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2013-05-08

小説「魂宿(たまやどし)」

左大臣家の女房の目をかいくぐって盗み見をした褒子(よしこ)は、人形のような女だった。
顔色は透き通るように白く、顔立ちも整ってはいるが、生気のようなものが感じられなかった。
だから亭子院が帝の元に侍る予定だった褒子を掠め取って自分の物にしたと聞いたときは、物好きなことだ、と高をくくっていた。
まさかこの自分がその褒子にこんなにも恋焦がれるようになるなんて、思いもしなかった。


あれはもう、半年ほど前のことになる。

亭子院の宴の席のことだ。
亭子院は退位した帝でありながら、自家で派手やかな生活を送っていた。
出家した身でありながら狩猟を好み、女色に耽る、困った御方でもあった。

その日も亭子院は后妃たちを思う存分着飾らせ、訪れた人々に見せびらかしていた。
梔子、二藍、女郎花。
色とりどりの表着(うわぎ)が庭先で揺れる様は、書に伝わる遠い西の浄土を思い起こさせた。
中でも素晴らしかったのが京極御息所と呼ばれる褒子であった。
贅沢な唐物の表着に藤の匂いの襲ねを纏い、梔子色の扇で顔を隠していた。
こぼれ出る黒髪が漆のように光り輝いていて、眩しかった。

皆が大分酒のまわっていた頃だった。
庭先に猫が寄って来た。
褒子は一瞬ためらった様子だったが扇を下に置き、猫を抱え上げた。
その瞬間、褒子をずっと見ていた私と目が合った。
褒子は口元で微笑した。
蠱惑的な笑み。
私はおや、と思った。
つい数年前までは人形のような女だったのに、と。

声を掛けようとしたのに、それは酔った隣の男のせいで阻まれた。
男がいきなり烏帽子を脱いで踊りだしたのだ。
宴の席が一時騒然となった。
乱痴気騒ぎに宴は台無しになってしまった。
当の亭子院はこれも一興、と大笑いでいらっしゃったが。
全く食えない御方だ。


褒子の微笑を、私はその夜(よ)夢に見た。
宴の席で用意された女を、抱いていたにもかかわらず、だ。

気がつけば、私は虜になっていた。
あの微笑の意味を、あの女の正体を、この手で突き止めたくて仕方なくなっていたのだ。

私は宴から一月経った頃に、褒子の元へと忍び込んだ。
私の想いを天が察してくれたのか、邸はびっくりするくらい手薄であった。

褒子の眠る局に着くと、私は息をついた。
これからする行為は、降り位の帝に対する反逆である。

だがかの院は、私の父を蹴落として帝になった人物。
表面上は丁重に接することは出来ても、心から尊敬できるはずなどない。

本来であれば、亭子院の子ではなく、私こそが帝になるべきだったものを……!

日頃の屈辱が思い出され、私は唇を噛んだ。

「誰か、いるの……?」
褒子が目を覚ましたようだ。

私は局の中の寝所へと進み、こう囁いた。
「あなたが私をお誘いになるから、こうして参ったのです」
裾を翻した際に、直衣に炊きしめていた白梅の香が馨った。
「私が誰を誘ったというの。誰か、誰かーー」
褒子が人を呼ぶ。
「無駄ですよ。そば仕えの女房にはしばらく眠ってもらうことにしました」
「あの宴のときに、私は確かにあなたに誘惑されました」
「元良親王、なのね……!」
褒子が言う。
私は褒子の口を手で覆った。
小ぶりな口。
その口の中に親指を入れ、唇をめくって口付け、舌を入れる。
女は細い手で私の背中を叩いたが、私はその抗議には耳を貸さなかった。
覆い被さり、女の身体を開かせようとする。
諦めがついたのか、直に褒子は私に身を任せた。


初夜の褒子の態度はつれないものだったが、何度も夜這いをするうちに、私に心を開いてくれたようだった。
閨を共にするには、やはり若い男の方がいいのだろう。
亭子院は褒子よりも三十は年上だった。

亭子院のお気に入りの女は私のものだ、と思うと日々の鬱憤も晴らすことが出来た。


だが、ことが露見するのは意外にも早かった。
私と褒子の秘事は巷間の知るところとなった。
褒子付きの女房がしゃべったのだろう。

そこで私は自棄になって褒子に和歌を送った。
「わびぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」
(こんなに思い悩んでいるのだから、今となっては同じことだ。難波にある澪標(みおつくし、水路を示す杭)という言葉のように、我が身を滅ぼしてでもあなたに逢おうと思う)

返歌は、なかった。

そこで私は褒子の邸に忍び込んだ。
「どうして返事をくれないんだい?褒子」
私は褒子の肩に手をかけた。
「気安く呼ばないで」
褒子はその手を力一杯払いのける。
「一体何があったんだ」
二人の秘事が露見して亭子院に詰られでもしたのか、可哀想に、と私は思った。
「もう気が済んだでしょう?これであなたとはお別れね。せいせいしたわ」
「何を言っているんだ」
「鈍い人ね。まだわからないの?今度のことはね、亭子院の思し召しなのよ」
「それは、どういう……」
自分でもびっくりするくらい、か細い声が出た。
「亭子院が私に言ったの。あなたが私に懸想をしていると知ったときにね、『褒子、頼むから元良親王の願いを叶えてやってはくれないか』って、そう仰られたのよ」
「私は嫌だって抵抗したわ。でも亭子院は頭を下げて頼みこむの。『私に出来ることは、これくらいなのだ。それで親王の気が済まれるのならば』って。その姿があまりにもおいたわしくて……。だからあなたに情けをかけてやったの。これでお分かり?分かったのならさっさと帰ってちょうだい」
褒子はそう言って後ろを向いた。
その手を掴み、私は
「待て、あんな爺(じじい)のどこがいいんだ」
と言った。
「亭子院は優しくて、心が広くて、それに誰よりも私を愛してくれるわ」
「心が広い、だと」
「ええ、過去の因縁をいつまでも根に持ち続ける狭量なあなたよりは、ずっと、ずうっと御心が広くていらっしゃるわ」
「因縁も何も……。亭子院が父上から帝位を奪ったのは事実じゃないか。」
「亭子院とてそのあたりのことは分かっておられるわ。分かっているからこそ、あなた方父子の慰安に心を砕いているんじゃないの。それに、亭子院は帝の位を譲られたのよ。お父上からね。亭子院だってお苦しみなのよ。どうしてそういったことが分からないの。あなたって、子供ね」
「言わせておけば……」
私は手をあげて褒子の頬を打(ぶ)とうとした。
だが、褒子は抵抗しなかった。
目をつぶり、黙って立っているだけだ。
打たれるのを待っているかのように。

私は自分が情けなくなった。
目の前が真っ暗にもなった。
亭子院の掌で転がされているような錯覚さえ覚えた。
いや、錯覚ではない、事実なのだろう。

だとしたら、いつから。
宴の席で私が褒子に心を掴まれた頃からだろうか。
いや、もっと前かもしれない。
なんということだ。


私は一体、何をしていたのだ。


私は褒子の方を見た。
亭子院は人形に息を吹き込んだ。
人形は人間になった。
主人のことを思いやる、心優しい人間に。

私には出来なかった、いややろうともしなかったことだ。

亭子院の方が一枚も二枚も上手だったということか。
私は臍を噛んだが後の祭りであった。
いまさら後悔しても仕方がない。
とぼとぼと、その場を後にするしかなかった。



二人の密通の発覚後、世人は元良親王の身を危ぶんだが、御咎めは何もなかった。
この件は、かえって亭子院の器量の大きさが際立つ結果となったのであった。
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2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

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