0度)が双子座でスクエア(90度)。
水星と海王星の合。豊かな空想力と直感的な知力の持ち主です。繊細で感じやすい神経組織を持ち、微妙な感覚に対する識別力もあります。また、他人の心情に対する同情的な理解力があります。
これらが月・木星・天王星のステリウム(惑星が三天体以上で合をとること)と凶座相をとっているため、繊細な感性と知力がユニークかつ充実した精神性と拡張性の足を引っ張りがち。

月、金星、火星が金星を中心にメディエイション(調停)。
感情と闘争心の対立を、恋愛や協調性が調和してくれます。
月と金星のトライン(120度)。情愛深く優しい性格で、穏健で正しい見通しと調和のとれた価値観の持ち主です。良い人的環境に恵まれやすく、本人ものびのびとした感性と洗練された社交感覚で周囲を魅了します。交際上の人気を博しやすく、広く愛好者を持つでしょう。男性は身も心も美しい妻に恵まれ、結婚生活の幸福を味わいます。
金星と火星のセクスタイル(60度)。温かく情愛深い人柄です。人情を理解し、進んで人を助ける義侠心もあります。社交上手が金銭的利益をもたらしやすく、金銭の運用に熟達した手腕もあります。
月と火星の凶座相(180度)。取り戻しの困難な失敗や損失に遇いやすい。男性は妻があまり役に立ってくれません。

金星と土星が合(0度)。
愛情表現が下手なために苦悩を呼びやすく、結婚も概して遅れがちです。義務や責任のために自分の幸福を犠牲にする傾向を持つ半面、困難は緩和されやすい。年齢差のある人に愛着を持ちやすく、年長者との共同に有望です。


月の影響が強い印象。月は蟹座の支配星でもあるし。繊細で優しく、感受性豊かな人なのでは?
木星が蟹座を通過する来年後半から再来年後半頃にかけて幸運が訪れるのではないでしょうか。
大惑星を含むステリウム、総理になる人の特徴だと思います。これはあくまで私見なんですが。
反面政治家としては太陽(意思)と冥王星(権力、刷新性)のパワーが弱い印象。上では書いてませんが、他の惑星とアスペクトをとってはいるものの、目立たない配置です。ノー・アスペクトというわけでもない。


個別に見ていくと、
「ファミリー感覚に優れているため、身内を大事にします。」いいことなんですけれど、組閣した際に「お友達内閣」と揶揄されていたことを思い出しました。当時私は若くして総理になるとお世話になった人を大事にしないといけないから、いろんなしがらみがあって大変よね、とか思ってたんですが。
「意識のレベルが高く、純粋かつ献身的な信仰心があります。」ここでの信仰心というのは、政治に対するものだと考えていいと思われます。
「交際上の人気を博しやすく、広く愛好者を持つでしょう。」
友に恵まれ、支持者も多いことはホロスコープ上からも読み取れます。
「男性は身も心も美しい妻に恵まれ、結婚生活の幸福を味わいます。」「男性は妻があまり役に立ってくれません。」お嬢様の奥様。そんな感じがちょっとします(^_^;)


   プログレス法で見る人生の転機。

内閣総理大臣を辞任した満53歳のとき。
月と海王星の吉座相
良い時期を示し、共同で行う企画に成功すること、愉快な楽しい経験をすること、福祉や奉仕に関心を持つこと、不思議な予感や前兆を感じることを示します。特殊な点では、敵手の害意や欺きを事前に察して逃れる意味があります。一般にこの時期は保証人になることや契約書へのサインは避けた方がよく、それが必要なら事前に調査期間を置くのが安心です。
注目すべきは後半。「敵手の害意や欺きを事前に察して逃れる意味があります。一般にこの時期は保証人になることや契約書へのサインは避けた方がよく、それが必要なら事前に調査期間を置くのが安心です。」後任の福田さんが辞任したのは「アメリカ政府から、しつこく『ドルを融通してくれ』との圧力を受けていたためである」という記事を読んだことがあります。安倍さんのときも同様のことがあったのでは?推測の域を出ないことではありますが。

安倍さんのホロスコープ診断から話しはズレますが、福田さんは次期衆議院議員総選挙に出馬せず、今期限りで議員を引退する意思を表明したそうで、ちょっと残念です。
福田さんは惑星の大半が蟹座に集中しており、木星が蟹座を通過する来年後半からは幸運期に入ります。政治家としての力があれば、活躍が期待されるのに、と思ってしまいます。
でも、幸運期に政治家を引退するというのも、センシティブな面を持つ蟹座らしい選択なのかもしれません。運の悪い時期に政治家を引退した小泉さんとは対照的です。

自民党総裁になった時を含む満57歳から満58歳のとき。
太陽とカイロンの吉座相
本には載っていない座相なのですが、自分自身を癒せるようなことがあるのではないでしょうか。総裁になったことで自己実現をはかったり、過去の自分を許せるようになるというような。

満59歳のとき。
金星と火星の凶座相
色情や享楽のために業務を怠ること、異性関係から生じる金銭的な悩み、分け前が原因で生じる喧嘩、品行の乱れ、不和、口論を示します。

満59歳から満60歳のとき。
太陽と天王星の吉座相
職業上あるいは一身上に飛躍的な進歩を遂げること、多くの友情と支持者を得ることを示します。官公職にある人は特に幸運で、公けの名誉と公共の信任を得ることを示します。
2013年9月21日から2015年9月20日、総理になれるのかもしれませんね。


安倍元総理、TV中心の生活だった頃マスコミの影響で悪い印象しかなかったのですが、TVではなくネット中心の生活をするようになってから、マスコミに潰されてしまったけれど実は有能な人だったのかも、と思うようになりました。それでもあの辞任の仕方はいただけないなーと思ってしまうのですが。
でも石破さんよりはマシ。大東亜戦争のことを太平洋戦争という人ってなんか好きになれないのよね。あの独特の喋り方も苦手。
ちなみに安倍さんなら私は麻生さんや福田さんの方が好きです。なんとなく。
谷垣さんはちょっと気の毒、と同情してしまう。麻垣康三の中で唯一総理になれなかった谷垣さん。石原幹事長はね~、親子揃って好きになれないのよ。石原都知事、そろそろ引退したらいいのに。息子さんの方はエスカレーター式に人生を生きてるボンボンという印象しかないです。


2014.1.30追記
櫻井よしこさんは2007年9月13日の産経新聞の「首相に物申す」というコーナーで安倍首相をこう評価しています。

「年来、自民党に守られてきた農村部や中小企業は、‘ぶっ壊された’仕組みの中に取り残され、悲哀に沈んだ。
苦境を緩和するのは容易ではない。

有効な手が打たれないなか、安倍首相は戦後体制からの脱却を叫んだ。
そして、実生活に今すぐ直結するわけではないが、憲法改正のための国民投票法や、教育基本法改正法など、極めて重要な国家的課題を少しずつ処理してきた。
これらはすべて、戦後六十年余りを経て、初めて実現された歴史的な変革である。

その意味で安倍政権の果たした役割は大きい。

だが、眼前の苦境に絡めとられた人々は首相の一連の動きを評価することなく、首相の曖昧路線に距離を置いた保守層と共に、自民党に大敗をもたらした。


こういうことをきちんと報道しないマスコミに対して憤りを感じつつもあり、
テレビだけをみて安倍首相を批判していた自分が恥ずかしくもあり……。

2014年1月現在、安倍首相の評価が高まっていてホッとしています。
私は自民党を支持してはいますが、熱狂的に支持しているわけではありません。
一歩引いた目で政治をみることが必要だと常々考えています。

安倍首相の今後に期待しましょう!


岡本翔子 心理占星学入門 2000 扶桑社
石川源晃 1992 [演習]占星学入門 平河出版社
石川源晃 1991 [実習]占星学入門 平河出版社
流智明 1986 占星学教本 JICC出版局
ルル・ラブア 2005 占星学 実業之日本社

櫻井よしこ 2011 宰相の資格 産経新聞出版
2012-11-14

長岡花火2012

2012/08/04 09:42 参照数29

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上手く撮れませんでした。

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2012-11-14

プログレス法でみる民主党

2012/07/17 04:16 参照数20

ホロスコープで政治というものを考える。第一弾(第二弾があるかは未定。自民党や国民の生活が第一、も余裕があったらやります。ちなみに私は元地方の郵便局長の娘ですが、現在支持しているのは自民党です。)

民主党1998年4月27日発足。

プログレス法でみていきたいと思います。「民主党」そのものの運勢です。

5年目に当たる2003年。
月と土星の凶座相(90度)。
良くない進行座相で、人生の難所を示します。名誉や体面に傷がつくこと、仕事や商売の不振、相手方の失敗、金銭の損失、相続についての悩み。場合によっては失業や倒産もあり得ます。
・民主党の菅直人代表と自由党の小沢一郎党首が民主党と自由党の合併で合意。この合併はあまり良くないものだったかもしれません。

7年目に当たる2005年。
太陽と天王星の凶座相(90度)。
非難や中傷によって地位や信用が危機にさらされること、公けの紛争や強い敵を持つこと、訴訟や告発など、全て突然に襲ってくる災厄や損害を示します。
・第44回総選挙で惨敗。

11年目に当たる2009年~20年目に当たる2018年。
太陽と火星の合(0度)。
勇敢になり闘争的になること、自由と独立を求める願望が高まること、新規の企てや事業に精力を傾けることなどを表します。しかし、怒りの増大や興奮が伴いますし、口論や喧嘩・暴力・事故に注意が必要な時期でもあります。
・与党となったときからずっと続いている座相です。与党として独立する上でとても有効に働いたとは思いますが、反面高揚状態というか、一種の興奮状態にあるんだと思います。2018年以降どうなるかが見ものです。

14年目に当たる2012年~16年目に当たる2014年。
太陽と火星の合に、木星が吉座相(60度)を形成。
太陽と木星の吉座相。社会的名声と富の会得、財政的な繁栄、善友の援助、上位者の引き立てなどすべての成功と発展へと向かう幸運期を示します。それまで下積みの境遇にあった人なら、有力者に認められ出世する時が来たことを示します。
火星と木星の吉座相。積極的な社会活動に成功すること、冒険的な行為から名誉を得ること、資産を増強したり不動産を増やす好機に恵まれることを示します。
・幸運期のはずなんですが、それなのにこれかよ、という感じです。いい流れを上手く活かしきれてないようですね。努力のしようによっては社会的名声と富の会得などが待っているはずなのですが、とてもそうなるとは思えません。

15年目に当たる2013年~16年目に当たる2014年。
水星と土星の合(0度)。
義務の意識や責任の自覚を持つこと、精神集中力が増すこと、真面目な業務・研究・著述に良い時を示します。

17年目に当たる2015年。
月と木星が凶座相(90度)。
主として財産の減少、特に投機に関しては運がない時期を示します。この座相の元では特に友情問題に関して難があり、親切心が他人につけ込まれやすいこと、軽率な約束をして後悔することを示します。拡大方針や発展策も避けるべきで、法的な交渉や役所との折衝にも幸運は望めません。

18年目に当たる2016年。
金星と天王星が吉座相(60度)。
争議の調停や仲裁役を務めて好評を得ること、投資したり仲裁したりしたものから予期しない利得があることを示します。

19年目に当たる2017年。
水星と海王星が凶座相(90度)。
プログレス法に関し、ルル・ラブア氏の「占星学」では海王星の形成する座相については記述がありませんが、水星の知性が海王星の理想を刺激し、そのことによって悪い影響が出る、と予想します。

21年目に当たる2019年。
月と天王星の合(0度)。
変化を意味し、新奇な体験や新しい環境を求めること、生活様式を変えること、新しい試みに心を傾けることを示します。旅行・移転・転職もおおむね良好。特に新しいアイディアの実行やクリエイティブな仕事に関して好機に恵まれます。


メディアをみているともうすでに末期ですが、大きな危機は木星が太陽との吉座相を解かれ、月との凶座相形成する2015年あたりですかね。
算出しはしましたが、これまでにも危ない時期等はあったので、解散の時期などは分かりません。
運勢のバイオリズムということで。


   参考文献
ルル・ラブア 2005 占星学 実業之日本社
2012-11-14

思いつきホロスコープ診断16

2012/07/14 22:24 参照数126

徳川家康のホロスコープを診てみたいと思います。
もはや何がしたいのか謎ですが、政治というものをホロスコープという見地から見てみたいのです。

天文十一年十二月二十六日 三河国岡崎(現・愛知県岡崎市)生まれ
西暦にすると1543年1月31日 

水瓶座の第二旬の太陽。
進歩性と革新精神、独創性と飛躍的な発想力の持ち主です。未来を先取りした新時代の寵児となる人がいる半面、体制に与せず過激な反逆児となる人も多くいます。自己の信念に忠実であるため個人主義者の様に見られやすいのですが、実際は同志的連帯を求める気持ちがきわめて強いです。
第二旬の太陽。天王星に加えて水星の影響を受けます。天王星の構成力に水星の知性が加わり、頭脳明晰な学問好きな人となります。意識のボルテージがきわめて高く、論理を組み立てたり言葉を操ることが巧みで、特異な思想を打ちたてます。ただし、水星の否定的性質が現れると神経的奇矯さをコントロールできなくなります。怜悧さが冷酷さとなり、鋭い知性を間違った企てのために使うようになります。

獅子座の月。
誇り高く高尚な性格です。生来人の上に立つ器量があり、頼まれると面倒なことでも引き受けて世話をします。自分の存在を強く意識しているので、称賛されることが好きです。しかし、ときには尊大で横柄な面が現れます。教養のあるなしを問わず大きな包容力の持ち主で、人の情愛には最大の反応を示します。

太陽と冥王星のコンジャクション(0度)。
外見は柔和でも表面に現れない権勢欲があり、主導的立場を強く求めます。自己本位な世渡りをしやすく、自分の野心のために権力者に近づく独特の才能もあるようです。現状刷新力と共に不可思議な人格の転換を遂げます。

太陽と月のオポジション(180度)。
意思と感情との間に葛藤を生じやすく、荒々しく好戦的な性格から仲間から孤立しがちです。職業上の問題で父親と意見が対立したり、上位者の反対を受けることもしばしばです。性格の合わない人と結ばれやすく、男性は社会的に成功しても家族の不満を招きやすいでしょう。

月と冥王星のオポジション(180度)。
気質的な反発性を持ち、虚栄と不快な自惚れもあるようです。自尊心を傷つけられたり侮辱されたりすると許さぬ方で、嫉妬と同種の感情の興奮に注意を要します。家族に対する関心が薄れやすく、肉親との絆を破る傾向があります。夫婦関係では、人に知られぬ悩みを持つでしょう。

月、冥王星、海王星が海王星を中心にメディエイション。
感情、権力、理想がときに反発しながらもお互いを高めあいます。理想を実現する上で自身の感情や権力がものを言うでしょう。
月と海王星のトライン(120度)。優れたインスピレーションと幻想的な才能を持ちます。同情心が強く慈善的関心もあります。大きな名声を得る半面、自己陶酔的な面があり、非現実的な望みを持ちやすいでしょう。

この三天体が作るアスペクトについては、

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の中で、「豊かな想像力、鋭い直観力、浄化された精神活動を表します。ただし、時流に乗れないほどの超越的な面があるために、現実と理想のギャップをかかえることになるでしょう。また、神秘的なものや霊的なものに魅せられやすく、そのために人生が不安定なる可能性があります。」と恐ろしげなことが書かれています。
こちらの本、所持してはいるものの吉座相と凶座相の分け方がほとんど曖昧なところや、書きぶりがちょっと斬新過ぎるところが気になるのであまり使用しておらず、参考文献にも加えてはいないのですが、今回ちょっと取り上げてみました。
っていうかこの調停の座相、管理人も持ってるんですよね(^_^;)。神秘的なものや霊的なものに魅せられやすいというのはあたっています。このことによって身を滅ぼすようなことがないよう気を付けます(笑)。
ただ、冥王星と海王星の吉座相(60度)は1940年から1989年生まれの人が皆持っている座相です。月は動きが早くてしょっちゅう調停を形成する座相をとりますから、この複合アスペクトを持ってる人はけっこういると思われます。150度、150度、60度からなるヨードという座相を形成している場合もありますね。

月、冥王星、土星が土星を中心にT-スクエア。
感情、権力、忍耐が不協和音を奏でます。権力を得るために感情を犠牲にしたり、忍従を強いられたり、ということがあるかもしれません。
月と土星のスクエア(90度)。劣等感を持ちやすく、常に心に不満を抱えていて憂鬱です。取り越し苦労をしやすく、自信欠如のために好機を失います。悪友が困難の原因を作りやすく、他人の干渉に悩みます。満たされない寂しい人生となりやすく、男性は妻運に恵まれない傾向があります。

火星と土星の吉座相(120度)。
並々ならぬ忍耐力と不墝不屈の精神の持ち主です。質実剛健、用意周到な性格でしょう。老いて盛んなバイタリティを持ちます。同情を退け冷酷な見せかけをするのが欠点ですが、権威ある地位を維持し得る素質があり、長期の努力によって野心を達成します。

大惑星のアスペクト

海王星と冥王星の吉座相(60度)。
精神や意識の面での内面的な革新、漠然とした状況を急激に変化させる内的な力を示す。無から有を生み出す冥王星の潜在的なパワーが海王星のユートピア思想と結びつき、人類に新時代の幕開けを夢見させたといえる。神秘的能力が加わり、超自然現象についての追求が求められる。精神的な真理への目覚め。
「海王星と冥王星」で記事にしました。http://32894990.at.webry.info/200906/article_3.html

土星と冥王星の凶座相(90度)。
極端に利己的な野心を持ち、地位や権力に対する強迫観念もあるようです。自分の目的を冷酷非情な手段によって遂げようとするため、これが原因で自滅を招きます。処理の困難な作業に一人で耐え続ける不運があり、他人の成功によって運を妨げられやすいでしょう。
これは戦国時代を生きた武将たちの世代的な特徴といえそうです。

木星と天王星の吉座相(60度)。
楽天主義的な独立精神を持ちます。宗教や哲学への独創的な見解と共に、高度の知識や学術への理解力があります。幸福な理想と高い政治理念を持ち、新しい事物に対する先見力と予知能力もあります。予期せぬときに利得を得たり、至福の好機に巡り会うでしょう。社会事業や公的な共同事業による成功も期待できます。


「外見は柔和でも表面に現れない権勢欲があり、主導的立場を強く求めます。自己本位な世渡りをしやすく、自分の野心のために権力者に近づく独特の才能もあるようです。」
「並々ならぬ忍耐力と不墝不屈の精神の持ち主です。質実剛健、用意周到な性格でしょう。老いて盛んなバイタリティを持ちます。権威ある地位を維持し得る素質があり、長期の努力によって野心を達成します。」
そんな感じですねぇ。

「極端に利己的な野心を持ち、地位や権力に対する強迫観念もあるようです。自分の目的を冷酷非情な手段によって遂げようとするため、これが原因で自滅を招きます。」
土星と冥王星の凶座相であるこの部分は、火星と土星の吉座相によって大分マイナス面が和らいだと思われます。

冥王星を含むT-スクエアは平清盛を連想しました。清盛も一介の武士から頂点まで登りつめた人ですよね。もっとも、清盛の誕生日はニュースの記事を読む限り太陽暦じゃなくて太陰暦かも?と思い始めているところなんですが。


外見は柔和でも表面に現れない権勢欲があって主導的立場を強く求める、権威ある地位を維持し得る素質、忍耐の人、質実剛健で用意周到な性格、老いて盛んなバイタリティ、権力者に近づく独特の才能のある人、どれも従来の家康像の範疇を出ないもので、正直言ってつまんないです(爆)。
冥王星が目立つのは、やはり彼が権力者だったからでしょうか。大惑星のアスペクトに関しては、戦国時代という時代の特徴だったと思われます。家康を語るなら、まず戦国時代について勉強する必要がありそうです。


関ヶ原の合戦のあった57、58歳、西暦1600、1601年のときは、プログレス法でオーブを2度と甘くとると、太陽と水星の合が形成されています。田中角栄さんが総理になった時と同じ座相です。太陽と水星の合は知識欲や研究心が高まること、勉学や教育への道が開かれること、若い人々との共同に成功すること、文筆・出版・考案・発明などすべての精神活動に関したことから成功と利益が得られることを示します。

この他の人生上の転機については余裕があったら追加していきたいと思います(^_^)/


   参考文献
秋月瞳 決定版西洋占星術実習 2009 学習研究社
岡本翔子 心理占星学入門 2000 扶桑社
石川源晃 1992 [演習]占星学入門 平河出版社
石川源晃 1991 [実習]占星学入門 平河出版社
流智明 1986 占星学教本 JICC出版局
ルル・ラブア 2005 占星学 実業之日本社
2012-11-14

有名人ホロスコープ診断4

2012/07/08 02:21 参照数112

田中角栄さんのホロスコープを診てみたいと思います。

1918年(大正7年)5月4日 新潟県刈羽郡生まれ

牡牛座の第二旬の太陽。
実際的な感覚と不屈の活動力の持ち主です。この生まれの人は、決定は遅いですが一度決意が固まると堅忍不抜の意思力をもって物事を推進していきます。用心深くはありますが人に信用されればよく責任感を果たし、途中で立場を放棄することもありません。その手腕は堅実で安定性があり、人の信頼に足るものを備えています。
第二旬の太陽。金星に加えて水星の影響を受けます。親しみやすい好感の持てる人物ですが、水星の否定的な部分が現れると、人の心を読み取る狡猾さが現れ、移り気で子供っぽい自惚ればかりが強い人となりがちです。

水瓶座の月。
理解力に富み聡明な性格で、明るい気質の持ち主です。友愛心に富み。親しみやい社交性を持っていても自主性を失わず、自他共にプライバシーを尊重します。

月、土星、太陽が太陽を中心のT-スクエア。
感情・努力・意思が大喧嘩。自分の意思と感情が相容れないものとなったり、それに対する努力が報われなかったり、ということがあるかもしれません。
月と土星の凶座相(180度)。
劣等感を持ちやすく、常に心に不満を抱えていて憂鬱です。取り越し苦労をしやすく、自身欠如のために好機を失います。
月と太陽の凶座相(90度)。
意思と感情との間に葛藤を生じやすく、荒々しく好戦的な性格から仲間から孤立しがちです。職業上の問題で父親と意見が対立したり、上位者の反対を受けることもしばしばです。男性は社会的に成功しても家族の不満を招きやすいでしょう。
太陽と土星の凶座相(90度)。
実力が充分にあったとしても不運な障害に遭いやすく、人生上の発展を阻止されがちです。野心家である割には小心。義務観念に縛られやすく、社会的成功者になってもどこか人生に失敗感がつきまとうでしょう。

太陽と火星のトライン(120度)。
強固な意思と精力に満ちた強い体質を与える座相です。勇敢で決断力に富み、指導力と支配力もあります。自己の意図するところを良く自覚しており、何事も主導的立場で采配処理していくことを好みます。

月と木星のトライン(120度)。
慈悲深く宗教心に富み、他人を寛大に扱い、またよく援助する性格です。中々抜け目のない実際的能力があり、ビジネス上の幸運が多い。良友の援助に恵まれやすく、投機による利益も期待できます。住居運がよく、家庭環境も良好です。男性は身も心も健全な妻に恵まれ、充実した結婚生活を営むことが出来るでしょう。

金星と海王星のトライン(120度)。
夢見がちな性質と魅惑的な個性を持ちます。魅力的な恋人となるでしょう。洗練された高尚な趣味を持ち、音楽や芸術への献身性もあります。

水星とカイロンのコンジャクション(0度)。
知性に関してコンプレックスを持ちやすい。


大惑星のアスペクト。

天王星と冥王星のトライン(120度)。
古い体制を崩壊して新しい事物を創造するという意味を持ちます。革命的変化への無限のエネルギーと休みなき戦闘力があり、目的達成のために集団を組織する特殊な能力を持ちます。

土星と海王星のコンジャクション(0度)。
物質社会で理想を形成しようとする願望と、自力本願の信念を持ちます。犠牲と受難を甘受したり禁欲生活への憧れもあるようですが、概して野心的で世俗的名声への欲求強い方でしょう。社会的に抑圧されやすく、地位や経歴について奇妙な醜聞がつきまとうこともありがちです。

90度の凶座相、もしくは60度の吉座相でこれらの大惑星と他の惑星がアスペクトを取っています。
よって田中角栄氏はこの大惑星のアスペクトを受けていると思われます。


気になるのは太陽と月ですね。T-スクエアの中に二天体が組み込まれています。
太陽と火星のトライン、月と木星のトラインはこの方にとってとても有利に働いたのではないでしょうか。
これによってT-スクエアの悪い影響も乗り越えることが出来たのではないかなと思われます。

「知性に関してコンプレックスを持ちやすい。」小学校しか出ていないことを売りにしてはいましたが、やはりコンプレックスは感じていたのではないでしょうか。

「古い体制を崩壊して新しい事物を創造する」「野心的で世俗的名声への欲求強い方でしょう」大惑星のアスペクトが形成される世代の特徴ではありますが、これらの傾向を引き受けているところ顕著、の様に思います。

「親しみやすい好感の持てる人物」で、「用心深くはありますが人に信用されればよく責任感を果たし、途中で立場を放棄することもありません。その手腕は堅実で安定性があり、人の信頼に足るものを備えています。」だったのではないでしょうか、実際に。

人生上の転機

1960年、42歳のとき。プログレス法で見ると、太陽と木星が合(0度)の座相をとっています。
この配置は幸運期を示し、富と成功への道が開けること、大望を持つこと、有望な事業計画に恵まれることなど、人生最高の好機が訪れることを示します。戦後初めて30歳代での大臣就任を果たし、希望に満ちあふれていた時期ではないでしょうか。

総理大臣となった1972年、54歳の時には太陽と水星、冥王星が合(0度)。
太陽と水星の合は知識欲や研究心が高まること、勉学や教育への道が開かれること、若い人々との共同に成功すること、文筆・出版・考案・発明などすべての精神活動に関したことから成功と利益が得られることを示します。
太陽と冥王星の合は人生の分岐点を意味し、暗黙のうちに行われる地位や境遇の徹底的な変化を示します。行動には確信があり、太陽と冥王星が入るハウスとサインの意味に従って意外な力量の発揮が可能となります。ハウスはわからないのですが、星座は蟹座です。優しさやセンシティブな事柄によって成功を収めるのではないでしょうか。相手の懐に入って政局を優位に進めたり、優しさや庶民性を押し出して政治に活用したり、というような。

1984年、66歳の時には金星と木星の合(0度)が形成されています。社会の慣習に適合する能力の増加、礼儀作法の改善、芸術的な興味から物質的な利益を得ること、優秀な人々から愛されること、社会的成功者や目上の幸運に従って行うことは大体成功することを示します。自民党総裁選がありましたね。田中派内の中堅・若手により、竹下登を中心とした「創政会」の設立準備が進められた時期でもありました。

ロッキード事件のときはプログレス法では座相は作られていませんでした。真相は不明です。


とっても健全なイメージです。ホロスコープ上で太陽と月がきらきらと輝いているような感じです。

小沢一郎氏は田中角栄氏に特に目をかけられたようですが、性格はかなり違ったと思います。小沢氏は独立独歩で敵を作りやすい孤高の人、という印象を受けますが、田中角栄氏は‘人,に恵まれる運をおそらく持っています。性格的に他者に対して寛大、とても懐の深い人だったのではないでしょうか。


プログレス法の使い方に慣れてきました。
今は本を片手に頭だけを使って四苦八苦しながらやっているような状態ですが、インスピレーションをより豊かにしてもっと自由にホロスコープを読めたらいいですね。
2012-11-14

小沢さんのターン

2012/07/01 18:41 参照数38

小沢一郎さんのホロスコープを診断し、

http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-20.html

で、

「惑星のほとんどが双子座に集中しています。
理論的な思考を持ち、弁舌も巧み。知的好奇心に溢れ、フットワークも軽いでしょう。
反面で温かみに欠け、冷たい人と写ることも。

木星が双子座を通過する2013年には大きな幸運や好機が訪れるのではないかと。」


とか書いてたわけですが、木星が双子座を通過するのは今年2012年6月からでした。

よってこれからの一年ほどは小沢さんに木星の恩恵が訪れると思われます。

幸運、チャンスが舞い込むでしょう。

診断した当時は2012、13年なんてまだまだ先で、小沢さんは亡くなってるかもしれないなーと不謹慎なことを考えていた私ですが、最近またしても存在感を増してきた小沢さんの姿を見て、木星の双子座通過に思い至りました。

大吉星を背中に背負った小沢さんを相手にする方はしんどいかもしれませんね。
2012-11-14

エピローグ「破戒僧と一輪の菫」

2012/06/30 16:21 参照数70

承安元年(1171年)ー。

野に咲く一輪の菫のような人だと思った。
中宮、女院、女としての最高の栄華を極めた人だとは、とても思われなかった。

尼削ぎのせいもあるのだろう。
その姿は清廉で、どこか人を寄せ付けない‘頑なさ,が感じられた。
それでもよくよく目を凝らしてみれば、しとやかな肌と小作りの可憐な目鼻立ちが印象的だった。
帝の寵愛は薄かったと聞くが、何故(なにゆえ)だろうと澄憲は不思議に思った。


澄憲は高松院の御持僧である。
高松院姝子内親王は永暦元年(1160年)に出家し、応保二年(1162年)に女院宣下をされて女院となっていた、鳥羽院の皇女である。
澄憲は平治の戦で殺害された信西入道の子息で、説法の名人として知られていた。
その弁舌は雄弁で巧み、緻密でありながら大胆で、聞く者をうっとりさせずにはおかなかった。
また、澄憲は説法の内容を聞かせる相手によって変えていた。
庶民の者にはわかりやすく、時折り下世話な話を交えながら説法とした。
身分の高い貴人に対しては教養の高さを窺わせるような、相手の自負心をくすぐるような逸話を交えて語った。
源氏供養などがその一片であった。
これは紫式部は「源氏物語」において男女の愛欲生活を描き、ために読者たる多くの男女を奈落の劒林に陥れた。この罪根の故に、式部の亡霊は苦界に沈み、浮かばれないでいる。これを救うために「法華経」を書写して供養せねばならない、というものである。
この源氏供養は源氏物語に親しむ貴族の間で、大いに喧伝された。

澄憲はまた、僧でありながら女人と密通し、子まで設ける破戒僧であった。
そのことを兄弟たちに咎められることもあった。
彼のすぐ上の兄、静賢からは、
「目立ち過ぎだ。僧だというのに宿坊に堂々と女を置いたりして。お前、父信西の子供だという自覚はあるのか?父の名に恥じないように生きることが、父への供養になるとは思わないのか。」
と言われた。
「その父だって僧でありながら妻を持っていたでしょう。子も二十人近くはいた。一体どこが違うというのです?」
澄憲は飄々とこんなことを言ってのけた。
「父は出家前に正式な妻を二人持っていただけだった。遊びで女たちを抱くお前とは違う。」
「これは聞き捨てならない。私はいつだって本気です。」
澄憲は自信たっぷりである。
「本気の奴があんなの多くの女人に手を出すか。」
静賢は呆れた。
澄憲の言葉に嘘はなかった。
彼はその刹那だけは女を心から愛し、ことに及ぶのである。
ただし、それが永続的に続くことはない、というだけのことであった。
「それにお前、最近おかしいぞ。高松院様の御所に毎日のように入り浸っているそうじゃないか。御持僧だからって、こうも頻繁だと世間から怪しまれるぞ。」
静憲はそこではっとした。
「まさかお前、高松院様と通じているわけではあるまいな。」
静憲は恐る恐る澄憲に問うた。
「まさか、滅相もない。」
澄憲は大げさに手を振った。
「ならばよいが…。いいか、くれぐれも変な気を起こすなよ。あの御方は上皇からも大事にされている至上の女性だ。分かってはいると思うがな。手を出したら、それこそ命にかかわるぞ。」
静憲は上皇からの信任厚い、元法勝寺の執行であった。
「分かっていますよ。私には私の考えがあるのです。あの女院に取りいれば、それこそ我が一族の栄達は思いのまま、というものでしょう。」
「そんな考えであの御方に侍るものじゃない。怒るぞ、お前。」
静賢は物静かではあったが尊貴な人を敬う心には人一倍強いものを持っている男であった。
「これは失礼しました。兄上。」
そこで澄憲は少し間をおいた。
「私はあの御方の不幸をお救いしたいのですよ。」
「お救いする?何をたわけたことを。出家の身とはいえ、あの御方は太上天皇にも準ずる位を持つ御方だぞ。不幸せなはずがあるまい。」
「女人と契ったことのない兄上にはわからないことでしょうね。」
澄憲の口調は憐みを含んでいた。
一生不犯の僧である静憲は、それに気付いたがそのことを不幸だと思ったことはなかったので、軽く聞き流した。
澄憲は、
「口が過ぎました。このことはどうかお忘れ下さい。」
と言って軽く一礼をした。
「なら良いが…。」
「約束がございますので、私はこれにて失礼いたします。」
そう言って澄憲はその場を後にした。
静賢は何も言わずにその後ろ姿を見送った。


澄憲は御持僧となったその日に、女院の不幸に気付いたのであった。
二十代という若さながら一心不乱に念仏を唱え、ただ来世での幸せのみを祈願する、その姿に。
この御方は女としての幸せを知らずに今日まで過ごしていたのではないか。
高松院が実は名ばかりの中宮であったことは澄憲も噂で知っていた。
だがそれにしても、この女性(にょしょう)には‘幸福の軌跡,のようなものが見受けられない。
二条天皇は、この御方を愛でたことは一度もなかったのだろうか。
一見女としての魅力が十分に備わっているように見受けられる、この女性を。
そこで澄憲はある夜、女院に聞いてみた。
「中宮としての暮らしは幸せでしたか?」
と。
「…。」
沈黙する女院。
しまった、やはり不躾であったか、と澄憲が後悔し始めていた頃であった。
女院がおもむろに口を開いた。
「…幸せとは、なんでございましょう。」
澄憲は驚いた。
女院という女としての最高位にいる御方が、まさかこんなことを口走るとは、と。
この御方は幸せの意味すら知らずに今日まで過ごしてきたのだ。
澄憲は心から同情した。
女院に幸福というものを教えたくなった。
「女院様…。女にとっての幸せとは、なんといっても男に愛されることです。どんなに美しい衣(きぬ)を身に纏っても、それを知らなければ空しいだけ。このことを、あなた様は身を持って感じたのではありませんか。」
「私には、殿方に愛される資格などありません。あったとしても、それが幸福につながるとはとても思えません。」
少し投げやり気味に女院は言った。
「そんなことを仰らないで。あなたは誰よりも美しく、可憐だ。」
澄憲は女院の手を取る。
その手を振り払い、女院は言う。
「その昔、父母からもそう言われました。けれどそれは、娘可愛さからくる発言でしかありませんでした。その証拠に、夫である二条天皇から、私は見向きもされませんでした。そなたもそんな世辞を言うのはおやめ。聞きたくありません!」
「女院様。どうか私を見て下さい。この目が嘘偽りを言っているように見えますか?」
澄憲は女院と視線を合わせた。
目は少し潤んでいる。
その真摯な様子にたじろぎ、女院は澄憲から目線を外した。
「もっとよく私を見て。」
そう言うと澄憲は女院の側にぐいっと寄り、女院の両手を取った。
そしてその手にそっと口づける。
「もう一度言います。あなたは誰よりも美しい。他の誰がどう言おうとも、私はそう思う。それでよいではありませんか。たった一人の男につれなくされたからといって、自分を蔑むことはないのです。」
「でも…。」
「恐れながら。私があなた様に教えて差し上げます。男女の営みとはどういうものかを。本当の幸せの意味を。」
澄憲は熱を込めて女院に語りかける。
「それに私はあなた様が愛おしいのです。たった一度でいいのです。この哀れな僧に、情けをかけては下さいませんか?」
‘愛おしい,という言葉に女院はわずかに反応を示した。
あと一息だ、と澄憲は思った。
澄憲にとっては潤んだ目で相手を見つめることも、様々な言葉を巧みに操って女人を口説くことも、至って容易なことであった。
「女院様。どうか私に身をお任せ下さい。例えそれで地獄につき落とされたとしても、二人一緒なら何も怖いことはないではありませんか。」
「私を愛しいと、本当にお前は思っているのですね?」
女院が念を押した。
「もちろんにございます。」
嘘ではなかった。
この瞬間、澄憲の頭の中には女院のことしかなかった。
この哀れな女人を救いたいと、心の底から思った。
元々、いつもうっとりと説法を聞いている女院も自分のことを憎からず思っているはずだ、という自信もあった。
澄憲は決して男ぶりがいいというわけではなかったが、その口の上手さと自信に満ちあふれた態度で多くの女性を虜にしていた。
女院もその例にもれなかったというだけのことである。
女院の警戒心と自負心から手間は少々とれたが、結局は女院も澄憲に身を預けることとなった。
側仕えの女房が几帳を持って来て、褥を設えた。
澄憲が女院を几帳の中へと導き、そっと肩を抱いた。
か細い身体をした女院は、そのまま澄憲の腕の中に崩れ落ちた。
帳台の灯りが消される。


澄憲は女院の口を吸う。
そして口腔に舌を入れるとそれを大胆に動かして、濃厚な口づけを交わした。
女院はされるがままであった。
「女院様。もっと身体を楽に…。何も怖がることはないのです…。全てを私にお任せ下さい。」
身を強張らせている女院の緊張を解きほぐすため、澄憲はこんなことを耳元で囁いた。
女院の身体の緊張が少しほぐれた。
それを待っていたかのように澄憲は合わせの中に手を差し入れ、乳房を揉みほぐす。
薄桃色の乳首が桑の実の様に色づくまでには時間がかかったが、澄憲は焦ることもなかった。
今まで相手にしてきた女性は千人近く。
女性の扱いには慣れている。
木の実のような小粒な乳首を親指と人差し指でつまみ、舌を巧みに動かししゃぶった。
そして耳元で熱に浮かされた少年のように睦言を囁く。
「本当に、夢のようだ。あなたのような至高の女性と閨を共に出来るだなんて。」
こういったかと思えば、その直後に
「ほらこんなに色づいて。見て御覧なさい。」
と女院の首を動かし、そっと視線を女院自身の胸に向かせたりもする。
「いや…ですわ。そんなことを言って……。」
女院は照れて顔をそむける。
「いいえ、よく御覧なさい。そうだ、触れてみればいつもとは違うことがよくおわかりになるでしょう。」
そう言って澄憲は女院の手を自身の乳房に触れさせた。
「どうです?固いでしょう。これはあなた様がまぎれもなく女であるということの証。」
次に澄憲は左手で女院の肩を抑え、右手右指で女院の秘所をもてあそんだ。
人差し指で中を軽く擦り、経路を確認する。
「このままで、いて下さい。」
そう言うと澄憲は女院の秘所に顔を埋めた。
「なに、を。」
女院が驚いて身を起こそうとすると、澄憲は顔を上げてそれを制した。
「いいからお待ちなさい。帝はこんなことをなさらなかったかもしれないが、これはそう悪いものではないはずですよ。」
そう言うと澄憲は女院の秘所を舌で舐め始めた。
細く長い舌。
秘所の奥の方まで届く。
「恥ずかしゅう、ございます。」
女院は身体を引こうとしたが、澄憲は女院の両の太股を掴み、離さない。
やがて女院は諦め、その舌の動きに身を任せた。
「…あっ……・。」
舌が女院の快楽の壺を捕らえたようだ。
澄憲はそこを執拗に舐め、指を使ってまさぐった。
「私が、欲しいですか?」
女院は答えない。
だがそれとは裏腹に、女院の秘所はしとしとと濡れている。
これがその答えだと、澄憲は思った。
「仰ってください。女院様。」
「…。」
「私はあなたが欲しいですよ。私のここはもう、こんな状態です。」
そう言って澄憲は女院に自身のものを触れさせた。
「まあ。」
女院は感嘆とした声を上げる。
「初めてですか?男根に直に触れるのは。」
「…ええ。こんなものが、私の内に入るのかしら。」
「入りますとも。これだけ濡れていれば。」
そう言って澄憲はびしょ濡れの女院の秘所に触れた。
女院は恥ずかしくなったと見え、そっぽを向いた。
秘所の内を指で手繰りながら、澄憲はなおも女院の返事を待っている。
自身はもう達しそうで、必死にそれを堪えている状態だ。
それでも表情は余裕を保っている。
「…あっ。どうして…こんな意地悪を…なさいますの?」
「意地悪ではありません。私はあなたが本当に男を欲しているということを確かめたいのです。」
「男を欲しているだなんて、そんな…。」
「あなたはとても奥ゆかしい人だ。それがあなたの魅力でもあるが、ときとして裏目に出ることもある。きっと帝と上手くいかなかったのはそのためでしょう。」
「そう…、かもしれません。」
女院は肩で息をしていたが、やがて目を閉じ、控え目に口を開いた。
「欲しゅう…、ございます。」
その言葉を聞くと、澄憲はすぐさま女院と交わった。
「あっ…、あ、」
女院が歓喜の声を上げる。
体内で躍動するその動きを、女院は生まれて初めて心地いいと思った。
いつしか二人は身体を完全に密着させ、女院は澄憲の身体に腕をきつく絡ませた。


二人の逢瀬はその後も頻繁に続いた。
澄憲は女院の御持僧であったから、二人きりで会っていても怪しまれることはなかった。
間もなくして女院は身籠り、男の子を出産した。
子は秘密裏にとある女房の家に預けられた。

安元二年(1176年)ー。
女院はまたも身籠っていた。
だが、今回の妊娠は悪阻がひどく、見る間に女院は痩せ衰えていった。
そして五月、とうとう床に着いた。
医師も薬師も高松女院の元を訪れたが、病状は芳しくなかった。
そして六月、病状が悪化してとうとう死を覚悟せねばならない事態となった。
女院は病床で「澄憲様…!澄憲様…!」と頻りに言っていた。
その真剣な様子に、澄憲はたじろいだ。
女院の乳母はそんな澄憲を女院の眠る臥所の中へと引き入れた。
あらかじめ人払いはしてある。
「待て、穢れに触れることになってしまうのではないか。」
澄憲が言う。
「いいんです。早く!」
この乳母は主に対する忠誠心に篤いことで知られていた。
澄憲が目にしたのは、陰部から血を流しながら床に着いている女院の姿であった。
「澄憲…様……。」
女院が静かに微笑む。
頬の窪みが痛々しかった。
「澄憲様…。私は知っておりました。あなた様の私に対する想いが、ただの同情に過ぎぬことを。されど私は幸せにございました。男の方の腕(かいな)が、こんなにも温かくて心地の良いものだとは知りませんでした。」
「女院様…。」
「私は直にこときれます。もし私に対する情が一欠片でも残っているのなら、私の産んだ子をあなた様のお側において下さいませ。」
「はい。約束いたします。」
澄憲は初めて閨を共にした時と同じように、女院の両の手を持ち、口づけた。
そして女院の痩せた身体をかき抱き、愛おしげに抱いた。
女院は数刻後、息絶えた。


その生き様は後の世の人には哀れとも、醜聞とも映ろうが、当人にとっては愛しい男の腕の中で死ねた、幸福な最期であった。


澄憲は女院との約束を守り、女院との間に生まれた子を「寺で拾った」と偽って弟子にし、肌身離さず傍においたということである。
2012-11-14

歴史小説「三条の家の子1」

2012/06/24 03:32 参照数51 ブログ気持ち玉「面白い」×1

「四位少将の時刻になってしまったわ」
女房たちのささめき声。
先払いも華やかに、公教は三条室町殿に参上する。
その出で立ちは、好ましい様子に染めた狩衣の左右の袖が香色になるまでに薫物(たきもの)を染み込ませて、月を描いた扇子を持つという派手なものであった。
公教は夕刻になると決まって愛顧を蒙っている院・女院の御所に参上するのを常としていた。
その姿があまりにも自信に満ちあふれているので、女房たちはからかい半分に「四位少将の時刻になってしまった」などと言って笑うのであった。
「少将様、今日は何の御用で?」
一人の女房が笑みを堪えながら言う。
「用もなく来てはいけませんか?」
公教の物言いは気取っている。
「そんなことはありませんけれど、こう毎日ともなると、ねえ?」
そう言って女房は同意を求めて辺りの女房を見廻す。
女房たちは含み笑いをしている。
毎日自分の存在を見せびらかしに来る少将が、女房たちには少し滑稽だった。
女房たちは公教が来ることを決して嫌がっていたわけではなかった。
公教がいるだけでその場が華やぐし、院御所の評判にもなろうというものである。
だが公達が来るともなると女房たちは公教や従者たちへのもてなしに忙しく立ち回ることになる。
夕刻時だというのにおちおち休んでもいられない。
それがほんの少しだけ不満だった。
「匂いやかな花に吸い寄せられる蝶の様に、私も美しいあなた方の元へ参じずにはいられないのです。」
庭先で公教が言う。
「まあよく仰いますこと。」
そう言って女房の一人が袖を口元にあてた。
公教と噂のある、小百合という名の女房である。
「本当ですとも。中でもとりわけ花に蔽われた垣根の内にある大輪の花はさぞ美しいのでしょうな」
公教が尋ねるように言う。
「待賢門院様のことかしら。その姿をご覧になったこともないくせによく言うわ」
小百合が答える。
公教とはすでに別れたとみえる。
「私は女院の実の甥ですから。もっとも、二歳齢下なだけですがね。御簾の内に入れてもらったことはありませんが、遠目にその御姿を拝見したことはありましたよ。いやはや、およそこの世の人間とは思えないほどの美しさでしたね」
公教は目をうっとりとさせている。
それが小百合には癪に触った。
「私たちのお仕えしている御方ですもの。魅力的で当たり前だわ」
「そう目くじらを立てないで下さいよ。男が美しい花に吸い寄せられるのは、それこそ当たり前のことでしょう?それに男が惹き付けられるのは、何も大輪の牡丹と決まっているわけじゃない。庭に咲く小花や小百合に惹かれる私のような人間だっている。どうです?今宵もう一度…、」
そこで小百合は公教の頬をぴしゃりと打った。
「浮気しておいて何をいけしゃあしゃあと。全くもってずうずうしい男!」
小百合はそっぽを向いて御所の内へと引っこんだ。
公教は両手を上げておどけた表情を作ってみせる。
一連のやり取りを見ていた女房たちは、揃ってどっと笑った。
公教は自分に自信があるだけあって顔立ちも麗しく、身のこなし方も上品で立派だった。
女房たちからも当然人気があった。
恋人になれるものならなりたい、と皆が思っていた。
小百合とて、公教のことを本気で嫌っているわけではなかった。
ただ、公教が他の御所の女房とも関係を持ったのが気に食わなかっただけである。
「さあさあお前たち、いつまでも遊んでいないで少将と従者たちを歓待して。丹波、お前は酒を。上総、お前は唐菓子をそれぞれ持っておいで。」
古株の女房が声を大にしてそう言うと、女房たちは散り散りになった。
公教は満足気な表情を浮かべて軒先に座った。
空は黄昏。
橙色の空に霞がかった雲が美しい。
今宵はどの女房に戯れをかけようか。
公教は浮かれてそんなことを考えていた。


公教は使いの者の声で目を覚ました。
夢であったのか。
もう何年前の話しだ。
私は五十七歳だから、もう四十年近くも前になるのか。
思えばあの頃が一番幸せだったかもしれんな。
公教は院御所に足繁く通っていた青年期の自分を懐かしんだ。

公教は内大臣の位にある。
今の自分にさして不満があるわけではなかった。
ただ、気楽でいられた若かりし頃が愛おしくなっただけのことである。
あの頃の自分は責任も義務も負ってはいなかった。

父は閑院流の嫡子に相応しいのは自分だ、と息巻いていたが。
私の祖父・藤原公実はその昔祖母を捨て、堀河の帝と鳥羽院の乳母、従二位光子殿を北の方に迎えていた。
祖母は長男や次男である父を産んでいたにもかかわらず、だ。
祖母は「私が捨てられたんじゃない。私があの男を捨てたのよ」と最後まで言い張っていたが、仮にそうであったとしても、そのために子供たちが庶子扱いされたとあってはたまったものではない。
そのことで父はいつも愚痴をこぼしていた。
十も年下の異母弟通季に官位ではいつも先を越され、同じ官に任じられたときは通季の方が上首とされる。
全くもって腹正しい、と。
閑院流の正嫡に伝えられるという牛車も叔父通季殿が伝領した。
しかし、祖父の主たる御所であった三条高倉第はかろうじて死守した。
祖父は生前から自分のことを「三条大納言」と号していたという。
父は自らのことを三条太政大臣だと称している。
閑院流の嫡子は自分だと、世間の人々に印象付けるためであろう。
人々はどちらかといえば父のことをその邸宅にちなんで八条入道相国、と呼んでいたが。

だが、父とその異母弟との確執はある日あっけなく終わりを告げた。
通季殿が三十八歳の若さで急死したのである。
父はこれでやっと異母弟の風下におかれるという屈辱から解放される。
よかったよかった、と言っていた。
通季殿の同母弟実能殿は父より十六歳年下だったから、敵対視することもなかった。

公教自身は父が通季殿の風下におかれるのも仕方あるまい、と見ていた。
通季殿や父が昇進を重ねることが出来るのは、待賢門院様の縁者を引き立てようとする白河院の力によるところが大きかったのだ。
そして待賢門院様の同母兄は通季殿・実能殿であり、三人の母が光子殿なのである。
光子殿は傍から見ていてもやり手であった。
娘を故左大臣源有仁殿に縁付かせたりもしていた。
讃岐院にもしものことがあれば、有仁殿は有力な天皇候補となり得る。
その辺りを踏んで光子殿は娘と有仁殿を娶せるよう白河院に懇願したのだろう。
いやはや、敵ながら天晴れ、というものである。

だが、先の治天の君白河院が亡くなると、待賢門院様の勢力は日に日に陰りを帯びていった。
新たな治天の君となった鳥羽院は、私の母方のいとこの美福門院様を寵愛し始めたのである。
最初の頃はたかが諸大夫の娘、と美福門院様を侮っていた父も、その寵愛が深くなるにつれ、これに近づき追従するようになった。
父の変わり身の早さに、私は反発を覚えた。
だが、私も結局は同じか。
待賢門院様に目をかけられていたことがあったにもかかわらず、私は美福門院様の側についた。
近衛帝死去の際に次の後継者を決める、王者議定にも参加した。
間もなく戦が起こり、讃岐院は讃岐へと配流された。
あれは本当に正しかったのだろうか。
王者議定で後継を重仁親王にしさえすれば、戦は起こらなかったのではないか。
公教は時々このように考える。
公教は人一倍責任感の強い男であった。
だがそれももう過ぎたことだ。
議定で次の帝に指名された四の宮雅仁親王は位を退いて上皇となり、本命であった守仁親王が昨年無事即位した。
これで美福門院様もご安心、というものだろう。

主上の後宮には姝子内親王が参入しているから娘を上げることは出来なかった。
美福門院様の不興を買わないようにするため、やむを得なかったのだ。
しかし、保元二年(1157年)に私は娘琮子を当時は帝だった上皇の元に参じさせることが出来た。
女御として、ではあったが。
実能殿の孫、忻子殿は保元元年(1156年)に上皇の中宮となっていた。
摂関家の娘、内親王、あるいは皇子を産んでいる妃以外では初めての后立ちである。
これにはある思惑があった。
話しは鳥羽院が近衛帝の後継に四の宮雅仁親王を指名した頃に遡る。
鳥羽院は反乱分子になるであろう讃岐院、故藤原頼長殿、ひいてはその背後にある富家殿(忠実)、を抑え込むために頼長殿と婚姻関係を結んでいた実能殿の家系に暗に餌(え)をちらつかせた。
頼長殿との関係を断てば一門から中宮を出してやるぞ、と。
頼長殿は実能殿の娘幸子殿と婚姻関係を結んでいたのだが、ちょうど近衛帝崩御の一月前に幸子殿は亡くなっていた。
仮に中宮を出してやる、と言われていなくてもあの利に敏い一族のことだ。
頼長殿からは離れていただろう。
通季殿が消えてくれて安心していたと思えば、全く油断も隙もない。
公教は父の閑院流の嫡流になるという思いを受け継いでいた。
閑院流の嫡流は祖父の長兄である父だ。
二代の乳母として宮廷で力を保持していた祖父の正妻従二位光子殿も、後宮で絶大な勢力を持っていた待賢門院様も、この世にはいない。
そして父は太政大臣、私は内大臣という高位にある。
ちなみに実能殿は左大臣、その嫡子公能殿は権大納言である。
閑院流の嫡流は我らの家系と決まったようなものだ。
だがこれだけでは安心出来ない。
中宮忻子殿が皇子を産めば、皇家の勢力図はまた変わってくるだろう。
何か我らの優位を決定づけるものはないか。
ここ数年来、公教はずっとこんなことを思案していた。
2012-11-14

歴史小説「私本平治物語」参考文献&目次&二条天皇について

2012/06/18 22:38 参照数102

適宜追加、排除していくつもりですが、とりあえず参考にしたもの、これから参考にしようとしているものを挙げました。
美川圭 2006 院政ーもう一つの天皇制ー
大隈和雄 1999 愚管抄を読む 講談社
朧谷寿 1991 王朝と貴族 集英社
角田文衞 1977 王朝の明暗 東京堂出版
角田文衛 1985 待賢門院士璋子の生涯ー椒庭秘抄ー
橋本義彦 1996 平安の宮廷と貴族 吉川弘文館
橋本義彦 1976 平安貴族社会の研究 吉川弘文館
橋本義彦 1964 人物叢書藤原頼長 吉川弘文館
保立道久 1996 平安王朝 岩波書店
保立道久 1999 平安時代 岩波書店
市古貞次 1987 信西とその子孫 日本学士院紀要
岩原小弥太 1959 少納言入道信西
河内祥輔 2002 保元の乱・平治の乱 吉川弘文館
木村真美子 1992 少納言入道信西の一族ーー僧籍の子供たち 史論
松島周一 1993年 藤原経宗の生涯-後白河院政と貴族層について- 愛知教育大学研究報告(人文科学)42
佐伯智広 2004 二条親政の確立 日本史研究
曽我良成 2011 二条天皇と後白河上皇の応保元年 名古屋学院大学論集
元木泰雄 1991 信西の出現ーー院の専制と近臣 立命館文学 
元木泰雄 2012 平清盛と後白河院 角川学芸出版
元木泰雄 2004 保元・平治の乱を読みなおす 日本放送出版協会
元木泰雄(編) 2014 保元・平治の乱と平氏の栄華 清水堂出版
竹鼻績 1984 「今鏡」全訳注 講談社
棚橋光男 2006 後白河法皇 講談社
谷口耕一 1992 平治物語の素材と物語ーー信西関連章段をめぐって 語文論叢
下向井龍彦 2001 武士の成長と院政ー日本の歴史07- 講談社
山内益次郎 1982 信西の天文道についてーー「今鏡」人物伝
慈円著・大隈和雄訳 2012 愚管抄全現代語訳 講談社

   私本平治物語目次
「黒衣の宰相」
「仏と仏の評定」
「長恨歌絵巻」
「芙蓉の殿上人」
「三事兼帯の者」
「帝の御叔父」
「院御所襲撃」
「信西最期」
「除目と恩賞」
「三条の家の子」
「武家の棟梁、帰還」
「朝敵討伐」
「乱終息」
「雲居の月」
「乙姫宮の悲哀」
「流人それぞれ」
「美福門院崩御」
「忠通死去」
「末代の賢王」
「賢王の父」
エピローグ
「破戒僧と一輪の菫」


二条天皇は、私にとっては好きでも嫌いでもない人物です。
「雲居の月」と「乙姫宮の悲哀」ではなんだか悪役になってますが(苦笑)、天皇としての資質は後白河より彼の方がはるかに上だったと思いますし、彼には彼なりの思いがあるということを、「末代の賢王」では書きたいと思っています。
なんていうか、白河・鳥羽・後白河の好色は軽薄だけれど、二条の好色は酷薄なんですよね。
前者の三人は女性を抱くときは楽しんで抱くし、一欠片ではあっても情というものをもって女性に接する。
けれど二条の場合は早く皇子を儲けなければ、という強迫観念のようなものがあって、それによって女性たちをぞんざいに扱ってしまう。
あたかも「女性は子供を産む機械」だとでもいうように。
その姿には、悲愴感すら漂っている、と思えるのは私だけでしょうか。
もちろん女好き、というのもあったのでしょうがね。

女をブランド、もしくは性欲の捌け口としてしか見れない悲しい男。
ホロスコープ作ってみた感想はものすごく優秀だった人という印象で、実際そうだったとは思いますが、なんていうか、「女の敵」?ですね。
少なくとも私の脳内設定では。

四年前に「多子再入内のこと(雲居の月)」を書いたときと比べて、私の二条天皇像はかなり変わりました。
多子再入内は政治的な意味合いも強かったんですよね。
平治の乱収束から一ヶ月も満たないうちにそれは実行されているのですから。
二条はよっぽど焦っていたんでしょう。
「リンク追加」でいただいたコメントを読んで気になったのですが、この件に対し、美福門院はどのように考えていたのでしょう。
保立先生は「二条は近衛の代わり」として賛同したであろうとしていますが、娘の姝子内親王が二条の后であることから、多子再入内には反対だった、とも考えられます。こっちの方が母親としては自然な感情かな
実際のところはどうだったのでしょうね。
2012-11-14

歴史小説「乙姫宮の悲哀2」

2012/06/17 11:56 参照数82

保元元年(1157年)七月、鳥羽院が崩御したことにより、戦が起こった。
上皇が地位もそのままに配流され、左大臣が戦場において死亡する。
とても信じられない出来事ではあったが、宮中で暮らす姝子には関係のないことだった。


保元二年(1157年)正月二十三日、姝子は准三宮の位を叙位された。
同二年十月には、大内裏が再建された。
姝子は東宮守仁親王、今上、今上の中宮忻子、そして近々今上の准母となることが定められている姝子の義母皇后統子内親王と共に大内裏に入った。


保元三年(1158年)八月十一日、東宮守仁親王は晴れて帝となった。
姝子が中宮となることは時間の問題、とも思われた。
だが姝子にとってはどうでもよいことだった。
私にはお同母姉様(おねえさま)の様に勝手気儘に生きることも、お母様のように政治にその身を費やすことも出来はしない。
私はここ後宮において静かに暮らそう。
「そなたこそは、我らの皇統を受け継ぐ者」という父や母の命に背くことにはなるが、それも致し方あるまい。
元々無理だったのだ。
子を産むことはもとより、新たな役目を果たすことなど。

そう、姝子の新たな役目とは、不仲と言われている先の帝、上皇と今上との間を取り持つことであった。
これがなかなか難しかった。
父子の対立など、妃の力でどうにか出来るものではない。
このことをお母様から直々に話された時、姝子は途方に暮れた。

東宮時代から主上とは重要な話しなど一度もしたことがない。
私が何を言ったって主上は聞き入れられないだろう。
上皇とはお義母様(おかあさま)を通じて親しくさせていただいているけれど…。
上皇は明るくてあけっぴろげな性格で、よく冗談を言っては私を笑わせてくれた。
主上のお人柄も、このようであったら良かったのにと、何度思ったことか。

先日は上皇とお義母さまと私とで、宇治へも赴いた。
秋の宇治は紅葉が美しく、身も心も慰められるようであった。
思わず涙ぐみそうになってしまった姝子の様子に気付いた上皇からは、
「准三宮、もしや何か悩みでもあるのではないか?」
と言われた。
「いいえ、何も。紅葉があまりにも美しかったものですから…。」
姝子は内心慌てたが、穏やかに上皇に対して微笑んで見せた。
「主上とは上手くいっておるのか。」
遠慮がちに上皇が言う。
「ええ、何の問題もありません。」
姝子はやはり偽りの笑顔を作って上皇の問いに応える。
「准三宮。そなたには、私と主上を繋ぎとめる緩衝材となって欲しい。」
ああやっぱり…。
上皇も私にそのような役割を望んでおいでなのだ。
姝子は暗澹とした気分になった。
ー恐れながら。私にはそのような大役、無理でございます。ー
こんな風に言えたなら、どんなによかっただろう。
姝子はそれを引き受けるとも、断るとも言えずにただ曖昧に笑うだけであった。
上皇はそれを肯定の意に捉えたようであった。
やがて宇治への御幸は終了した。


平治元年(1159年)十二月、戦が起こった。
院御所が襲撃され、姝子は主上と共に大内裏を抜け出した。
この戦により、上皇の近臣である信西と信頼が相次いで処刑された。
上皇は手足をもがれたも同然だった。

信西を中心とする勢力と、主上を中心に据えようとする勢力とが対立し始めていたときであった。
それが誰の目にも目に見える形で表出したのがあの戦であったのだと、姝子は母美福門院に教えられた。

そしてこの戦の直後、信じられない噂が姝子の耳に入ってきた。
先々帝の后、太皇太后多子を再入内させる、と。
元々、そうした風聞は以前からあった。
主上はなんと天下第一の美人と名高い太皇太后にご執心。文や贈り物などを送って歓心を引こうとしているが、太皇太后は一向に応じようとしない、という。
一人の女性が二人の天皇の元に参じるなど、前代未聞だ。
だからこれはただの風聞に過ぎないとずっと思ってきた。
それが今回は違うらしい。
なんでも主上は勅旨を出してでも太皇太后を再入内させるつもりだというのだ。
この戦によって、自分の足場を固める必要があると主上は痛感したのだろう。
一刻も早く皇子を、それもしかるべき女の腹から、と思い立ち、それを実行に移そうとしたとみえる。
だが私には関係のないことだ。
突然の報に驚いてしまったが、考えてみればこれで皇子を産まなければならないという荷が下りる、というものなのかもしれない。
姝子はそう思い直したが、帝の一の人でなくなるということで、自負心が少しばかり傷ついた。
そしてそんな自分に驚き、可笑しなこと、と一人笑うのであった。


翌永暦元年(1160年)正月、太皇太后多子が再入内したという報せを姝子は自身の局の内にあって聞いた。
だからといってどうということもなかった。
太皇太后に対しては、思えば可哀想なこと、と同情の念すら感じた。
太皇太后所生の皇子が、一刻も早く生まれればいい。
そうすればここ後宮も平和になる。
姝子はそのように感じさえした。


ところがである。
応保元年(1161年)九月に上皇に新たに皇子が生まれると、主上はこれに刺激を受けた。
そのために、摂関家からも新たに妃を迎えることにした。
摂関家との絆を強めようというのである。
側近であった外叔父藤原経宗、乳母子藤原惟方が昨年配流されていたから、主上もまた、手足をもがれたような状態だったのだ。
その娘は先の関白藤原忠通の庶子で、父親が僧籍にあることから異母兄基実の養女として入内するという。
庶子ではあっても、摂関家出身の娘とあれば后に立てないわけにはいかない。
だがこのとき四つある后の位は全て埋まっていた。
本来であれば先々帝、あるいは先帝の后が位を退いて新たに院号宣下を受けるのが常道であるが、主上はそうはしなかった。
なんと、今上帝の后である姝子に院号宣下をし、中宮の位から退かせたのである。
姝子は先年病によって出家していたから、やむを得なかったと言えなくもないが、この措置はあまりにも非情だった。
姝子は事実上、主上の後宮から締め出されたのである。
姝子は新たに高松院という院号宣下を賜り、二十歳の若さで女院となった。

世人は主上のとった措置を非道だと謗った。
だが、姝子の心は穏やかであった。
これでやっと上皇と主上の仲を取り持つという役目から解放される。
あれほど篤かった病も、心のつかえがとれたことで大分良くなった。
私は静かに暮したい。
ただ、それだけなのだ。
姝子は満ち足りた思いで後宮を後にした。


後宮を退いてからの姝子の生活は、とても穏やかなものであった。
仏道修行に明け暮れ、応保元年(1161年)十二月に主上の准母として院号宣下されていた姉八条院暲子内親王や、義母上西門院統子内親王と交流したりしていた。
「本当に、奇跡の様だわ。あれほど重かった病が快方に向かうだなんて。きっと神様の思し召しね。」
そう言って、統子内親王はゆったりと微笑む。
ー神様、ね。そんなものがいるのならば、もっと早くに私を楽にしてくれたらよかったのに。ー
姝子はこう思ったが、静かに頷くだけにしておいた。


それでも主上との関係を断つことは難しく、長寛二年(1164年)七月に主上に第一皇子が生まれると、姝子がこれを猶子とした。
生母の身分があまりにも低かったために取った措置である。

永万元年七月(1165年)、主上は崩御した。
謚(おくりな)を二条天皇。
生前に譲位を行い、東宮には中宮育子が養育していた第二皇子順仁親王が立てられた。
姝子が猶子としていた第一皇子ではなく。
姝子は最後の最後まで二条天皇に粗略に扱われたのであった。


2012-11-14

歴史小説「乙姫宮の悲哀1」

2012/06/16 16:19 参照数83

「乙姫宮、あなたにはあなたの魅力があるのだから、もっと自信を持って。」
そんなこと、絶世の美女である統子内親王様に言われても…。
乙姫宮と呼ばれた姝子内親王は内心思ったが、口には出せないでいた。
統子内親王様とて、悪気があって仰っているのではないのだから。

宮中においては、后妃や内親王の中でもとりわけ美しいのは統子内親王と中宮(藤原忻子)である、というのが専らの噂であった。
私やお同母姉様(おねえさま)の名は全く挙がらなかった。
元々美貌という点において、私たちの系統は待賢門院様の系統に及ぶことは出来ないのだ。
待賢門院様の一族は美形の血統であると名高かった。
統子内親王様は待賢門院様の実娘であり、中宮は待賢門院様の兄の孫にあたる。
姝子は顔を俯かせる。

新帝即位の直後、私はお父様の命で新帝の同母姉である統子内親王様の猶子となっていた。
お母様からは、これにはお母様(美福門院)の派閥と待賢門院様の派閥の仲を取り持つ役割があるのだと言い含められていたけれど。
新しい‘お母様,に、私は打ち解けられそうにない。
姝子は小さくため息をついた。


姝子は東宮守仁親王の妃である。
守仁親王は先の帝、近衛帝の死去により、またたく間に次代の後継者とされた人物である。
今の帝は存命の父を差し置いて子が即位した例はないとされて即位した、中継ぎの帝に過ぎない。
今上と姝子の父鳥羽院は、守仁に美福門院得子所生の姝子を配し、なんとか美福門院の血を皇家に入れようとした。
美福門院所生の皇子は近衛天皇しかおらず、鳥羽院は仕方なく待賢門院所生の今上を即位させたのである。
姝子は皇子を産まなければならない。
父母の思いに報いるために。
しかし、姝子は思う。
私にそんな大役が務まるのかしら。
自分に自信がなく、いつも他人の顔色をうかがってしまう私が、と。
姝子には女としての魅力が充分にあった。
美人顔、というわけではないが可愛らしい顔立ちをしていたし、体つきは華奢で、思わず守ってあげたくなるという風情が漂っているのである。
しかし、本人はそのことに気付かない。
統子内親王をはじめとする周囲の者がいくら言って聞かせても、当人がこれは世辞だ、と認めようとしないのである。
これには夫である守仁親王も関係していた。
ある日、姝子は聞いてしまったのである。

「鳥羽院の寵愛を一身に集めた后所生の皇女と聞いたからには、どれほどの美貌の持ち主かと思えば。そこらにいる女官や女房と、さして変わりないではないか。がっかりだ。おまけに和歌も詠まず、筝も琵琶も弾けないという。後宮の局というものは、華やかであるべきではないか。かの清少納言の主人、定子皇后の局がそうだったように。」
と女官に洩らす東宮の言葉を。
東宮の言葉は姝子の自尊心を粉々にした。
姝子は父母に愛され、蝶よ花よと育てられた。
和歌が詠めず、楽器が弾けずとも、何も困ることはなかった。
そんな自分自身のことを顧みることもなかった。
だが姝子はこのときはじめて自分を恥じた。
‘恥,というものを知った。
お前は美しくないと暗に言われたことも、姝子には堪えた。
お父様からもお母様からも、お前は誰よりも麗しい。可愛い吾が子。そういつも言われていたのに。
麗しいという父母の言葉も、結局は娘可愛さからくる発言でしかなかったのだ。
誰でもない、夫たる東宮がそう言われるのだから、そうに違いない。
姝子は東宮のこの発言により、完全に自分に自信を失くしたのだった。

姝子は元々内気な、はにかみ屋の少女だった。
この一件はそれに拍車をかけた。
打ち解けて東宮と話すことも出来なくなった。
閨の折りでさえ、あまり声を上げようとしない。
ーさして美しくもない私がはしたない声を上げて乱れれば、もっと醜くなってしまう。ー
姝子は頑なに自分を守ろうとしたのである。

だがこれは裏目に出た。 
東宮はそんな姝子のことを‘つまらん女だ,と切り捨てた。
気の強いこの東宮は、姝子と閨を共にした後で他の女房を召すことすらあった。
姝子はそんな東宮の行動を見、ますます自分に自信を失くすのであった。

大体、姝子には東宮との‘共寝,というものがどうしても好きになれない。
口づけを交わし、東宮の口と手が身に纏わりつく。
そこまでならいい。
姝子がもっと、もっと強くそうして欲しい、そう思った時には東宮のそれ自身が姝子の秘所に挿入されるのだ。
まだそれを受け入れる準備も出来ていない、わずかに湿っただけの秘所に。
姝子にはそれが苦痛で仕方なかった。
それでも自身の体内でそれが動いたときには、姝子は喘ぎ声を出す。
後宮の女房にそう教えられたように。
もっとゆっくり動かしてほしい、出来ることなら愛撫ももっと丁寧にやって欲しい。
姝子はそう思うが、言葉にすることは出来ない。
そうすることははしたないことだと思われるからだ。
ようやく身体が慣れてきたと思った時になって東宮はそれを姝子の秘所からさし抜く。
さもつまらなさげな顔をして。
そしてそそくさと身繕いをし、自身の局に戻るか他の女官や女房の元へ行くのだ。
姝子を裸のまま取り残して。

絵物語に出てくる貴公子はこんなじゃなかった。
美しい顔立ちをしてはいるけれど、内面はなんて冷たいー。
姝子は常々こんな風に思っていた。

ある夜の出来事であった。
その日も姝子は東宮と閨を共にしていた。
陰部を走る痛みを堪え切れず、姝子は
「痛っ…。」
と口走った。
その直後、姝子は頬を打たれた。
一瞬何が起こったのかわからず、姝子は頬を手で押さえ、きょとんとした顔をした。
「そなたの身体は中々濡れない。よほど私を嫌っているとみえる。」
いえ、そんなことは、と言おうとしていたところだった。
姝子の言を遮って東宮はこう言ったのだ。
「他の女はこうではない。」
と。
姝子は自分の身体から熱が一気に引いていくのがわかった。
なんという屈辱。
后腹の内親王、そして東宮妃という尊位にありながら、なぜ私はかような辱めをうけねばならないのか、と。
姝子は自分に覆いかぶさっている男を睨(ね)めつけた。
普段は大人しいだけだった妃の様子に東宮は少しびっくりした様子だったが、睨み返してきた。
二人の身体はつながったままだ。
どちらからというでもなく、二人は身を引き剥がした。
姝子は東宮を初めて「憎い」と思った。
背を向け、身繕いをしながら姝子は言った。
「…金輪際、私には触らないで下さりませ。」
「いや、そういうわけにもいかぬだろう。ぶったのは悪かった。この通りだ。許してくれ。」
自分の立場に思いが及んだのだろう。
東宮は姝子に頭を下げてきた。
そう、東宮が東宮でいられるのは、東宮が次代の後継者でいられるのは、妃に姝子を迎えていることが条件なのだ。
迎えるだけではない。
子を作らねばならない。
だからこそ東宮は気が進まないながらもこうして姝子の元に通っていたのだ。
その姝子が、もう自分には触れるなと言う。
東宮は焦った。
「そうだ、欲しいと言っていた朽葉の袿を特別に拵えさせよう。きっとそちに似合うぞ。」
「そんなもの、欲しくはありません。私が望むことはただ一つ。あなた様に触らないでいただく、ただこのことにございます。」
姝子の声は冷ややかだ。
「お母様には決してこのことは悟らせません。それでも私に触れるというのなら、私は今夜の出来事をお母様に話します。どうしますか?東宮。」
「くっ、勝手にしろ。」
そう言うと東宮は姝子の元から去っていった。

そしてその後、東宮は姝子の局を訪れはしても、その身に触れることは二度となかった。
強張った顔で世間話をし、時折り豪奢な贈り物をして帰る、ということをしていた。
二人の仲が冷え切っていることは、後宮のごく内部の人間が知っていることで衆人の知るところではなかった。
姝子の母、美福門院さえもこのことには気付かなかった。

2012-11-14

歴史小説「流人それぞれ」

2012/06/10 21:44 参照数29

永暦元年(1160年)正月六日、上皇は八条堀河にあった参議藤原顕長の邸宅に移った。
ここ八条付近は内裏から遠く離れた京の南の端にある。
上皇は今様を好んだことでも知られるように庶民派で、こうした自由な時間を何よりも大事にしていた。
決まりの多い和歌よりは今様を、形式ばった漢詩よりは庶民の流行歌を、そして礼服を着、玉座でかしこまっているよりはこうして楽な格好で市井に生きる人々を眺めることを好んでいたのである。

するとそこへ、腕っ節の強そうな男が三、四人ばかりやってきた。
男たちは板を激しく打ち付け、上皇の視界を遮る。
「これは何事ぞ。」
上皇が言う。
「権大納言様、権右中弁様からの御命令でございます。」
一人の男がこともなげに言った。
ー経宗、惟方か。口惜しや。如何してくれようぞ。ー
上皇は半泣きになったが、頼るべき近臣の者も今はいない。
信西も信頼も、昨年起こった戦で亡くなっていたのである。
上皇は信西の忠告に耳を貸さなかった当時の自分を責めたが、今となってはもう遅い。
この上は二人に何としても処罰を加えなくては。
上皇はそこで今回の兵乱を収束させた平清盛を頼った。
先払いの使者をやり、自ら六波羅に出向いて泣く泣く今回のことを清盛に訴えたのである。
清盛にも思うところがあったから、この申し出を進んで引き受けることにした。


経宗と惟方は、神経過敏になっていたのである。
保元年間に起こった戦から、三年と経たずにまたしても大規模な戦が起こってしまった。
いや、起こしてしまったという方が正しいか。
信西一人を誅すために起こした武力行使だったのに、ことは以外にも大きく膨らんでしまった。
院御所から火が出るという騒ぎにさえなった。
これでは主上の、ひいては朝廷の権威の失墜は免れまい。
そこへ上皇が桟敷を引いて民衆の様子を見物しているという情報が入った。
この大事なときに何を呑気な…!
太上天皇ともあろう者が、只人の一人のような真似事をして…!
普段は今様や色事に明け暮れている上皇の姿を見て主上の存在が脅かされることはないと安心していた二人だったが、このときばかりは違った。
上皇とて皇家の一員には違いない。
これでは民衆に対し、示しがつかぬ。
このように考え、二人は強硬手段に出たのであった。


二月二十日になり、清盛は郎党の藤原忠清・源為長を内裏内に派遣し、経宗・惟方両名を逮捕した。
そして内裏警固の詰所に連れて行き、上皇の面前で二人に拷問を加えたのであった。
二人の悲鳴は近隣に住まう者を、武士とはこういうものかと恐れさせた。
その場には先の関白藤原忠通も居たという。
おそらくは、経宗の摂関就任の可能性を危ぶんでいたのだろう。

二月二十二日になって配流されていた信西の子息が帰京を赦された。
信西に罪はなかったことが、公的に証明されたのである。

これに入れ替わるようにして三月十一日、経宗が阿波に、惟方が長門にそれぞれ配流された。
ー最終的には主上らを守ったとはいえ、乱を起こした張本人には違いないー。
こうした感情が公卿たちや平氏の棟梁清盛の間で広まっていたこともまた事実であった。
自分に忠義を尽くすものとして二人の処罰を渋っていた主上ではあったが、二人が清盛によって公の場で処罰を加えられた以上、これらを無視するわけにはいかない。

二人の配流と同じ日、源師仲と義朝の嫡男である頼朝・希義も各地に配流された。



経宗は二年後に帰京を赦された。
一方、惟方は配流が決まったときに出家したにもかかわらず、帰京はその六年後となった。
その間配流された人が次々と帰京を赦されていることを知り、己を憐れんで
「この瀬にも沈むと聞けば涙川流れしよりもぬるる袖かな(この度の赦免にももれて、この配所に残されると聞くと、涙がとめどなく流れて、この地に配流になったときよりもいっそう濡れる袖であるよ。)」
という和歌を女房にことづけて都に伝えさせたりもしていた。
経宗はそんな惟方の様子を苦々しく思っていた。
乱を起こしたとはいえ、何も政界から身を引くことはないのに。
あやつには他に同母の兄弟がいるからそんなことが出来るのだ。
私には同胞(はらから)はいない。
私は家を継がねばならぬ。
経宗は配流されてもなお野心を失ってはいなかった。

ある日、惟方が赦されて京に舞い戻ったという噂を聞いた経宗は、惟方が住んでいるという庵を訪ねた。
「入るぞ。」
戸を強引にこじ開け、経宗は惟方の庵に入った。
経宗が目にしたものは、坊主頭で経を熱心に読み上げる、惟方の後ろ姿であった。
その背を見て、経宗は一瞬懐古の念にとらわれた。
一体何年振りだろう。
「惟方。」
小さくそう呟く。
惟方は声に気付き、すぐに振り向いた。
惟方は穏やかな顔をしていた。
いつも他人を出し抜こうとしていた目の光はすっかり消え失せていた。
不機嫌そうに捻じ曲げられていた口元も、今では柔らかくなっている。
「これはこれは。思いもよらなかった人が来たものだ。」
その声音は優しい。
経宗は身に宿る衝動を抑えられなくなり、惟方に向かって行った。
惟方の法衣の合わせを掴み、こう叫ぶ。
「なぜ裏切った!」
惟方は一切動じない。
「お前だけは…、お前だけは私と志しを同じくするものだと思っていたのに。」
「裏切った、ですか。また妙な物言いなさるものですな。」
経宗はかぶりを振った。
「裏切りではないか。共に主上を盛り立てようと、政を思う様にしようと、そう誓い合ったではないか。」
経宗は十年近く前のことを思い出していた。
身分の差こそあれ、二人は‘同志,であったのだ。
「ですがその盛り立てようとした主上も今はこの世におりません。あなた様も廟堂から離れてはみませんか。」
経宗・惟方が躍起になって守ろうとした主上、-謚(おくりな)を二条天皇ーは昨年亡くなっていた。
経宗は惟方の提案を一蹴した。
「はっ、今さら退(ひ)けるか。私は必ずや廟堂の中心に返り咲いて見せる。」
「あさましい。おいたわしいことよ。」
「あさましい、だと?」
経宗は惟方を見据えた。
「ならばかつてのお前はどうだったのだ。お前とて平治の戦を起こした張本人ではないか。」
「そのことについては、今悔いております。だからこうしてあの戦で亡くなった者の弔いを…。」
「では、すずののことは?」
惟方が一瞬顔を歪めた。
「聖人君子を装っているようだが、痛いところを突かれたと見える。すずのの最期が知りたいか?」
「あれは…、もう、亡くなったのですか?」
惟方は声を細らせ経宗に聞いた。
「ああ、数年前に、難産でな。子供は無事だったが、どちらの子かわからないので僧籍に入れた。」
「貴殿は、知っておいでだったのですか…!」
「ああ、あるときあれは嬌声と共にお前の名を呼んだよ。『惟方様』とな。」
「知っていて、なぜ私を咎めずに…。」
「いい女だったからさ。それに、お前の言う『絆』とはこういうものか、とも思ったのだ。同じ女を共有した者同士だと思うと、妙な安心感があったものだったよ。」
惟方はすっかり蒼ざめていた。
嬌声と共に自分の名を呼んだ後、すずのはどんな思いで経宗殿の邸で暮らしていたのだろう。
いたたまれない。自分はなんということをしてしまったのだ。
経宗は惟方のそんな様子を満足気に見つめていた。
出家の身とはいえ、惟方は煩悩を捨て切れていないのだろう、と経宗は思った。
「あさましい」と言われた悔しさが、いつしか経宗を支配していたのである。
「貴様にこれをやろう。」
唐突にそう言うと、経宗は懐から笛を取り出した。
「『永久(とこしえ)』と言う。母を安心させるため、かつて私が摂関家伝来の品だと偽って作らせたものだ。」
惟方は笛をじっと見つめた。
「また随分と自虐的な名を付けたものですな。あの家が永久に続くことなど、貴殿がもっとも厭うておいでのことでしょうに。」
「ふっ、そうだとも。」
そう言って経宗は自らを嘲った。
「永久」は、自らを戒めるために日頃から常備していた代物であった。
私の家は摂関家に取って代ることは出来ないと、自分に言い聞かせるために。
「だが今のお前にこそ相応しい品であろう。そう、野心を捨て去った今のお前には、このようなまがい物で充分だ。」
「そうでしょうな。」
惟方は静かに頷き、笛を受け取った。
口元には皮肉な笑みが浮かべられている。
やっと惟方の以前の顔を垣間見ることが出来たと思い、経宗は満足した。
「私はもう帰る。貴様の顔などもう二度と見たくない。」
半分は本心で、もう半分は偽りだった。
出来ることなら、昔語りなどをしたい。だが私がいくら話し掛けても、惟方はきっと答えてはくれないだろう。
率直に言えば経宗は寂しい、と感じていた。
もちろんそんなことはおくびにも出さなかったが。
「経宗殿。」
「なんだ。」
経宗は振り返らなかった。
「どうかご達者で。」
「ふん、お前に言われるまでもないわ。」
「私の分も、どうか朝廷で活躍して下さいよ。影ながら応援しています。」
経宗は何も言わなかった。
頬を涙が伝っていたのである。


経宗はその後何度も失脚の憂き目にあうが、持ち前の学才と政界遊泳術で乱世を生き抜いた。
子は太政大臣にまで登り、子孫は大臣家となって「大炊御門家」を名乗った。

惟方は長寿を保つがその後二度と政界に返り咲くことはなく、和歌と仏の道にその身をささげた。
若い頃は野心の塊のような男であったが、六年という歳月はあまりにも長かった。
子孫はふるわず、やがて系図の上からも消えてしまった。
葉室の家嫡は、惟方の同母兄光頼が継いだということである。

二条天皇の側近として一時代を築き上げた二人だったが、その後の道は平治の戦を境に真っ二つに別たれてしまったのであった。


2012-11-14

歴史小説「三事兼帯の者3」

2012/06/10 13:41 参照数11

「権大納言殿、実は折り入ってお話しがあります。」
惟方は殿上の間において経宗に声をかけた。
「なんだ?」
経宗はそう言って惟方の方を見た。
経宗は背が高い方なので、惟方を見下ろす形になってしまう。
「ここではなんですから、外へ。」
そう言って惟方は経宗を外へと連れ出した。
宮中の庭には牡丹が植えられていた。

惟方は辺りを見回し、人気のないことを確認した。
「それで、話しというのは…。」
「実は、権大納言様に女を差し上げたいと思っているのでございます。」
「女?また唐突な話だな。そちに年頃の娘はいないはずだが…。」
「ええ、私の娘のことではありません。私が市井で見つけ出した上玉でして。」
「そちが手を付けた女ではあるまいな?私に面倒になった女を押しつけるつもりか?」
そこで経宗は皮肉な笑みを浮かべた。
惟方はぎくりとしたが顔色は変えずに、
「滅相もございません。女は正真正銘の未通女(おぼこ)です。父の目が厳しく、年頃でありながら男を受け入れたことは一度もないそうです。」
と言った。
「して、その女をなぜ私に?私は女は嫌いではないが、さりとて好色というわけではないぞ。」
「私はあなた様に恩を売っておきたいのでございます。」
「私に恩を売りたい?見返りに何を要求するつもりだ?」
経宗は訝しんだ。
「これは語弊がありました。私はあなた様ともっと絆を深めたいだけにございます。」
「ほう。絆、とな。よい。話しを続けよ。なぜ絆を深める必要がある?」
惟方は静かに頷き、話しを進める。
「主上の足場を固めるため、とでもいいましょうか。今朝廷は主上を中心に回っております。主上は聡明な御方。その治世に何の問題もあるはずがございません。しいてあげるならお年若なことでしょうか。そこをつけ込まれはしないかと、私は密かに危ぶんでいるのです。」
「つけ込まれる?誰にだ。」
「信西入道をはじめとする、位を退いた上皇を取り巻く人々にございます。」
「はっ、莫迦莫迦しい。あの上皇は所詮は中継ぎ。権威などないに等しい。その上皇を担ぎ出そうとする者などいるものか。」
「権大納言様。主上にあなた様という外戚がおられるように、上皇にも外戚はおられるのです。閑院流が勢力拡大を図ろうとしないと、誰が言い切れます?」
「閑院流の者とは母を通じて親しくしている。もしそんな事が起こるようであれば、私は全力で彼らを制止するつもりだ。」
経宗の母は閑院流家の元当主、公実の娘であった。
「ならば、信西入道は?あの者は上皇の乳父です。上皇を治天の君に仕立て上げようとするかもしれません。」
「それは…。いや、上皇が政に興味がないのは周知のこと。人並みに権勢欲はあるようだが、それだけに過ぎよう。今さら治天の君となって院政を行うなど、笑止千万としかいいようがない。」
「権大納言様。この世においてはあるはずのないことが起こり得るものなのですよ。先の戦がそうだったように。」
そう言うと惟方は矮小に嗤った。
「そう言われてみればそうかもしれないが…。」
そう言うと経宗はその場で考え込む素振りを見せた。
「少し、考えさせてくれ。」
経宗はそう言って惟方一人を帰した。
惟方が振り返ると、経宗はその場に佇み、思案している風であった。

翌日、惟方の元に経宗からの使者があった。
使者からの手紙には、女を譲り受けさせてもらう、と書いてあった。
そして数日後、惟方はすずのを牛車に乗せ、経宗の別邸に赴いた。
すずのには涼しげな卯花(うのはな)の襲ねを着せ、白の扇を持たせていた。
「これがお話ししていた女でございます。どうです、美しいとは思いませぬか?」
二人の間に立ち、惟方は雄弁に語る。
そしてすずのはずっと目を伏せていた。
惟方はあらかじめ言いおいていたのだ。
未通女のふりに徹しろ、決して男と通じていたことを悟られるな、と。
すずのは惟方の思った通りに振る舞ってくれた。
経宗殿を認めると頬を薄桃色に染め、口角を嬉しげに上げていた。
経宗殿の方でもすずのが気にいったとみえ、二人は褥の奥へと早々に消えていった。
嫉妬の念を隠しつつ、惟方は満足げに頷きながら二人を見送った。


惟方は経宗と一層親しくなった。
経宗は時折りすずのの話しをした。
「あの娘は美しく、あそこの感度もいい。惟方殿はいい女を紹介してくれた。」
嬉しげにそう報告する経宗の顔を蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られながらも、惟方は表面上はにこやかに話しを聞いていた。
あの女を本当に育てたのはこの私だ。私が見出していなかったら、あの女は市井に埋(うず)もれていただろう。
そう言ってやりたいと、何度思ったことか。
それでも惟方は計画が万事上手くいったと、心の内で安堵していた。
しかし、一つ懸念材料があった。
それはすずのが私との逢瀬をやめようとしないことであった。
「露見したら大変なことになる。経宗殿の邸では何不自由ない生活を送っているのだろう?いい加減、私とは手を切らないか。」
「嫌です。経宗殿は私を毎夜の如く可愛がって下さいます。けれど私の心の内にあるのは殿のことだけ。」
そう言ってすずのは私にしがみついてくる。
今日も方違えだと称して実家に帰っていたすずのの元を、私は訪ねていたのであった。
「私がどんな思いであの方に抱かれているか、殿には分かりっこない。私は都合のいい女になんてなってやらない。そう、あなた様を私の共犯にし続けること。これこそが、男たちの駆け引きに利用された私の復讐なのだわ。」
そう言って、すずのは声高らかに笑うのであった。
「だが解せぬ。私はお前を見出したとはいえ、経宗殿に比べると背も低いし、顔立ちも整ってはいない。こんな男になぜ執着する?」
惟方は心底不思議だった。
経宗殿の方が位も高く、財産もあって男ぶりもいいのに、すずのはなぜ経宗殿の方に靡かぬのか、と。
「殿は私を救って下さいましたもの。あの頃私はたった一人の父に先立たれ、心細い思いをしていました。通って来る男はいましたが、それも一夜の情けだけ。継続的に通って下さる方は殿しかおられなかったのです。女はそうした恩を、一生忘れないものなのですわ。」
「なるほど。そうか…。」
惟方はそう言って考えこんだ。
「さあ早く、早く。」
すずのは寸刻でも時が惜しいように、惟方を急かした。
褥はきれいに設えられている。
すずのが惟方の直衣を脱がしにかかった。
「わかったから、今しばらく待て。」
すずのの手を払い、惟方は直衣を脱ぎ始めた。



ある日のことだ。
私は甥で上皇の近臣である権中納言藤原信頼にこう囁かれた。
「信西入道を亡き者にしないか。」
と。
「亡き者に?政治生命を断つということか?」
かねてから信頼が信西入道を疎んじていることは知っていた。
「そうではない。殺す、ということだ。」
「殺すだと?何を物騒な。帝を呪ったとでも理由付けて配流に処すればいいではないか。」
「いや、そのような手ぬるいことは言ってられない。このままでは私の政治生命が危ういかもしれぬのだ。私は源氏の棟梁、下野守で左馬頭を兼ねている源義朝を配下に置いている。義朝にかかれば信西の命を奪うことなど容易い。お主だって、信西のことを日頃から苦々しく思っていたではないか。」
「それはそうだが…。」
「信西の存在を疎ましいと感じている者はたくさんいるはずだ。越後守藤原成親や、伏見源中納言師仲はすでにその気になっている。」
「もう計画は進んでいるのだな。」
惟方はここで覚悟を決めた。
信西入道を亡き者にし、その地位を力ずくで奪い取ってやる、と。
「そなたも主上の外叔父である権大納言経宗殿を引き入れてくれぬか。親しいのであろう?権大納言とは。」
「わかった。聞いてみよう。」
頷いたものの、惟方には経宗殿が賛成してくれるか計りかねた。
権大納言という高位、帝の実の叔父という立場にある経宗殿が、この様な血なまぐさいことに手を貸してくれるのかどうかと。

だが、惟方のこの懸念は見当違いだったらしい。
経宗はあっさり信西打倒に賛同を示した。
「信西殿ほどの切れ者、陥れるのは至難の業であろう。この際、そのような処置も止むを得まい。」
それを聞いた惟方は早速信頼にこのことを注進した。
そしてその日の内に皆で集まり、計画を練りに練ったのであった。



2012-11-14

歴史小説「三事兼帯の者2」

2012/06/10 13:40 参照数9

主上の実の叔父、権大納言藤原経宗殿と、もっと親交を深めよう。
悩んだ末に惟方が導き出した答えはこれであった。

経宗殿とは、元々主上の側近として親しくしてはいた。
だが、ここはより強固な‘絆,を結ぶ必要がある。
主上の足場を固めるためにも、我々は団結しなくてはならないのだ。

絆を深める。
そう一言で言っても、一体何をすればよいのか。
娘たちはまだ幼いから、経宗殿に差し上げることは出来ない。
いや、待てよ。
何も娘でなくてもいいのではないか。
私にはちょうど今、足繁く通っている見目の麗しい女がいる。
それを経宗殿に差し上げれば、あるいは。
そこで惟方ははたと扇子を打った。


あくる朝、惟方は女の元を訪ねていた。
二条大路の一画の狭い住居。
庭先には朝顔が咲き誇り、蔓が入口を覆っている。
惟方が咳払いをすると、戸が開かれた。
「殿、なんですの。こんな朝早くから。」
女は口元に手を当て、軽く小首をかしげてみせた。
丸く潤んだ瞳と、透き通るような肌の持ち主である。
とても市井の女だとは思われなかった。
物腰も上品である。

今から三月前、惟方はちょうど二条大路を牛車で通った際に窓から女の姿を見、これは磨けば光る上玉になるぞ、と目を付けたのであった。
惟方は背の低い小男であった。
そのせいか、通い所を見つけることにおいては苦労することが多かった。
惟方の正妻はしっかり者だったが、夫を完全に自分の尻の下に敷いていた。
家を預ける分には助かるのだが、自邸にいるだけでは男としての自尊心を満たすことは出来ない。
ちょうど自分に従順な妻が一人欲しい、こんな風に考えていた頃だったのである。
惟方は女を見染めてからというもの、その後は様々な贈り物をし、女の気を引いた。
市井の女として過ごしてきた女は目を輝かせて惟方にお礼を言った。
「本当にいただいてよろしいのですか?私のような女にこんな贅沢な品を。」
紅梅の袿を手に取り、女は言った。
「よい。そちに似合うと思って私が特別にこしらえさせたのだ。」
惟方は満足げに頷いて杯に注がれた酒で喉を潤した。
「見たところ一人暮らしのようだが、親は?家族はいないのか?」
すると女は目を伏せ、
「父がおりましたが、先月病で亡くなりました。父の生前は目が厳しく、所帯を持つことも叶いませんでした。」
と言った。
「さようか。」
女は未通女(おぼこ)ではなかった。
庶民だから当たり前か。
年齢も見たところ十八、九才。
男を受け入れていない方がおかしい。
「ならば私の妻になれ。正妻というわけにはいかぬが、手厚くもてなすぞ。」
「はい、もとよりそのつもりでございます。」
女はそう言って頬を染めた。
可憐だ、と惟方は思った。
あとは言葉遣いと身のこなし方だな。
女は器量よしだったが、他は少し鄙びいていた。
そして惟方はこのすずのという女の元に通い詰め、女を自分好みの女にすべく、心を砕いたのであった。

「すずの、話しがある。」
「まずはお入りになって下さい。話しはそれからでも…。」
女は少し怪訝そうにそう言った。
「そうだな。」
気が大分急いていたらしい。
これは戸口で話せるようなことではない。
惟方は慌てて住居の中に入った。
「それで、話しというのは?」
女はお茶を出すと、静かに口を開いた。
「実はな、」
不思議そうに目を覗きこんでくる女の視線をかわし、惟方はおずおずと口を開いた。
「そなたを、別の男の元にやりたいと思っておるのだ。」
女は少し震えた声で惟方の言葉を一笑に付した。
「まあ何を仰いますやら。」
「すずの、まあ私の話しを聞いてくれ。」
惟方はこめかみをかすかに震わせている女を宥めすかせるようにこう言った。
「私は今、とある公卿との絆を深めたいと思っている。だが私にはその公卿に差し上げられるような娘がいない。そこでお前を代りに差し上げたいと、こう思っているのだ。」
「あなた様は…、女を一体何だと思っているのですか…!」
普段は大人しい女も、この惟方の発言には怒った。
「すずの、その公卿は私よりは身分も家柄もいい。お前にとってもそう悪い話ではないはずだぞ。」
惟方は身を引いてこんなことを言ってのけた。
「あなたという人は…!始めからそのつもりだったのですね。私を利用するために様々な贈り物で私を手なずけて。おかしいと思っていました。都のお役人様が私のような女を妻に、などと。今となっては少しでも夢を見ていた自分が恥ずかしく、口惜しゅうございます。」
しまいには女は声を上げて泣き出し始めた。
惟方は女の肩を抱き、なんとか宥めようとする。
「すずの、お前を見つけたとき、私はこんなことは考えていなかった。このことはつい昨日考えたことなのだ。私のためだと思って耐えてくれぬか。この通りだ。」
そう言って惟方はその場で土下座をした。
女は惟方を見下ろしていた。
どれほどの刻(とき)が流れただろう。
やがておもむろに女が口を開いた。
「それが、本当に殿の御為になるのですか?」
惟方は一気に顔を上げ、
「ああなるとも。私の今生の頼みだ。その男の元に行ってからも援助は続ける。苦労はさせない。引き受けてくれるのか、すずの。」
「殿が、そこまで仰るのなら。」
女はそう言って顔をそむけた。
「ただ一つ、お願いがあります。」
「なんだ?」
「その公卿の元に参じても、月に一度は私と逢うて下さりませ。」
「それは…。難しいやもしれぬ。」
惟方は低くうなった。
だが女は強気だ。
「ならばこの話し、引き受けるつもりはございません。」
そして席を立ち、惟方を帰そうとした。
「待て、わかった。条件をのもう。月に一度でいいんだな?」
「はい。それが限度というものでしょう。」
女の声は心なしか冷たかった。
とはいえ、これで目的は果たせそうだ。
あとは経宗殿がすずのを気にいるかどうかだが、なに、気にいらなかったらそれまでのことだ。
縁がなかったものとして諦めよう。
惟方は不安を抱きつつもすずのの住まいを後にした。
2012-11-14

歴史小説「三事兼帯の者1」

2012/06/09 20:47 参照数28

私の名は藤原惟方。
家は実務官僚として名高い勧修寺流で、この頃では葉室家とも呼ばれていた。
また、私の祖父の叔母の代から天皇の乳母などに任じられるようになっており、代々皇室とは密接な関係を築いてきた。
母も主上の乳母を務めている。
よって私は18歳年上の主上の乳母子ということになる。

主上は幼い頃から聡明であらせられたが、待賢門院様の第四皇子の御子に過ぎず、皇位からは程遠いと思われていた。
それが美福門院様所生の皇子近衛天皇が死去した際、美福門院様が主上を養育していたことから、突如として皇位継承者候補となったのであった。
美福門院様が主上を養育していたのは実の母が産褥死したためであったから、人生何が好機に転じるかわからないものである。
皇位継承からは程遠かったとはいえ、母は主上を愛情をもってお育てした。
主上も母を慕っている。
また、その恩に報いようと、私たち兄弟を進んで取り立ててくれようとしている。
私は蔵人・左衛門権佐・権右中弁を兼ね、三事兼帯という栄誉に与った。

私には同母の兄光頼と、同母の弟成頼があった。
兄も弟も、どちらかといえば寡黙で真面目な性格であったから、活発な性格の主上は私と気が合うようだった。
もっとも、兄にしてみればお前の性格は明るすぎて一歩間違えれば軽薄に映る、らしいのだが。
私にしてみれば、何においても律儀すぎる兄こそ何が楽しくて生きているのだ、という風に思われる。
主上の登極によって俄かに舞い込んで来たこの気運の上昇に、後れを取ってなるものか。
現に、主上の外叔父、権大納言藤原経宗殿は傍から見ても野心に燃えている。
今廟堂で政(まつりごと)を為しているのは少納言入道信西殿だ。
経宗殿としては、あわよくば信西殿と取って代りたい、という腹なのだろう。

私はこうした人物が嫌いではない。
欲しいものを欲しいと言って何が悪い。
謙遜や遠慮など、ここ宮中においてはくそくらえだ。
私は三十一歳のときに父を亡くした。
それ以後はさしたる後見もなく、鳥羽院に忠義を尽くすことで生き馬の目を抜くようなこの世界を生きてきた。
私の父は藤原顕頼。
「夜の関白」と渾名された藤原顕隆の子である。
私も祖父や父のようになりたい。
いや、ならねばならぬ。
かつては兄弟で弁官の位に就くことも出来た我が家系であったが、それは信西入道の子息らにとって代わられてしまった。
信西入道は子息を次々と重要な要職へ就け、自らの地位を盤石なものにしようとしている。
このままでは実務官僚の筆頭として活躍してきた名門の座さえ、信西一門に奪われかねない。
それにー。
葉室の家督を継ぐのはこの私だ。

惟方は兄光頼や弟成頼に対し、明確な敵対心を持っていた。
父も母も、長男で実直な兄光頼こそ嫡子に相応しいと考えていたようだったが、鳥羽院の信頼が篤かったのは兄ではなく私の方だった。
鳥羽院からは、遺言さえ承った。
主上も堅物の兄よりは、打ち解けて話すことの出来る私の方に懐いている。
何をしても、私は兄に勝たなくてはならない。
その為には何をすればよいのか。
はて。
2012-11-14

歴史小説「黒衣の宰相」

2012/06/09 19:03 参照数59 ブログ気持ち玉「面白い」×1

保元の戦で帝方を勝利に導き、敗者に対して過酷な刑を執行した信西は、それに引き続く形で朝廷においても主導権を握っていた。
摂関家は所領の大部分を取り上げられ、一族の中から謀反人を出すという醜態までさらしていたから、朝廷における発言力を著しく低下させていたのである。
また、鳥羽院から王家家長としての役割を託されていた美福門院は政治力に欠けており、政務の場においては見当違いのことをわめき散らすばかりであった。
数多くある荘園の領主として下にも置かぬ扱いを受けてはいたものの、女院は次第に政(まつりごと)から遠ざけられるようになった。
主上に至っては政には何ら興味を示さず、相変わらず今様に熱中していた。
信西は乙前という今様の名人を探し出し、主上にこれをあてがってますます今様に熱中させるよう仕向けた。

私は念願だった執政の座に就くことが出来た。
この上は例え主上であろうとも私の邪魔はさせない。
信西はこの国を是正する事が出来るという感動に打ち震えていた。


信西はまず、保元元年(1156年)閏九月に「保元新制」と呼ばれる代替わり新制を発令した。
「九州(日本全国の意)の地は一人の有なり。王命の外、何ぞ私威を施さん」と、王権の再建強化を目指したこの新制は荘園整理を主たる内容としていた。
鳥羽院政期においては全国に多くの荘園が形成され、各地で国務の遂行をめぐって紛争が起きていた。
この荘園整理令はその混乱を収拾して、全国の荘園・公領を天皇の統治下に置くことを意図したものである。

信西はまた、保元新制の実現のために、記録所を設置した。
長官である上卿には大納言藤原公教が就任、実務を担当する弁官からは右中弁藤原惟方、左少弁源雅頼、右少弁藤原俊憲が起用され、その下で二十一人の寄人が荘園領主から提出された文書の審査、本所間の争論の裁判にあたった。
藤原公教は白河院が治天の君であった頃から目をかけられていた、実務能力にも長けた清廉潔白な人物である。
また、信西の長男俊憲の岳父であり、信西からの信任も篤かった。


次に執り行ったのは、大内裏の造営であった。
朝廷の儀式典故に通じた人々は、「朝廷の政務や儀礼は大内裏行われるのが本来の姿であるのに、この二代(白河・鳥羽)の間大内裏は捨てさられ、忘れさられたのと同じことだ。」と常々嘆いていた。
信西も同じ気持ちであった。
大内裏こそは天皇親政の象徴、本来あるべき姿である。
信西は元来天皇が親政を執ることこそが尤もなことであると考えていた。
身分が低かった頃は院政という制度に助けられていた信西ではあったが、今においては違う。
治天の君が存在せず、今の主上が譲位しても、治天の君とは成り得ないであろう現状においては。
主上は生きている父を差し置いて子が即位することは道理に反するという理由で担ぎ出された、中継ぎの天皇に過ぎない。
近いうちに譲位することが取り決められてもいる。
私には学才と現実的な政務執行能力があるから、主上が御位を降りられても引き続き登用されるという自信がある。
それに、東宮守仁親王には東宮学士として長男俊憲をつけている。
仮に主上が譲位した後で院政派と親政派に分かれることがあろうとも、両天秤をかけている我らに死角はない。

信西の最大の長所は、戦後の混乱の時期を抜かりなく乗り切ることが出来るという、胆力であった。
長年苦汁をなめさせられていた成果とでも言おうか、信西には何があっても動じないという強さがあった。
本物の戦場(いくさば)を見たこともなく、傍観主義、あるいは事なかれ主義に徹している公卿たちには及ぶことの出来ない力が、信西にはあったのである。

大内裏造営はわずか二年で成し遂げた。
信西は夜ごと算盤をはじき、年貢の配分、工事の段取りを取り決めていた。
大内裏造営のために諸国から年貢を納めさせたのだが、驚いたことに不平不満をもらした国は一つもなかったという。
大国からは多めに、貧国からは少なめに年貢を徴収し、全国から平等に禄を集めたのだ。
工事も設計から担当者に至るまでを自らが請け負った。
大内裏は保元二年十月に完成した。
そして次の年の正月、百年以上途絶えていた内宴を大内裏において行った。
「春は生(な)る聖化の中」という詩題を出し、公卿たちに漢文などを披講させた。
また、妓女の舞などをも催させた。
音楽にも明るかった信西は、見目の良いものを選出し、妓女に自ら舞を教えたのであった。
緋や梔子、二藍など様々な色の袖が宙を舞う様は美しく、殿上人たちは宴に酔わされた。


また、大内裏完成後にも新たに新制三十ヶ条を出し、公事・行事の整備、官人の綱紀粛正にも取り組んだ。
この過程における信西とその子息らの台頭は目覚ましく、高階重仲の女を母とする俊憲・貞憲は弁官として父と共に実務を担当する一方で、紀伊局を母とする成憲・脩憲はそれぞれ実入りのいい遠江・美濃国の受領となった。
娘たちも左馬頭藤原隆季をはじめとして、有力な貴族と娶せている。
その上信西自身は故藤原頼長の所領を没収して後院領に組み込み、自らはその預所に就任した。
日向守としての経験がここへきて生きてきたのである。


信西はその一方で人から反感を買わぬよう努めてもいた。
誰に対しても公平に、平等に。
特に自分のことを良く思っていないであろう上臈の公卿に対しては、あくまでも低姿勢を貫こう。
無駄に敵を増やすなど、愚か者のすることだ。
私は左府(頼長)とは違う。
信西は数年前に政治的に失脚し、先の戦で戦死した頼長のことを完全に見下していた。


信西の政務執行能力は自他共に、誰もが認めるところであった。
出家した者の証である墨染の黒衣を身に纏って政務にあたるその姿を、人々は「黒衣の宰相」と呼んで畏怖したという。

2012-11-14

歴史小説「帝の御叔父」参考文献

2012/06/03 19:57 参照数16

河内祥輔 2002 保元の乱・平治の乱 吉川弘文館
松島周一 1993年 「藤原経宗の生涯-後白河院政と貴族層について-」 愛知教育大学研究報告(人文科学)42
元木泰雄 2012 平清盛と後白河院 角川学芸出版
元木泰雄 2004 保元・平治の乱を読みなおす 日本放送出版協会
慈円著・大隈和雄訳 2012 愚管抄全現代語訳 講談社

それと公卿補任。何巻だったか忘れてしまいました(^_^;)

タイトルの読みは「みかどのおんおじ」「みかどのごおじ」どちらでもかまいません。
個人的には語呂のいい「みかどのおんおじ」の方が好きですが。
帝の御義兄と書いて「みかどのごけい」と読ませようかとも思いました。
2012-11-14

歴史小説「帝の御叔父2」

2012/06/03 19:52 参照数28

「永久(とこしえ)」、か。
我ながら皮肉な名前を付けたものだな。
自室に戻った経宗は、母公子に見せた青鈍色の笛をぽんと宙に投げた。
この笛は摂関家伝来の代物などではない。
経宗が自前の笛に職人に命じて装飾を施させた物である。
知足院に入り浸ることを危惧する母を安心させるため、経宗はこの様な手に出たのであった。
母の小言を経宗は最近うるさく思うようになっていた。
子を思う母の気持ちは分からなくはないが、私はもういい大人だ。
自分のやることの責任ぐらいは自分でとれる。
それにー。
野心を抱いて何が悪い、という考えが、経宗にはあった。

私は十二歳の時に父を亡くした。
それ以後は母の兄弟である実能殿や、母の妹の夫である源有仁殿に庇護されて育った。
特に有仁殿には実の息男がいないこともあってか、可愛がってもらった。
姉と同じように自分の養子に入らないか、とも言われたが、私は固辞した。
家を継がねばならぬ、という自負があったためだ。
讃岐院が帝であった頃は滞りなく昇進することが出来た私だったが、近衛帝の御世になると一時官位は停滞した。
そして私は三十一歳でようやく参議となり、公卿に列することが出来たのであった。
二十三歳で参議となった父経実と比べると、どうにも見劣りがする。
私の祖父は後宇治殿(藤原師実)だが、父はその妾腹の三男坊に過ぎない。
このままでは家運の衰退は避けられぬ。
若い頃は、そんな焦慮に駆られていたものだった。
それが久寿二年(1155年)に待賢門院様の四の宮、雅仁親王が餞祚するに及び、一躍家運が開けてきたのであった。
雅仁親王の皇太子には、姉の産んだ皇子、守仁親王が立った。
私は思いがけず、将来の外戚の地位を獲得したのである。
そして同じ年、守仁親王の春宮権大夫に就任した。
春宮大夫の藤原宗能殿は七十歳過ぎという高齢だったから、私が実質的に春宮坊を取り仕切っていた。
そして翌保元元年に権中納言、同三年に権大納言に昇進したのである。

今廟堂で政治を執り行っているのは位を降りた四の宮の乳父、信西入道だ。
その政務執行能力は、誰もが認めている。
だが出家した入道、仏門に入るまでは少納言に過ぎなかった者の風下に置かれることが、私には我慢ならない。
私は名門の子息であり、信西入道にも劣らぬ学識を持っている。
加えて今上の実の叔父でもある。
執政者として相応しいのはこの私だ。

そんな風に考えていた頃であった。
主上の側近として親しくしていた惟方から、信西打倒の話しを持ち掛けられたのは。
2012-11-14

歴史小説「信西最期」参考文献

2012/06/02 17:58 参照数93

河内祥輔 2002 保元の乱・平治の乱 吉川弘文館
日本古典文学大系 愚管抄 1967 岩波書店
東京書籍株式会社 1994 新総合図説国語 東京書籍印刷株式会社

題名に人名というか諱(いみな)は付けないというこだわりを持っていたんですが、信西が自害する記事のタイトルはやっぱり「信西最期」だよなあと、思い直しました。
バランスとるために「頼長最期」も記事を書くことにしました。
忠通はまあ角田文衛氏よろしく三人の野心家だっけ?(確か「平安の春」に載ってた)の一人というわけで彼の名前も上げることにしました。
「忠通死去」以外にいい題名が思い浮かばなかったし。

あと、一応細かい設定では最初の妻、高階重仲の娘はこの頃すでに亡くなっていたから信西は彼女のことを案じることはなかったっていうのがあります。
だからどうしたって話しですね(^_^;)
実際のところは不明です。
まあ生きていても京の洛中に住んでいれば安全だと思っていたんじゃないでしょうか。
治承・寿永の乱のような大規模な「戦」ではないわけですし。
2012-11-14

歴史小説「信西最期」

2012/06/02 17:39 参照数562 ブログ気持ち玉「面白い」×1、「ナイス」×1

追手の声が聞こえる。
ここまでか。
信西は洛外の山奥に逃げ、そこで穴を掘らせて身を横たえ、ひたすら念仏を唱えていた。
自らの死を悟り、身の消滅、即ち餓死を待っていたのである。
だが居場所が見つかってしまってはどうしようもない。
信西は懐中から刀剣を取り出した。
土塀の中にあって、それは鈍く輝いた。
ひと思いに死ぬつもりであったが、信西はその光を見てしばし逡巡してしまった。

思えば苦しいことばかりの人生であった。
今となっては朝廷で政を執っていた時のことではなく、苦難に耐えていた時期のことばかりに思いが及んでしまう。
共に世を嘆き、いつかは正しき政を為さんと誓い合っていた左府(頼長)が執政の座に着いたとき、私は歯噛みする思いであった。
だがその一方で、奴の世は長くは続くまいとも思っていた。
左府は他人に厳しすぎるところがあり、また懐古主義の持ち主でもあったためだ。
そして予想した通り、左府は政治的に失脚した。
左大臣ともあろう者が、戦場で矢を射られて戦死するという最期すら遂げた。
だがそれは私も同じか。
この首はかつて私がそうさせたように、斬首されるのだろう。

そこで信西は唇を歪め、自らを嘲笑った。
左府よ、結局私もお前と変わらなかったということなのか。
今度のことは、ただ信頼ばかりの仕業ではあるまい。
これほどの規模の武力行使が、他の人間の賛同なしに企てられるはずがない。
私の存在を是(ぜ)としない殿上人が、それだけ多かったということか。
あれほど人から反感を持たれまいと苦心していたのに、私としたことが。
そして私ほどの逸材を駆逐するとは、今の朝廷はまこと腐りきっておるのだな。
この国の乱れは、一人の人間の力ではもはやどうすることも出来ぬ。
これはそういうことではないのか?
嗚呼、もし生まれ変わることが出来るのならば、今度は天竺にでも生まれ落ちたいところだ。

信西はそこで妻子のことに思いが浮かんだ。
子女らは上手く生き延びられるだろう。
皆私に似て賢い子供たちだ。
気になるのは朝子のことだ。
あれは上皇に仕えている。
上手く逃げ延びられたのだろうか。

信西は静かに深呼吸をし、天上に目をやった。
土の中なので、空は見えない。
そして心の中でこう問いかけた。
ー主上、上皇。私なしで、あなた方に天下が治められるのですか?-

そして信西は刀剣を頭上に掲げると、一気に胸元を貫いた。
ぐっ。
刃剣の切れ味は思いの外悪く、絶命するまでに刻(とき)をようした。
急所を少し外してしまったのである。
これが私に似合いの最期だというのか?
信西はそう言って自らを嘲った。
追手が彼を捕らえたときは、まだ少しばかり息があったという。
時の執政者でありながら、彼は壮絶な最期を遂げたのであった。
少納言入道信西、俗名を高階通憲。
享年五十四歳。
その人生の軌跡に比べると、彼の栄耀栄華はあまりにも短かった。

数日後、信西の死体は斬首され、首は西の獄門の棟木に晒された。
その首を見て同情する者もいれば、因果応報だと蔑む者もいたという。

信頼を楊貴妃になぞらえて上皇を諌めた信西ではあったが、皮肉にも首を切られたのは信頼ではなく彼自身であった。
しかし、信西の死を受けて上皇が玄宗皇帝のように悲嘆に暮れたかは定かではない。

2012-11-14

歴史小説「帝の御叔父1」

2012/06/02 14:42 参照数41 ブログ気持ち玉「面白い」×1

平治元年(1159年)秋、夕刻。
「また、知足院に行っていたの?」
少し嫌そうに公子が言う。
経宗はそれに気付かぬふりで、
「ええ、相変わらず富家殿(忠実)はお元気そうでしたよ。」
と言った。
「そういうことを言ってるんじゃないわ。再三注意してるのに。富家殿におかしな疑いをかけられたらどうするの。」
「おかしな疑いとは?」
経宗は皮肉な微笑を浮かべ、母の顔を見据えた。
「それは…。摂籙の地位を狙っていないか、ということよ!」
不遜な態度の経宗に対し、公子はとうとう声を張り上げた。
経宗はそれを受け、
「その点は抜かりありません、母上。私はあくまでも摂関家のかつての長(おさ)を慕っている、齢下の従弟(いとこ)、というのを演じています。」
と言った。
「こう言っては何ですが、富家殿も最近ではすっかり年寄りらしくなって。楽しかった頃の昔語りなどをして下さいます。あの方はもう政治そのものに関心を失っておられるのでしょう。その証拠に、こんなものを下さいましたよ。」
そう言うと経宗は懐から笛を取りだした。
「摂関家に代々伝わる『永久(とこしえ)』という笛だそうです。今となっては、伝える者もいないからそちに譲り渡すと。私に対する警戒心のない証でしょう。もっとも、御子息の忠通殿はもしかしたら私に疑いの念をもっているかもしれませんが。あの方は中々人を信用しないところのある御方ですからね。」
「そう。富家殿があなたに笛を…。」
公子は青みがかった美しい装飾の笛をまじまじと見た。
「でも、出来ることならもう知足院には行かないでちょうだい。夫と娘に先立たれた私にとって、あなたは唯一の生きがいなの。あなたを立派に育てることが、亡くなった夫への供養だと思っているのよ。」
「それにしても、全く誰に似たのかしら。あなたの父親はそんな野心家じゃなかったわ。ただ、武芸は好んでいたけれど…。きっと私の父に似たのね。」
公子の父親は閑院家の元当主、鳥羽院餞祚のおりに摂政に立候補した、あの公実であった。
「安心して下さい、母上。私はお祖父様のようにはなりません。すでに摂籙の地位はあの家の子孫が継ぐものと、はっきり決まってしまっているのですから。今上帝の叔父という立場とはいえ、私は自分の分を弁えています。」
「そう、ならいいけど…。」
公子はなおも不審気ではあったが、息子の言葉を信じた。
息子経宗は三十九歳の男盛り。
俄かに舞い込んできた今上帝の外叔父という立場に期待をかけ、野心に燃えていてもおかしくはない。
今までが苦労のし通しだったから、ここら辺でひと花咲かせたい、という気持ちもわからなくはないけれど。
経宗の父、経実は三十年前に彼岸の人となっていた。

公子には二人の子があった。
経宗と、今上帝の母懿子である。
そのうち懿子の方は子のいなかった妹の養女とした。
懿子は末の妹である待賢門院の子、四の宮の元に嫁ぎ、今上帝を産んでいた。
もっとも、当時は四の宮は皇位とは無関係だと思われていたから、婚姻は当時は帝だった讃岐院の後宮に上げることが出来なかったことによる、妹夫妻の妥協の産物だったのかもしれない。
公子は二十年近く前に思いを馳せた。
それが、どういった運命の悪戯かはわからないが、娘は一躍国母となった。
可哀想なことに、本人は今上帝を産んだ直後に亡くなってしまったけれど。
それでも息子が今上の叔父であるという事実は変わらない。
帝の方でも亡き母親に対する思いは強いようで、息子は頻りに内裏に召されていた。
意気揚々と内裏へと出向く経宗のことを、公子は喜ばしく思っていたが、同時に危うさも感じていた。
息子は夫に似て血気盛んな一面を持っている。
夫には酔うと武勇の士を集めて騒ぎを起こすという、傍迷惑な癖があった。
父の様には決してなって欲しくない。
公子は父が亡くなった日のことを思いだしていた。
父とは違い、息子には学才がある。
それを恃みにすることがないといいのだけれど…。

それでも公子はこれは取り越し苦労だと自分に言い聞かせ、やりかけだった縫物に取りかかった。
2012-11-14

リンク追加

2012/06/02 13:42 参照数16

「一輪奏」様と「タケ海舟の歴史事件帳」様をリンクに追加させていただきました。

「一輪奏」様は当ブログにお越しの方はすでに存じ上げているかもしれませんね。
保元物語・平治物語・平家物語という軍記物のあらすじや人物紹介をなさっておられます。
絵も文も上手い!の一言に尽きます。
ちょうど大河ドラマの感想も書かれていて、これもツボ。
他にも読書遍歴や芥川談義、トヤマノコトバというコーナーがあります。

「タケ海舟の歴史事件帳」様は「王者議定」で検索して発見(というのもおかしいですが)しました。
(どういった検索ワードで当ブログにお客様がやって来られるのかマメにチェックしてるんです、私。つい最近はじめたことなんですけれど。で、「王者議定」でやって来られる方が多いので、上から何番目なの?と思って。)
読んでみたら保元の乱に至るまでの経緯がわかりやすく、丁寧に書かれていまして。
その上、改行&絵文字効果か、とっても読みやすい!
アメーバ会員にわざわざなってコメントさせていただきました。
アメブロ、このブログの紹介だけして後は更新する気ないです(笑)。
幕末の話しや「江」について書かれたブログもあるそうです。
「末期徳川政権を支えた重鎮達の幕末維新史~氷川の大法螺吹き奇譚~」
http://www.bakumatsu.jp/blog/takeogawa6619/

よろしくお願いしまーす(^^♪
2012-11-14

クッキー焼きました。

2012/05/07 20:06 参照数11 ブログ気持ち玉「ナイス」×2

画像

一昨日クッキー焼いて、今日職場に持っていきました。わりあい好評でした。うれしい(^-^)/「お店で売ってるのより美味しい」、と言われて恐縮。でも確かに手間はけっこうかかっているのですよ。料理は素材の味を生かすのが一番だけれど、製菓は時間をかけたぶんだけ美味しくなる、と言うのが持論。

ゴールデンウィーク後半は資格の勉強をしたり、小説を書いたり、家事をしたりしたかったんですが、結局どれもほとんどせずに終わってしまった気がします。
「平清盛と後白河院」はようやく半分読み進められました。フヨウの殿上人、を武勇の殿上人、と解釈しているところが興味深い。他の感想はTwitterでちょこちょこ呟くかもしれません。

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に掲載されている、アイスボックスクッキーをココアの量を二倍にしてココアだけの生地を作り、ココナッツを加えました。
2012-11-14

新しいアイデア

2012/04/30 13:22 参照数25 ブログ気持ち玉「ガッツ」×3

「欠月」を書くモチベーションが上がらないうちに、新しいアイデアが湧いてきました。

長家と公信の娘との悲恋を二人の間に生まれた子の子孫(後で調べないと)が若かりし頃の藤原俊成に語り、俊成がその悲恋を草子に物語として書く。
父を失い、名も改めた自身の苦難と絡めながら、俊成は物語を書くことで、和歌の力を再認識する。
そして和歌の力によって家を興すことを決意する。

以下あらすじ。

父を亡くした俊成の元に、二人の間に生まれた子の子孫(Aとします)が尋ねてくる。
「私は御堂関白が子息、藤民部卿長家殿と兵衛督藤原公信殿の娘との間に生まれた娘の末裔。よって私とあなたは遠縁ということになる」
「それは存じ上げませんでした。して、その遠縁というあなたが私に一体何の用が?」
突然やってきた客人に対し若い俊成は、不機嫌そうである。
「貴殿は家を継ぐこともせず、近々名も改めるという。どうにか思いとどまって欲しくて、私はあなたを訪ね参ったのです」
「そのようなこと、あなたに指図されるいわれはない!」
怒りに震える俊成。
家を継がぬこと、名を改めることは、彼の本意ではなかった。
「怒らないで。どうか私の話しを聞いて下さい。私はどうしてもあなたに家を継いでほしいのです。祖先の思いを、どうかあなたに受け継いで欲しい」
「祖先の思いとは?あなたは一体何を仰っているのです?」
「話せば長くなります。お時間をとらせますが、よろしいですか?」
「はい、どうぞお話しになって下さい」
長家と公信の娘のことが語られる。

***

私の名は藤原俊成。権中納言藤原俊忠の長男として生まれた。……。

***

そしてAの話しと俊成の「語り」が交互に繰り返されます。

***
終章。
「あなたの気持ちはようわかりました。ですが私にも自分の立場というものがあります。家を廃し、養父の元で生きることを決意したばかりなのです。ここに草子があります。二人の間の悲恋を、私なりに描いたものです。これをあなたに差し上げます。どうするかは、あなたにおまかせしましょう」
手渡された草紙をめくるA。
「本当に、私が受け取ってよろしいのですか?」
「はい。断っておきますが、私はいつか必ずや家を復興させてみせます。それもあのお二人をつないだ、和歌の力で。」
力強い声の俊成。
「この草子は流布させるようなことはせず、わが家の家宝として伝来させます。子孫が自分たちを誇りに思えるよう。ちなみになんと名をつければよろしいでしょうか」
「~という和歌からとって、『』物語と」(まだ決めてないです)
Aは俊成に礼を言い、帰っていく。

そして俊成は〇年後、和歌によって家を興し、自らを「御子左家」の当主と称した。
御子左家の由来は、長家が醍醐天皇の皇子兼明親王の御子左第を伝領し、御子左民部卿と呼ばれたことによる。
ちなみに俊成の嫡男が百人一首の制作者として名高い、藤原定家である。

俊成の書きおこした『』物語は、Aの家が断絶すると同時に散逸してしまったという。

***
みたいな。
俊成さんの生い立ちとか、和歌とか、調べ物が大変そうです。
あまり史実とかけ離れていない感じにしたいのですが、私の知識じゃ難しいかも。
何より和歌が作れない、これ致命的。
誰かの和歌をちょっとアレンジすることで乗り切るか。
ホント、物語の中に和歌が出てきても訳文だけ読んでそれですませちゃうんですよ、私。
和歌を味わうとか全然出来ないの。
和歌が読めたり詠めたりしたら、創作の幅が広がるのになあ。
残念。

***
この記事は小説がある程度完成したら排除します。
藤原綏子や藤原元子と関係を持った源頼定を主人公にした話とあわせて「平安遺文」とでも題して本にしたいな。
言うだけならタダよね(^_^;)
頼定の話しはまだ大まかにしか考えてないんだけど、天皇になれるはずだった父の子としての鬱憤や屈折を軸に小説にしたいなーと考えております。


***
しかし、「翡翠の陰影」という大正時代を舞台にした小説が話しの序盤で行き詰まってしまったために「欠月」を書き始めたのに、その「欠月」でも行き詰まってしまうとは。
「翡翠の陰影」はあらすじは決めてあるものの、多分キャラや時代背景の掘り下げが不十分なのだな。
会話や書きたいこと以外の、いわば「地の部分」が書き出せない。
良質な昼ドラみたいな話にしたいのだけれど。

一年に一本作品を文藝賞に出すという目標を掲げていたのに、昨年度あっさり破ってしまいました。
講談社Birthや日本文学館の賞に応募したりはしたんですが、昨年度後半はどうしても作品が仕上げられなくて。

俊成さんの話しは100頁ぐらいにして文學界新人賞に出すという手もあるなあ。
そうじゃなくても他の一年に一回やってる公募の賞とか。
「欠月」はメフィスト用と決めたので、ちょっと気が楽になってます。

どれでもいいからまずは小説完成させないと(汗)。
捕らぬ狸の皮算用とは、まさにこのこと。

頑張ります!

2012-11-13

st.cousair

2012/04/30 09:09 参照数16 ブログ気持ち玉「ナイス」×1

画像

昨日は長野までドライブに行ってきました。
写真はst.cousairの黒ごまバターとくるみバター。
ジャムやそばパスタ、ドレッシングやソースなどを扱うお店です。
いろんな種類のあるジャムも好きなんですが、以前開封してからしばらく使わないでいたら、白いものが浮き出てしまって。
勿体ないとは思いつつも、捨ててしまいました。
パイナップルとトロピカルフルーツのジャムだったかな?
美味しかったんですけれどね。
だから私は美味しくて日持ちもする、バター系が好き。
アーモンドバターも美味しい。
おすすめです(*´∀`*)

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=st.cousair&source=web&cd=1&ved=0CCEQFjAA&url=http%3A%2F%2Fwww.stcousair.co.jp%2F&ei=hNudT5POK_GViQePmMnlDg&usg=AFQjCNG7awsD3l1w2Vi3VyrDtW42IrLVxw
プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
note、「小説家になろう」サイトにも投稿しています。

このブログ内の文章の無断転載等はおやめ下さい。

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