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2013-04-29

歴史小説「花いくさ4」

応保元年(1161年)4月、院御所が完成すると滋子は並みいる妃たちを抑えて皇后忻子と共に入御し、「東の御方」と呼ばれるようになる。
女房出身であることを考えれば、これは破格の待遇であった。
ひとえに上皇の寵愛の深さによるものである。

そして同年9月、滋子は男の子を出産した。
上皇は人目もはばからず喜んだ。
それ以上に喜んだのが滋子の親族である。
平時忠・平教盛、義兄平清盛の婿である藤原信隆、それに上皇の側近である藤原成親。
彼らはこの皇子を皇太子に据えることを画策した。
が、この企みは上皇と不仲である帝の知るところとなり、彼らは解官されてしまう。
この画策に、上皇はほとんど関与していなかった。
帝はしかるべき皇子をまだ儲けていないとはいえ、まだ18歳の若さである。
だから帝が激怒するのも無理はなかった。
帝の怒りは上皇その人に向けられた。
上皇は4人は自らの意を汲んだつもりなのであろうが、余計なことを、と思わないこともなかった。
それ以後帝は上皇が政治に関与することを徹底的にやめさせた。
新たに後宮に摂関家の大殿藤原忠通の庶子育子を入内させたのもこの頃であった。
次の年には平時忠と上皇の近臣である源資賢が自らを呪詛しているという噂を聞きつけ、彼らを配流した。
帝の激しさが窺い知れよう。


滋子は異母兄たちの行動に驚いた。
自分が産んだ皇子を帝に、などとは考えたこともなかったからである。

だが、時忠たちの行動は滋子の心に火をつけた。
もっと、上に行けるのかもしれない。
滋子は幼い日に夢見ていたことを思い出した。
后に、そして、国母へ。
人に話せば笑われてしまうから、今まで誰にも話したことはなかった。
だが、夢は、叶えられるのかもしれない。
そこまで考えて滋子は深呼吸をした。
今は、秋(とき)を待つこと。
私は上皇の寵愛を一身に集めている。
それに、帝は病気がちだ。
勝算が、ないわけではない。



4年後の永万元年(1165年)、帝が崩御した。
上皇との関係は結局修復されないまま。
可哀想な親子だこと、と滋子は思ったが、そんなことを考えている暇はなかった。
二条天皇と諡号された帝は実子に位を譲っていたが、その皇子はわずか1歳であった。
その上帝の生母の身分が低かった。
うるさい外戚もいないのである。
上皇はここに付け込んだ。
すぐに滋子の生んだ皇子に親王宣下を行い、翌仁安元年(1166年)には立太子を実現させたのである。
これには新帝の後見をしていた摂政基実がちょうど死去したことも幸いした。
武士たちの頂点に立つ存在であり、大納言となっていた平清盛も味方につけた。

滋子は皇太子の母として従三位、続いて女御となった。

そして仁安3年(1168年)、上皇は後見のほぼない帝を退位させ、滋子の生んだ憲仁親王を帝に立てた。
また、近衛天皇の后であった皇太后藤原呈子に九条院の院合を与えて后の位を空け、滋子を皇后に叙した。
新帝の外祖父平時信には正一位左大臣が、外祖母藤原祐子には正一位が追贈された。

滋子は母が生きていたらどんなに喜んだだろう、と思った。
宮中を離れることは難しく、ろくに親孝行も出来なかった。
立派な婿を連れてきますから、と約束したのに。
滋子は束の間そんな感慨にふけったが、自分が国母となったことが何よりの親孝行だろう、と思い直した。


滋子はそれからも上皇の寵愛を恣にし、政治にも口を出した。
上皇と武門の主平清盛の関係を取り持つ、緩衝材の役目も果たした。
あたかも往時の摂関家と、摂関家出身の国母のように。
それからの十年間は、安定した平和な時代であった。

滋子が安元2年(1176年)、34歳の若さで死ななければ、この平和はもっと長く続いただろう。
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2013-04-27

歴史小説「花いくさ3」

滋子が上西門院に親しく召し使われるようになって間もないころである。
「小弁、話があります。」
「はい、なんでございましょうか。」
滋子は威儀を正した。
「ここではなんですから。二人きりになれるところへ。」
「はい。」
そう言って上西門院は御所の一角の狭い局を扇で指した。
揃って移動する。
「話しと言うのは…。そうね、その前に。お前、恋人はいるの?」
「滅相もございません。」
「隠さなくていいわ。お前ほどの器量の女房に、恋人がいないはずがないでしょう。」
「私は女院の目にそんなに軽々しい女に映っていたのでしょうか。」
滋子が悲しげに目を伏せる。
「そういうことではないの。そんな顔はおよし。」
上西門院が慌てて滋子の肩に手を置いた。
「実はね…。上皇が私に言ったの。姉上が近頃そばで召し使っている女房を召したいのですが…、って。」
上西門院はそう言って無邪気に笑った。
嬉しそうである。
「召すというのは、その…。」
滋子がおずおずと言葉を口にする。
「夜上皇の元に参入するということよ。こんな光栄なことはないわ。喜びなさい、小弁。」
「はい…。」
滋子は突然のことでびっくりしていた。
まさか、上皇に見初められるだなんて、と。
「弟は前々からそなたに目を付けていたそうなの。でも私がいつもそばに置いているものだから、私の承諾なしにはことを進められないって、そう思ったのですって。私のお気に入りだから、軽々しく扱うようなことはしないでちょうだい、って、そう言っておいたわ。安心なさい。」
滋子はうなずくしかない。
まるで夢でも見ているようだ、と思った。
「心の準備はいい?明日にでもそなたを上皇の寝所に参上させたいのだけれど。」
「は、はい。もちろんにございます。」
そう言って滋子は頭を下げた。


次の日の夜、滋子はとびきりの装いをして上皇の寝所へと参入した。
「小弁か。」
少年のような声音だった。
その声を聞き、滋子は奥へと入る。
「はい。」
「そばに。」
滋子が褥の手前で一礼しようとすると、
「そうかしこまらなくてもよい。近う寄れ。」
と制した。
この方が上皇…。
遠巻きに見ることはあったけれど、まさかこんな近くで拝見することが出来るだなんて。
滋子はしげしげと上皇の顔を見る。
その顔には喜色が浮かんでいた。
「どうした?私の顔に何か付いているか?」
そう言って上皇は笑った。
気さくな方だと、滋子は思った。
「そなたらしくもない。何を物怖じしておる。そちは機転の利く賢い女房だと聞いておるぞ。そう緊張せずともよい。早う近くに。」
「はっ。」
そう言って滋子は上皇の懐に滑り込んだ。
上皇が滋子を包み込む。
夢のような一夜を、滋子は過ごした。


それからというもの、滋子は上皇に大いに寵愛された。
初めは戸惑うばかりだった滋子も、二月もすると次第に上皇にも、房事にも慣れてくるようになった。
上皇は少年のような心を持った、純粋な人だった。
朝が来て滋子が帰ろうとすると、
「もう帰ってしまうのかい?」
と子供のように口を尖らせる。
そんな上皇を滋子は愛しいと思い始めていた。

だが喜んでばかりもいられなかった。
上皇には正妃である皇后藤原忻子を始めとして、寵愛をうける多くの女たちがいた。
例えば女御である故藤原公教の娘琮子。
数多の皇子を生んでいる権大納言兼皇后大夫藤原季成の娘、高倉の局。
兵衛尉である平信重の娘坊門局。
右大臣藤原公能の娘坊門殿。

中でも上皇の寵愛深いのは、高倉の局であった。
滋子は一度だけ、上西門院に高倉の局について聞いたことがある。
「どういった方なのですか?」
と。
上西門院は困ったような顔をして、
「そうねえ、私も数回しか会ったことがないのだけれど、確かに美しい女房よ。梔子(くちなし)の花のように庶民的で、若々しくて。人好きのするところが上皇も憎めないのじゃないかしら。」
と言った。
「そう、ですか。」


滋子は上皇への対応に慣れてくると、持ち前の聡明さを発揮した。
執務を執ろうとしない上皇に、
「そんなことではいけません。」
と諭したのである。
滋子は間違っていると思うことは臆面もなく口にした。
そこが高倉の局と違うところだった。
能天気なところのある高倉の局の口癖は、
「それもいいじゃないの。」
だった。
そして上皇を甘やかすだけ甘やかすのであった。
滋子に何かを言われ、しょんぼりとしていると、上皇は決まって高倉の局の元を訪れた。
が、滋子の言うことは尤もだと考え直し、数日後には滋子の元へと戻っていくのであった。
滋子は上皇が高倉の局の元に行っている間、気が気ではなかったが、そんなことはおくびにも出さなかった。
院の寵姫としての自覚が、少しずつ芽生え始めていたのである。


まるで花いくさである。
ここは女たちが寵を競い合う場所。
私は負けない。
どんな花にも。
滋子は静かに意気込んだ。
2013-04-26

歴史小説「花いくさ2」

永暦元年(1160年)六月ー。
しのの新たな旅立ちの日であった。

「しの…。」
「もうその幼名で呼ぶのはよして下さい。子供じゃないんですから」
「そうはいったって、親にとって子供はいつだって子供ですよ。」
祐子が心細げに言う。
「私に滋子という立派な名前を付けてくれたのはお母様ではありませんか。」
滋子は母をたしなめる。
滋子は先日行われた着裳の儀と合わせて、名を戴いていた。
滋子という名は、祐子が陰陽師と一緒になって考えたものである。
「そんな風に言われたら、家を出られなくなってしまいます。」
滋子は困り顔だ。
「でもねえ、そうはいってもねえ。」
祐子はなおも滋子を引き留めようとする。
「やっぱり私は反対だよ。」
「いまさら何を言うの?」
滋子はしまいには呆れてしまった。
「私はやっぱり反対ですよ。女の子なら、手元に置けると思って今日まで頑張ってきたのに。」
「お母様の面倒は私が見ます。そのうちに立派な婿を連れてきますから。だからそんな年よりじみたことは言わないで。」
滋子がなだめすかすように言う。
「そうかい?約束だよ。」
「ええ、ええ。でも、とにかくまずは宮仕えに精を出さなくては。女院に叱られてしまうわ。」
滋子はそう言って笑った。
桃の花のように色づいた頬がまぶしかった。
顔立ちは気高い様子なのに、笑うと愛嬌がこぼれてあたりに馨るようだった。
「本当に美しくなったねえ。」
祐子が感慨深げに言う。
滋子はかぶりを振りながら
「きっとお義兄様の贈って下さったこの撫子の襲ねのおかげね。」
と言って袖をそっとつまんでみせた。
お義兄様、というのは異母姉時子の夫である平清盛のことである。
「本当に羽振りのいいことだねぇ。こんな立派な襲ね、どこで手に入れたのやら。」
祐子がしげしげと滋子の姿を見つめる。
「お義兄様は宋との貿易を取り仕切っているそうですから。こういった唐物の品を手に入れるのは、容易いことなのでしょう。」
「時子はいい夫をもった。伊勢平氏に、しかも後妻として嫁がせるなんて反対だったけれど、今となっては良かったと思ってるよ。」
「お異母姉様ご夫妻にはいつも良くしていただいていますわ。」
「時子は優しい子だしね。時忠とは違って昔から私に従順だったし。」
「お異母兄様だって優しいですよ。」
滋子がとりなすように言った。
「お前にはね。」
祐子が返す。
「ふふっ。」
滋子が微笑した。
母は相変わらずだ。
自分がいなくても元気でやっていけるだろう、と思った。
「では私は参ります。お元気で。」
そう言って滋子はぺこりと頭を下げた。
「ああ、頑張るんだよ。」
祐子は今度は何も言わなかった。


この頃、都は半年ほど前に起こった平治の乱をまだ引きずっていた。
政を掌っていた信西の代わりは誰にも務まらなかった。
しかも親政派である帝の側近二人は配流され、朝廷内は混迷を極めていた。
平治の乱鎮圧の立役者で、また実務にも明るい内大臣藤原公教は、病で伏せっていたのである。

大内裏はすでになく、院御所も消失したまま。
受領階級の者など都を出ていく人も多く、宮中はいつも人手不足だった。
滋子が出仕したのはそんな折だった。


滋子は親類の女房に案内されて統子内親王の住む仮御所へと出向いた。
お世辞にも広いとはいえない御所であった。
そこで宣旨という上臈の女房に引きあわされた。
目の細い、神経質そうな女房であった。
「まず呼び名を決めましょう。そなたの親兄弟で役職に就いている者はいますか?」
「兄が右少弁でございます。」
「そう、なら小弁でいきましょう。そなたはここでは小弁の局と呼ばれることになります。」
「承知いたしました。」
滋子は深々と頭を下げた。
「邸内を案内します。ついてきなさい。」
そう言って宣旨という女房は立ち上がった。
「ここが台盤所、ここが寝所…。」
歩きながら宣旨は扇で御所の一角を指していく。
それは説明というよりは独り言に近かった。
滋子のことを気にかける様子はない。
後ろを振り返ることすらしない。
滋子はこのような狭い御所で、よくもまあそれぞれの用途に合わせた「場所」を設えたものだなあと思っていた。
「ここが女房達の控えの局。」
そう言うと宣旨は引き戸を突然開けた。
そして中に入り、手の平でパシパシと音を立てる。
私語をしていた女房達が一瞬にして静かになった。
「今日から入る小弁です。挨拶なさい。」
宣旨はそう言って一歩下がった。
前に出された形の滋子は
「右少弁時忠の妹、小弁と申します。よろしくお願い致します。」
と言って深々と礼をした。
一座はしんとなったままだ。
沈黙を破ろうとして、滋子は
「上西門院は…。」
と言葉を発した。
すると一人の女房がぷっと笑った。
「いやねえ、新入りが主人に挨拶出来るわけないじゃない。しばらく召し使われて、自然と顔を覚えてもらうのが常識ってものだわ。」
そしてさざめきのようなひそひそ声が辺りを漂った。
そのうちに宣旨が
「これ、」
と声をかけた。
そして滋子の方を見、
「短い期間で辞める者も多いから、そういう風にするのが慣例なのです。内親王のお気を煩わせるわけには参りませんから。」
「そう、なのですか。」
滋子は面食らった。
宮中とは、なんて厳しくて難しい場所なのだろう。
それでも気の強いところのある滋子は、負けるものか、と歯を食いしばったのだった。


ある日のことである。
「ちょっと、あれ。」
という声がした。
視線とひそひそ話しに耐えられなくなり、
滋子は声の方を向いて
「なんでございますか?」
と言った。
声をかけられた女房はたじろいだ様子だったが滋子の着物を扇で指し、
「大した身分でもないのに着ているものが上等すぎるわ。新入りらしく分を弁えなさい。」
と言った。
その日滋子は兄清盛から譲られたいささか上等な単衣を着ていたのである。
「申し訳ございません。」
滋子はそう言うしかない。
「そんなこと言わなくても気付きなさいよ。成り上り者の親類は、これだからいやなのだわ。」
「誰のことを仰っているのですか!」
聞き捨てならない、と滋子は思った。
「そなたの義理の兄のことよ。戦功を立てたからといって、武士のくせに公卿面して。おまけに貿易だか何だか知らないけど豪奢なものを身につけたり、上の者に送りつけたり。全くあさましいったらありゃしないわ。」
「…。」
滋子は押し黙る。
この月に義兄平清盛は平治の乱での勲功が認められ、正三位の位に就いていた。
数人の殿上人をごぼう抜きにして。
この女房は大方義兄に抜かされた殿上人の縁戚か恋人だろう、と滋子は思った。
ならば耐えるしかない。

そのときである。
「熱い、熱い。」
進物所の方から声がした。
そばによると、どうやら食事を手伝っていた童が熱い汁ものを上西門院の膝にかけてしまったらしい。
下仕えの者たちは大慌てで
「早く、水を。」
「それがあいにくと切らしていて。」
「それより薬を。」
などと騒いでいた。
そこで滋子は花器の置いてある廊へと走った。
花器から花を外し、水があることを確かめる。
「水を持って参りました。」
滋子はそっと花器を上西門院の元に差し出した。
「あら、ありがとう。」
と言って上西門院は下人にそれを渡した。
下人は
「濡れてしまいますが、ご勘弁のほどを。」
といいながら花器の水を手ですくい、少しずつ膝にかける。
火傷をするよりはましだというのだろう。
しばらくして騒ぎが収まると、上西門院が
「…そなた、名は?」
と滋子に話しかけた。
「小弁と申します。」
滋子は深々とお辞儀をする。
「そう。」
と言って上西門院は微笑んだ。
その様は白い椿を連想させた。
皇女らしく、凛としていながら清楚さをたたえた美しい方だと滋子は思った。

その日から、上西門院は滋子をそば近くで召し使うようになった。
同殿していた実弟である上皇の目に滋子の姿が留まるのに、そう時間はかからなかった。
2013-04-24

歴史小説「花いくさ1」

平時信邸ー。
「いいですか、しの。この世での在りようは全て前世からの因縁で決まっています。仏道修行によって功徳を積めば、次に生まれ変わった時に立派な人になれます。だから日頃から信心深くありなさい。」
藤原祐子は自分の娘に常々こう言い含めていた。

「しの」という幼名は篠の目の時間帯、すなわち夜明けの頃に生まれたことからその頭文字二字をとって名付けたものである。
祐子は実務官僚藤原顕頼の娘なだけあって学があり、風流にもうるさかった。
例えば腹違いの姉兄(きょうだい)であるしのの十六歳年上の姉時子の幼名は大姫、十二歳年上の兄時忠の幼名は太郎君である。
二人の母は令子内親王に仕えていた半物(はしたもの)で、お世辞にも教養があるとはいえなかった。
父親は父親で子供たちのことは妻たちに一任してほったらかしだったから、子供たちの名付け・教育は母親に全てがかかっているといってもよかった。


ある日のことである。
いつものように祐子が
「この世での在りようは全て前世の功徳によるもの。さあ念仏を唱えましょう。そうすれば来世で私のようになれます。」
と言った時だった。
「でも、お母様はお父様と結婚されたわ。お母様の前世の功徳はその程度だってことね。」
しのははきはきした様子でこう言ってのけた。
「何を言うの。一体。」
祐子はしどろもどろになってあたりを見回した。
女房や下人たちに聞かれたら面目がつぶれてしまう。
「だってそうじゃない。お母様は上皇のお覚えめでたき中納言の娘。それが一体どうして殿のような身分で劣る殿方に嫁したのやら、ってみんな言ってるわ。」
「やめなさい。」
祐子は顔を真っ赤にしてしのをぶった。
「お前たち、一体どういうことなの。こんな子供に何を吹聴したの。」
「隠れてないで出てらっしゃい」
女房達は几帳の陰に潜んでいたのである。
女たちはなかなか出てこようとしなかったが、やがて下臈の女房が人々に押し出される形でおずおずと前に進み出た。
「お前かい、この子にこんなことを言い聞かせたのは。」
祐子は目を吊り上げて女房を詰った。
「いいえ、滅相もありません。」
女房は恐縮するばかりである。
「じゃあ一体誰が…。」
「義母上様、私ですよ。もっとも、私だけではありませんがね。」
局にひょいと入ってきたのはしのの異母兄、時忠である。
「時忠、何ですか、女人の局に勝手に入るとは何事!」
祐子は今度は時忠に詰め寄った。
「よいではありませんか。義母上はともかく、私はしのの肉親なのですから。」
含みのある物言いである。
「この子はなかなかしっかりしている。子供にしては顔の造りも整っていて美しいし、女房勤めでもさせたら意外と上流の男を捕まえるかもしれない。」
「何ですか、やぶからぼうに。私はこの子に女房勤めなんてさせるつもりはありませんよ。異腹(ことはら)の姉にさえそんなことはさせなかったのに。直にこの子には立派な婿を迎えます。」
「正五位下ごときの身分の娘に、立派な婿が迎えられるとお思いですか、義母上殿。」
そこで時忠は祐子と目を合わせてにんまりと笑った。
祐子は時忠から視線をそらし、
「うるさいわね、お前が口を挟むことではないわ。出て行きなさい、早く。」
とぞんざいに言った。

祐子は義理の息子である時忠と折り合いが悪かった。
義理とはいえ母親に対して尊大な態度をとり続ける時忠が、祐子は苦手だったのである。
時忠は時忠で祐子のことを後家のくせに高飛車だと思っていた。
要は似た者同士なのである。

「全く、油断も隙もない」
祐子は一人でぶつぶつと言い始めた。
「お母様、宮仕えって?」
「時忠の言うことは聞き流しなさい。お前とは関係のないことよ。」
「物語に出てくるような宮仕えを、私もしてもいいの?」
しのは目を輝かせている。
「宮仕えなんてはしたない真似、させないわ。」
「はしたない?どうして?」
しのは不思議そうな顔をしている。
そこで祐子は声を落とし、小声でこう言った。
「宮仕えをするとね、多くの殿方の目に留まるの。殿方に、好色の目を向けられることだってあるの。だからはしたないのよ、わかった?」
「そう…。でも、そうした視線をかわして貞操を守って、しかるべき殿方にだけ身体を許せばいいのじゃなくて?」
祐子は驚いた。
まだ十歳なのに…。
「身体を許す」だなんて、一体どこで覚えたのだろう。
閨のことなんて知りもしないと思って、だからそういったことは伏せて納得させようとしたのに。
我が娘ながら末恐ろしい。
それに時忠の言ったことを即座に理解するとはなんて頭の回転の速い、と祐子は思った。
そこで
「そんなに簡単にはいかないわ。」
とだけ呟いた。
しのは何かを思案している風であったが、直に
「そう。」
とだけ言って黙りこくった。


その日から、しのは宮仕えを夢見るようになってしまった。
全く時忠ったら余計なことを。
祐子は忌々しがったが、どうしようもなかった。
「しの、宮仕えっていうのはね、そんな生易しいものじゃないのよ?」
優しく祐子は語りかける。
「知っているわ。宮仕えをしていた古参の女房からいろいろ聞いたもの。」
しのは口答えをする。
「何を知っているというの?」
祐子が聞く。
「仕事は大変。休む間もなく働きづめで、おちおち休んでもいられやしない。それに生意気だと苛められたりもするんでしょう。」
しのはよどみなく答える。
「それがわかっていて、どうして宮仕えをしたいと思うの?」
「華やかな世界に、一度身を置いてみたいの。」
しのは目を輝かせている。
「それにお異母兄様の言う通りだわ。お父様の身分じゃ、たいした貴公子は家(うち)には来ない。それなら私、相手は自分で選びたいの。宮仕えならそれが可能でしょう?」
「妾になってもいいと、そういうの?」
「ええ。」
しのはまっすぐな目で祐子を見た。
祐子は何も言えなくなってしまった。
娘の覚悟は相当なものだ。

確かに私は父よりも身分が下の男の元に嫁いだ。
夫は優しく穏やかな性格で、そんな私をありがたがり、大事にはしてくれている。
私は邸の女主人として何不自由のない生活を送ってもいる。
だが時忠が言っていたように、どうして私がこんな男の妻に、という思いもないわけではない。
しのが言っているような生き方も、あるのかもしれない。

幸い娘は器量が優れている。
容貌も頭の良さも、並外れている。
ここは娘に任せてみても、いいのかもしれない。
祐子はそんな風に考え直した。
「お前の覚悟はわかりました。許可しましょう。だけど、宮仕えに上がるというのならこれだけは肝に銘じておきなさい。賢しい女は嫌われます。出しゃばることのないように。」
「はい!」
しのは笑顔を見せた。
なんて可愛らしい、と祐子は思った。
そしてあと数年でこれも見納めになるのか、と思うと寂しくなった。
「ですがまだ駄目です。御所勤めでも恥をかかないように、あと数年間は教育係をつけて指導してもらいます。」
「えー。」
しのは不満気だ。
「よく考えてもみなさい。あなたのような子供、正式に働かせてくれるところがありますか。」
「それはそうだけど…。」
「『だけど』じゃありません。『そうですが』でしょう。これからは私にだって敬語で話しなさい。」
「承知いたしました、お母様。」
「そう、それでいいわ。」
祐子は満足気に頷いた。
そしてその日からしのを当代一の貴婦人とすべく、あらゆる教養を身に付けさせた。


遅めの初潮を迎えた8年後、18歳のときに、しのはときの上皇の姉、上西門院統子内親王の元に上がることになる。
2013-04-23

読書メモ:文明国をめざしてー幕末から明治時代前期ー

ツイッターでも呟いたのですが、気になったことをメモします。感想は色字で書きます。

西郷隆盛は明治3年、政府高官の豪勢な暮らしぶりを非難するとともに、〈西洋諸国を斟酌〉するのはよいが、〈外国の盛大を羨み〉財力を顧みずに事業を起こせば国家は疲弊すると、木戸・大熊らを批判した。

明治4年に至っては7月に山縣が西郷を訪ね、兵権の政府掌握と廃藩の急務を急いだ。そして「それはよろしい」という西郷の一言で一気に局面が動き、木戸・大久保も決意を固めた。薩長からの自立を求める岩倉も歓迎した。

天皇は鹿児島・山口・佐賀・高知など有力藩主の労をねぎらった上で、在京の藩主を呼び出して知藩事の免官を言い渡した。西郷・木戸・大久保らが秘密裏に工作し、当日まで高知藩にも知らせなかったから、翌日の政府会議は紛糾した。

しかし、〈もし各藩にて異議等起こり候わば、兵を以て撃ち潰しますの他ありません〉という西郷の一喝で決着した。まことに「西郷恐るべし」という他ない。

今回も最後は武力で決着がついたわけだが、同時にともかくも諸藩主が承諾した形をつくった上に、維新の最大の功労者でありながら政府から距離を置き、中央集権化と開花政策に批判的だった西郷が前面に出たからこそ、大きな混乱なしには違反が実現できたといえるだろう。


こういう記述を読むと西郷さんはやっぱり凄いなーと思うわけで。先見性が素晴らしいよね。こんな人が西南戦争を起こしたなんて、ちょっと考えられない。負けるとわかっていても男には立ち向かわなければならないことがある!を地でいった人なのだろうか。
武士のことを分かっているからこそ、その慰撫に努め、最後にはそれらと一緒に滅することを選んだ人、とするのは小説的に過ぎますでしょうか。西郷自身は勝ち目はないことはわかっていたんじゃないかなあ。

P208、西郷が朝鮮への即時派遣に固執し、大久保も譲らず、進退きわまった三条実美はついに卒倒した(ただし、夜には意識を回復してかゆを食べ、翌日にはかなり軽快した)。新政府の太政大臣ってのは大変なんだなあ。


西郷は自分が(朝鮮で)殺されることで「征伐」の名分を作り、不平士族の〈内乱を冀う心を外に移し〉挙国一致の「道義」国家を作ろうとしたというのが、今でも政治史の通説のようだ(P207)。

これは、う~ん。あまりにも人間を美化しすぎではないかい?西郷だって一人の人間だよ?それに自分がいなくなったら新政府が困ることぐらいわかっていたのじゃないのかと。情に深いのはわかるけれど、それなら別の誰かを行かせた方が良くないかい?と単純に思ってしまうよ。

P205。西郷はなぜ朝鮮使節になろうとしたのか。敵対する相手の懐に飛び込んで事態を打開する手法は、第一次長州戦争や江戸城明け渡しで成功していた。だから、平和的解決が西郷の本心だったという見方もある。 
これには納得出来る。

P226。藤田みどりによれば、江戸時代の「黒坊」はオランダ船の従業員として長崎では見慣れた存在で、歌舞伎や浮世絵にも登場した。庶民には好奇のまなざしはあっても蔑視はほとんどなかったが、アフリカの植民地化や奴隷貿易が進む中で、西洋書に接した知識人や幕末の洋行者には「野蛮」「愚昧」のイメージが生まれた。
しかし、多くの人に影響を与えたのは小学校の教科書にもなった福沢諭吉の「世界国尽(せかいくにづくし)」だった。そこにはアフリカは〈無智混沌の一世界〉であり〈黒奴にて風俗甚だいやし〉く、人を殺して肉を食うなど、〈実に下にして人間の最下等〉だと書かれていた。
台湾「生蕃」にも首狩り・人肉食の風習があったようだが、先に紹介した彼らの姿はこうした「黒人」
のイメージにぴったり重なる。じつは、このときの日本兵も「生蕃」の首を持ち帰っているのだが、それだけに〈いっそう、日本兵は開花した文明国の兵隊として勇ましく立派に、メディアの中に描かれなければならなかった〉と土屋礼子は指摘している。

このあたりをツイッターで呟くとヤバいかなあと思ってブログにメモすることにしました。
私は右翼ですが、知識としてこういうことも頭に入れておかないといけないよね。


P348。岡倉覚三。
西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的虐殺をおこない始めてから文明国と呼んでいる。近頃武士道ーーわが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術ーーについて盛んに論評されてきた。しかし……もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。
大々的虐殺というのは新聞各社が作り上げたねつ造だったと思いますがね。
郷に入りては郷に従え、ということなのでしょう。それが「列強」の在り方であったと。
「近代国家」を作るために日本は必死だったのでしょう。それを正当化するつもりはありません。
事実をありのままに受け止め、正しい歴史認識を持つべきだな、と感じました。「正しい歴史認識」とは何ぞや、って感じですがね。


P337。元老や天皇の権能が衰退した昭和期には、軍部や補佐機関が勝手な言動を繰り返し、天皇を含めて誰もその帰結に責任を負わないという、深刻な事態を招くことになる。

2013-04-22

プログレス法で診る北朝鮮の今後

試しに出してみました。
こう言ったら語弊があるかもしれないけれど、歴史の浅い国はこういうことが出来ていいよね。
日本なんて建国が紀元前だからソフトでホロスコープは作れないし、手動で作ったとしても大変なんだよ……。

建国1948年9月9日

経度125.59、緯度39.03。
UTC/GMTとの時差は9時間で出しました。

建国65年目から建国71年目に当たる2013年~2019年
木星と天王星がオポジションで凶座相。
訴訟問題における敗訴の危機、投機による損失、相続財産に関しての紛争、権威者や上位者と争って損害を受けることを示します。
今も油断ならない状態ですが、2013年9月9日からが本番という気がします。期間も6年と長期に及ぶし、やばいんじゃないでしょうか、北朝鮮。

2014年
月と火星がトラインで吉座相。
積極的なビジネス活動による幸運を示し、大きな願望を前進させたり地位を向上させる好機を示します。新しい企業や企画は大体成功します。若い男女にとっては恋愛事件を起こすことを示しますが、この時期の求婚や結婚は結果が良いとは言えません。
2014年から2015年の期間中、中だるみというか少し状況が緩和されることがあるかもしれません。

2022年
太陽とカイロンが合。
自分自身にキズがつくこと、もしくは自らが傷ついた癒し手となることを示します。(注:本には載っていない座相です)。
国の修復に尽力するようなことがあるかもしれませんね。

2023年
月と水星がスクエアで凶座相。
精神活動に良い時期を示し、新規の企業・商売の活状・出版企画の成功・旅行による利益など、全体として繁栄を示します。心は機敏で活発ですが、落ち着かなくなりやすい。繁忙期とはいえ、この時期に課せられる義務や責任をいかに処理するかによって本人の評価が決まります。
国としての真価が問われる時期かもしれません。

2023年~2025年
火星と金星がセクスタイルで吉座相。
情熱的な性格になること、情愛が豊かになること、情にもろくなること。仲間と連合して働くことから得られる利益、共同出資や共同作業による成功を示します。
共同で行うことにおそらくツキがあります。この機会に各国との協調路線に踏み込んではいかがでしょうか。

2026年
太陽と月がセクスタイルで吉座相。
一般に幸運を示し、職業上の成功と昇進、世間からの人気と贔屓、良い友情を得たり上位者から援助されることを示します。この座相は男女両性にとって良く、調和のとれた良い結婚をしたり、家庭的な成功が得られることを示します。
結婚ということで、諸外国、もっというなら韓国との併合があってもおかしくないかもしれませんね。

2026年~2027年
火星と天王星がオポジションで凶座相。
反抗心を持つこと、邪悪な行為に執心すること、悪い相手にかかること、情実に絡んで罪を犯すことを示します。不慮の災難や突発事故、精神障害や神経性の疾患にも注意が必要です。
事故に注意。

2027年
月と冥王星がセクスタイルで吉座相。
復興、あるいは再起を意味し、政治的な敗北や衰退した事業を挽回する手掛かりが得られることを示します・学問や技術の習得、資格や免許の習得についても幸運があります。また、表面には出ずに内部のアドバイザーとしてふるまう立場に置かれている人は、それ相応に業績をあげられます。物事は全て基礎を作る時であり、物質的な利益より将来の飛躍を期しての知的・精神的蓄積に利があります。
この時期一旦持ち直すかもしれません。

2028年
月と火星の合。
積極的なビジネス活動による幸運を示し、大きな願望を前進させたり地位を向上させる好機を示します。新しい企業や企画は大体成功します。若い男女にとっては恋愛事件を起こすことを示しますが、この時期の求婚や結婚は結果が良いとは言えません。
金星と木星がセクスタイルで吉座相
社会の慣習に適合する能力の増加、礼儀作法の改善、幸福な恋愛事件、芸術的な興味から物質的な利益を得ること、優秀な人々から愛されること、社会的成功者や目上の幸運に従って行うことは大体成功することを示します。
太陽と土星がスクエアで凶座相
良い地位を失うこと、健康を失うこと、経済的な損害、相続問題に対しての紛争と苦労など、全て凶方へと向かう不運な時期を示します。
土星の凶座相は全て物事の限界と関係があり、最後の失脚や、死による引退を示す場合もあります。
2028年9月9日~2029年9月8日はターニングポイントになりそうな年です。
他国との調和路線に踏み切るか、踏み切れるのか、ここが正念場でしょう。
不慮の事故や暗殺などにより、指導者が変わるということも考えられます。
あるいは「北朝鮮」という国自体がなくなっているかもしれません。
吉兆混合運で、どちらに転んでもおかしくありません。
2013-04-20

白菜とつみれのスープ



鍋とも言う(笑)。
つみれはクックパッドのレシピを参考にしましたv
http://cookpad.com/recipe/2134064
レシピの倍ぐらいの量で適当に作ったのですが、それなりのものが仕上がりました。
「薄味だけどおいしい」と家族にもわりあい好評でした。
醤油かなにかで絡めようかと思ったのですが、つみれを作るときに使った汁がもったいなくてスープにしました。
中ぐらいの白菜一個と細いネギ二本を入れ、鶏がらスープと醤油で味付けをしました。
ネギはつみれの中にも入ってます。
袋に入れて外から混ぜるということでしたが、最後には手で混ぜました。
形を整えるのちょっと面倒だったけれど、あとは本当に簡単です。
アレンジしてまた作りたいです
2013-04-20

シナモンシフォン

今月書くことがなさそうなので、お菓子作りでお茶を濁すことにしました(笑)。





生クリームが余ってたのでシフォンケーキを焼きましたー

手前と奥をひっくり返さずにいたら焦げちゃいました
うちのオーブンは奥の方が温度が高くなってしまうようなんです。
それでいつもは焼き時間の半分を過ぎたらひっくり返すようにしていたのですが、今日は所用があってこれをしませんでした。
ダメですね、手を抜いちゃ。
あと、待ちきれなくてすぐに型を外したらしぼんでしまったような気も

生クリームには砂糖の他にホワイトキュラソーとバニラエッセンスも加えました
プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
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