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2015-03-29

残花ーその後の重盛と成親ー

成親は京の重盛の邸を訪れていた。
「ご養女が中宮に冊立されると聞きまして。まずはお義父上である貴殿にご挨拶をと」
重盛に取り次いでもらった成親は、そう言って頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
重盛の言葉には覇気がなかった。
「どうされましたか、小松殿。浮かない顔ですな」
成親が重盛の顔を覗き込むようにじっと見る。
すると、重盛が不機嫌そうに眉を歪めた。
「……嫌味を言いに来たのですか?」
「いや、別に。ただ、どうしているのかな、と思っただけだよ」
周囲に人がいなくなると、成親は急に気安い口調になった。
二人は旧知の間柄であったのだ。
「義理の娘と言っても、しょせんは母の違う妹。父や異母弟たちは狂喜しているが、それは私には関係のないこと」
憤怒の表出ともいえる、重盛の言葉。
だが声の調子には、どこか哀しげな響きがあった。
成親は嬉々として、
「本当は中宮に皇子など生んで欲しくない?」
と重盛の気持ちを推察してみせる。
重盛はそれに対し、
「そういうわけではない。一門のことを考えれば、それは喜ばしいことだ。だが、今後のことを思うと……」
というにとどめた。
「不安でたまらない?」
成親はさらに続ける。
「……」
重盛はそれには答えない。
じっと耐えている。

重盛は平清盛の長男ではあったが今の正妻腹の息子ではなかった。
しかも継母の異母妹が院の妃となり、皇子を生んでいた。
その皇子が今の帝だ。
加えて継母の娘、即ち重盛の異母妹が重盛の養女格で帝に入内。
重盛は微妙な立場に立たされているのだ。

「一門など捨て去って、お前も院の側の人間になればいいのに」
歌うように、成親は言う。
「それは、出来ない」
「なぜ?」
「父を、異母弟(おとうと)たちを、裏切ることは出来ない。叔父たちや、いとこたちも」
「こんなに苦しんでいるのに?」
成親は執拗に言葉をかけ続ける。
だが一向に本心を語りたがらない重盛に業を煮やしたのか、今度はこう言った。
「慰めてあげようか?」
そっと重盛の直衣に手を掛ける。
重盛はその手を振り払う。
それに気分を害したのか、成親はこう言い放った。
「お前と、妙音院(師長)と、俺。そして院さえいれば、なんだって出来ただろうに」
「それはもう終わったことだ。院は妙音院殿ではなく、松殿(基房)を選んだではないか」
「あのときはね。他の臣下の手前もあって、仕方なかったのさ」
妙音院藤原師長は保元の乱で敗れた謀反人頼長の子息であった。
そこを他の公卿たちから反対され、院は師長を摂関の地位に就けることを断念したのだ。
「あのときと今とで、何が違う」
少し怒気を含んだ声。
だが成親はひるまない。
「お前の気持ちが変わったんじゃないかと思ってね。だからこうして会いに来たのさ」
「俺は別に権力を得たいとか、世の中をどうこうしたいとか、そういう気持ちはないんだ。ただ愛する者たちを守りたくて……」
「さすがお育ちのいい人は違うね。権大納言殿」
成親は「権大納言殿」に力を込めてそう言った。
成親自身は権中納言であったのだ。
「その地位も、この邸も、全て父親から与えられておいてぬけぬけとよくそんなことが言えるね。はっ」
「成親……」
「俺は違う。もっと権力が欲しい。そして誰からも馬鹿にされたくはない」
「誰も馬鹿になどしていない。今や院近臣筆頭ではないか」
「どこまでお人よしなんだ。俺は馬鹿にされ続けているよ。昔から、ずっとな」
「そう思うのは、お前の心がそう見えさせているだけだ」
重盛は悲しげに言い、さらに続ける。
「いい加減、権力を志向するのはやめるんだ。今に身を亡ぼす」
「ふんっ、あいつと同じことを言うんだな」
「あいつって誰だ?」
「妙音院だよ」
「なら、間違いないな」
「どいつもこいつも。所詮は『御曹司』だもんな。お前も、妙音院も」
成親が吐き捨てるように言う。
「俺も、あの人も、いろいろあるんだ。それに俺たちにはないものをお前は持って……」
「そんなこと、聞きたくないね」
成親はそう言ったが、気を取り直すように次の瞬間こう続けた。
「野暮な話はやめよう。愉しもうじゃないか。今ひと時だけでも」
そう言って自身の直衣を脱ぎかける。
「いや、いい。そんな気分にはなれない」
「年増には興味がないか」
成親はそう言ってふっと嗤う。
「成親……。俺は何も、お前と同衾するためだけに、お前と親しくしてきたわけじゃない」
「わかってるよ、政治的な思惑があってのことだろう」
「それもあるが、そうじゃない」
成親は苛立った様子で
「じゃあなんだというんだ」
「俺の守りたいものの中に、お前も入っている」
重盛が頬を少し赤く染めながら言う。
「俺はお前を愛しんでいる」
「何を言うかと思えば」
成親は取り合わない。
「俺は本当にそう思って……」
「二十年近く前、お前は俺の顔と、技巧だけで俺に夢中になったくせに」
重盛が顔をしかめる。
「俺に似ているというだけで、妹を妻にしたくせに」
「それは……。あの時と今とでは違うんだ」
「違わない」
「成親、人は変わる。人の、思いはーー」
「うるさい! やっぱりお前は腰抜けだ。俺はもう帰る」
「成親……」
成親は邸を出て行った。


その後成親は清盛の失脚を図ったとして配流され、その途中で殺された。
重盛は清盛に助命を願ったが、聞き入れられなかった。
重盛自身もそれから一年も待たずして亡くなったという。


*****
「残花」というタイトルが浮かんで書きました。
予定とはだいぶ違う感じになっちゃったけれど(汗)。

9割ぐらい書き終わってから、「あれ、徳子の出産って鹿ケ谷の謀議のあとじゃん」と青くなりました(;・∀・)
で、「皇子出産」を「中宮冊立」に変えました。
(「懐妊」にしようかと思ったらそれもアウトで変えました。)
一応セーフ、だよね……?

「さつき待つ」
http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-45.html
とは矛盾している部分もあるのですが、「さつき待つ」を消すのは忍びなくて、そのままにしてあります。
自分の考えって変わっちゃうことがあるんですよね。
研究は進化しますし。
言い訳がましくてごめんなさい。

あと、鹿ケ谷の謀議はなかった、とされてる研究者さんもいらっしゃるようです。
研究成果は日夜変わっていくわけですね。

そして説明不足ですみません。
元木先生の著書を読んでないとよくわからないかも。

後白河を後ろ盾とし、重盛に武力をもたせ、師長に摂関家として政をさせる。
そしてその要となるのが成親。
というのが「平清盛と後白河院」以下で唱えておられる元木泰雄氏の説です。
面白いとは思うのですが、私は正直ちょっと懐疑的です。
6割ぐらい信じている、ってところです。

楽しそうですけどねー、チーム後白河(笑)。
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2015-03-29

台記仁平二年八月二十四日の記事と成親考

※下ネタというか下品な話なので、苦手な人は読まないでください。


台記の仁平二年八月二十四日に、以下の一文があります。

「亥刻許讃丸来、気味甚切、遂俱漏精、希有事也、此人恒常有比事、感嘆尤深」

ここでいう讃丸というのは藤原成親のことだそうです。

他にもこうした記述があります。

「彼朝臣漏精、足動感情、先々常有如此之事、於此道、不恥于往古之人也」

東野治之氏の訳と談。
「彼の朝臣、精を漏らす。感情を動かすに足る。先々も常にかくの如き事有り。此の道において往古に恥じざる人なり」
讃は頼長を受け入れながら射精するのが常であった。それが頼長を喜ばせたのである。

台記には「讃」と「讃丸」という人物が出てきており、東野氏は「讃丸」を「讃」と同一人物としていたそうですが、五味文彦氏や大石幹人氏の見解によると、違うそうです。
即ち「讃」は藤原隆季で、「讃丸」は藤原成親なんだとか。

追記:この記事は東野氏によれば成親、五味氏や大石氏によれば為通のことを指すのであろう、とのことです。


しかし、この道において往古に恥じざる人なり、って(^_^;)
この道ってどの道だよ。
男色道?もしくは房中術か。
この記述を初めて見たときは、成親十五歳、恐るべし!と思ったものです。
そして頼長の喜びよう……。
情事中に精を漏らされるのってそんなにうれしいのかな?
自分が相手を楽しませてると感じられるから?
ぶっちゃけ私にはよくわかりません(;'∀')

ただ、この記述を読んで、なんとなく思い出したのが昔ちらっとだけ読んだ漫画。
明治時代、北海道の開拓期。
遊女としてこの地に向かわされた十二歳ぐらいの少女。
容貌がいまいちだった彼女は、少しでも多く客を取るために、情事中におしっこをちょっとずつ漏らすことを考える。
客の男性にとってみれば、自分のそれがいいから相手も悦んでいるんだ、だからこんなにも濡れるんだ、っていう、そういうことでしょうね。
この漫画、タイトルすら思い出せないのですが、絵が強烈でなんか印象深いんですよね。

情事中に射精する。
成親はまあ、ノリノリだっというか、自分も楽しんでいたのかな、と思ったりもしますが、そのへんは本人に聞いてみないと分かりません。
ですが、その後の展開を考えると、ただ男に抱かれることを愉しむだけの人だった、ということは考えにくいのじゃないかなあとは思います。
射精も本当は別のことを考えて、演技でやっているのかもしれませんし。

「芙蓉の殿上人」、最初はもっと笑えるカンジにしようと思ったんですけどね。
ナルシストキャラというか、自分に酔ってるような。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」とか鏡の前で言ってしまうとか(笑)。
登場人物につい「翳(かげ)」を付けてしまうのは私の悪い癖ですね。
私のブログ小説で全く屈託のない人なんて、八条院ぐらいですよ。

成親については他の方の仰る、「高性能パトロンレーダー標準装備」とか、「イメージはずばりカマっぽい」だとかも面白いなあと思ったのですが、父親の家成とは違う感じにしたくて、結局シリアス仕様にしてしまいました。

って、顔も出してるブログで何書いてるんでしょうね、私ったらw

この記事の参考文献と、「芙蓉の殿上人」で特に参考にしたもの。

東野弘之 1979 「日記に見る藤原頼長の男色関係ー王朝のウィタ・セクスアリス」ヒストリア八四所収
大石幹人 1999 「院政期貴族社会の男色意識に関する一考察ー藤原頼長に見る男色関係の性格ー」 福島県立博物館紀要第14号
五味文彦 1984 院政期社会の研究 山川出版社

元木泰雄 2012 平清盛と後白河院 角川学芸出版
元木泰雄(編) 2014 保元・平治の乱と平氏の栄華 清水堂出版
2015-03-27

歴史小説「芙蓉の殿上人4」

※直接的な描写はありませんが、男色が苦手な方には読むのをおススメしません。

――平治元年十二月。

「今宵の宴には、越後守さまも出席なさるのですって」
「いやだわ、私」
「私も……」
「あら、あなたも?」
「ええ、だって、あの方がいらっしゃると私たちの存在がかすんでしまうんですもの」
「わかるわ」
御所の女房たちがため息交じりに言う。

女房たちのいうあの方、越後守というのは藤原成親のことである。
成親は藤原信頼の譲りを受けて、越後守となっていた。

成親は自分と関係を持った院(鳥羽)や左大臣(頼長)の死を受けても、なおも廟堂に残っていた。
自分を庇護してくれる存在がなくなったのなら、別の者に乗り換えればいいこと。
成親にはそんな薄情なところがあった。
もっとも、それは成親に限ったことではなかったが。

成親はこのとき二十一歳。
寵童というのには歳をとり過ぎていたが、その美貌は衰えていなかった。
いや、むしろ数多の男たちの愛撫を受け、その美貌は年々凄みを増していた。
気だるげに見える、ほんの少しだけ下がり気味な口元。
不機嫌そうにも、物欲しげにも見える、その表情。
成親が眉をかすかに動かすだけで、男たちは尋ねずにはいられない。
「何か」
と。
この言に続くのが、「気に障ることでも?」なのか、「欲しいものでも?」なのかは、人による。
なんにせよ、それに成親は答えない。
ただ、「何も」というだけである。
うっすら微笑して。
そのさざ波にも似た、優雅な笑み。
気が付いた時には、男たちは成親に心を搦(から)めとられている。

そして、女たちは……。
男の身でありながら、あれだけの美貌を与えられて。
全くこの世は不公平だわ、と嘆く。

多くの女たちにとって成親は、恋愛の対象ではなかった。
むしろ、手ごわい「恋敵」であった。


「芙蓉如面柳如眉」
ある公卿が、こう口ずさんだことがある。
芙蓉の花は彼の人の顔のよう、柳は彼の人の眉のよう、という、長恨歌の一節である。
「なるほど、確かに彼の人は芙蓉の花そのものですな」
「本当に」
そんなふうに囁かれ、いつしか成親は「芙蓉の殿上人」と噂されるようになった。

だがある公卿はこういう。
「ふようはふようでも、越後守は『不要』の殿上人じゃわい」
意地の悪い笑い声とともに、その部下が言う。
「確かにそうですね。美貌と、時の院の寵愛を受けることしか能のない、いてもいなくてもさして変わらない、不要の殿上人です」

それを影で聞いていた成親の拳は、怒りで震えていた。
今に見ておれ、と。

同じく院の男色相手である権中納言藤原信頼から、決起を持ち掛けられたのは、ちょうどその頃だった。

成親イラスト(稚都さんの) 縮小版

上のイラストは稚都さん @wakamiyako (ツイッターアカウント)が描いてくれたものです。
構図も配色も素晴らしいですよね。
稚都さん、ありがとうございます(*^_^*)
2015-03-25

歴史小説「芙蓉の殿上人3」

※男色がダメな方は読むのをおススメしません。

「父上、どうされました。珍しくため息をついて」
成親が聞く。
「経子のことだ。私はあれを平清盛の子息、重盛殿のもとにやりたいと思っているのだが、肝心の重盛殿自身が首を縦に振ってくれないのだ」
「貴族の家でもないのに、生意気な」
俺は一笑にふした。
「父親の清盛殿は乗り気だというのに……。なんでも自分には添い遂げたい女性が他にいるから、政略結婚には興味がないと、こういうのだ。全く、青臭いにもほどがある」
「ほう……」
今時珍しい、と成親は思った。
「父上、ここは私に任せてくれませんか?」
「お前に?」
「ええ、なんとかしてみせますよ」
「なんとかって、どうする気だ?」
「それは秘密です」
「まあいいだろう。何もしないよりはましだしな。では頼んだぞ」
家成はそう言って外に出た。

成親は次の日、殿上の間で重盛に声をかけた。
縁談のこともあってか、重盛は成親によそよそしかった。
「貴殿に話があるのです」
甘やかな声音で、ひっそりと囁く。
「話? 縁談の事ならもう断ったはずですが……」
「その話ではありません。どこか人の目の届かないところへ……。そうだ、ここがいい」
成親は殿上の間のかげに重盛を誘い込んだ。
「それで、話というのは……」
おずおずという重盛の唇を、成親は自身の口でふさいだ。
「!?」
すぐさま舌を入れる。
舌と舌の隠微な絡みあいに、初心(うぶ)な重盛はぽうっとなった。
唇を離すと、成親は重盛を下から見上げた。
ねぶるように。
その誘うような口元が再度開かれ、右手が重盛の股間に届こうというとき、
「ひ、人が……」
と言って重盛はその場から去って行った。
残された成親は、ちょろいもんだな、と思っていた。

以来重盛は成親と目を合わそうとしなくった。
いや、合わせられなくなったというべきか。
重盛が成親に見惚れる。
視線を感じた成親が重盛の方を見る。
重盛が慌てて目をそらす。
こんな具合なのだ。

まるで俺が重盛という男をなぶっているようだな。
成親は嗤った。
そう、男たちは閨では俺をなぶる。
だがそうでないときには俺が相手をもてあそんでいることに、男たちは気づかない。
愚かなことだ。

さて、もうそろそろ重盛を楽にしてあげよう。
いい加減向こうも焦れてきているであろうから。
成親は重盛と二人っきりになったとき、耳元で囁いた。
「日曜日、私の別荘に来ませんか。紅葉が見ごろなのです。何人でも連れてきていただいて構いません。もちろんお一人ででもいいですがね。そこは任せますよ」
ふふっと笑い、重盛の返事を待たずに成親はその場から去って行った。

日曜日、重盛は別荘に一人でやって来た。
従者さえ連れずに。
「来て下さると思っていましたよ」
別荘の入り口で、成親が微笑する。
そのなんでもお見通し、という年嵩の女房のような表情。
重盛は恐る恐る成親を見る。
すると重盛は突然成親に抱き付いた。
「重盛殿。局はあちらですよ」
扇子で局の方を指し示す。
成親の声は至って冷静だ。
「あのときのあなたの目、あなたの唇。何度夢に見たことか。もう我慢できない」
「私は床の上は嫌なのです。それにここでは人目が」
「人目など構うものか……!」
成親がくっくと笑う。
「あの日、人目があるといって私を遠ざけたあなたがねえ。全くいい年をして、困ったお人だ」
「気に障りましたか?」
重盛が怯えた声を出す。
成親は加虐心をくすぐられた。
「いいえ。ただおかしくて。いいですよ。あなたのものになりましょう。この場所でだけはね」
そう言うと成親は直衣を脱いで重盛の首に手を回した。

別荘で逢瀬を重ねるようになってしばらくしてから、成親は話を切り出した。
「これからはそうそう会えなくなります」
「なぜです?」
「妻を娶らねばならなくなりました」
「妻、か」
「あなたはまだ妻帯していませんでしたね。何か理由でも?」
「貴方がいるから、私には女など必要ないのです」
いけしゃあしゃあとよくいう。
成親は呆れた。
「そうはいっても私は所詮は男の身。女にはかないません」
「何を仰る。あなたは女以上に美しい」
成親はだんだんと興ざめしてきた。
それでもつとめて、もったいぶったような話し方でこう言う。
「それでも、家を継ぐものである以上、子孫は作らねばなりません。私もあなたも、ね」
「それは、確かに、まあ」
とたんに重盛の言が歯切れの悪いものなる。
「私には同母の妹がいましてね。乳母から間違われるほどに私とよく似ているのです。父はあなたの嫁に、ということでしたが、あなたが女色に興味がないというのでしたら、別の方に差し上げるしかありませんな。残念ですが」
「……あなたに似ているの、ですか」
重盛が呟くように言う。
成親は
「ええ」
と軽く言うにとどめておいた。


重盛殿から妹を嫁に欲しい、と言ってきたのはその三日後のことだった。
父は喜んで私に聞いてきた。
「いったいどんな手を使ったんだ?」
「簡単ですよ。重盛殿を誘惑したのです。それで妹が私に似ていると、そう伝えて……」
言い終わらないうちに、成親の頬に家成の拳がとんできた。
「な、なにをするんですか。よりにもよって商売道具の顔を」
「うるさい!お前こそ何をしてくれたんだ。今後経子はお前の身代わりとしてしか重盛殿に見てもらえなくなるだろう。なんて不憫な。妹が可愛くないのか!?」
「可愛いですよ。ですが私は父上のためを思えばこそ」
「私のためだと?」
「そうです。清盛殿との結びつきを確保するために、父上は経子を差し出したんでしょう」
「人聞きの悪い。それは確かにそうだが、私は経子自身の幸せをも願っておる。重盛殿は実直な好青年だ。彼なら経子を任せられると、そう思って」
「あの助平の腰抜けのどこが好青年なんだか」
成親は鼻で嗤った。
「大体、私に宮中での身の振り方を教えたのは父上でしょう。それが私の幸せにつながると、そう言い含めて。今回の件、感謝はされても、殴られる筋合いはありませんよ」
「成親……、男の幸せと女の幸せは違うんだ」
家成の視線は憐れみを含んでいた。
だが成親はそれに気づかない。
気づこうとしない。
「はっ、父上も所詮は人の子。息子よりも娘が可愛い、そういうことですか!」
「違う、そうじゃない」
家成は首を横に振る。
「わからない。わかりたくもない!」
そう言って成親は家を飛び出した。

成親は家を出、自分の邸を持った。
家成が亡くなったのは、それからしてすぐのことだった。
2015-03-25

歴史小説「芙蓉の殿上人2」

※男色・ショタがダメな方は読むのをおススメしません。

始めの二年ほどはただただ苦痛だったかかる行為も、近頃では愉しいと思えるようになっていた。
昼間は品行方正を装いながらも、閨ではあさましい醜態をさらす殿上人の姿を見るのも愉快だった。

男色を好む男たちは、自分を放ってはおかない。
母譲りの美しいかんばせに、蠱惑的な細い腰つき、誘うような視線。
内心では自信たっぷりなのに、それをすっぽりと隠してしまうふてぶてしさ。
俺に口説き落とせない男など、いない。

小三郎との共寝で、成親ははっきりとそう口にした。
すると小三郎はこう言った。
「若君は、少し天狗になっていらっしゃるようだ」
続けてこうも言う。
「いいですか。いくら男を虜にしたところで、それを役立たせることが出来ぬのなら、それは宝の持ち腐れというものです。男色には力があります。その力は、有効に活用するべきです。自分に酔っているだけでは、話になりません」
「辛辣だな」
「私は若君のことを思って言っているのです。近頃関係を持ったあの中将、あの男は若君に何をしてくださいました?」
「別に、何も。ただ男になど興味ないという顔をしているから、落としたくなったけだ」
「あの男が今何を吹聴しているかご存知ですか? こう言っていたそうですよ。『成親というあの男、ただで寝ることが出来たぞ、自分の男ぶりがいいからだろうな』、とね」
「なんだと?」
俺は気色ばんだ。
「力の使い方を誤るからこうなるのです」
小三郎は呆れた声を出した。
「くそっ」
そして俺はこう続けた。
「小三郎は何でも知っているんだなあ」
「若君ご自身より若君のことを知っていると思いますよ」
そう言って小三郎は笑った。

それからは、寝る相手には取引を持ち掛けるようになった。
どこそこの所領が欲しい、官位をあげて欲しい。
たいていの男は渋ったが、そこは手練手管で自分のいい方にもっていった。
関係を持つ相手は自然と上流の男たちばかりになった。
院や、摂関家の御曹司でさえ、自分を組み敷いた。

するとある日、小三郎から注意された。
若君は欲深くていらっしゃる。もっと慎み深くあれ、と。
俺は言い返した。
「男色を有効活用しろと言ったのはお前ではないか」
「度が過ぎる、というものです。過ぎた願いは、過ぎた結果を生むものですよ」
「わからないな」
「今はわからないでしょう。ですが今にわかる日がきっと来ます」
「年寄みたいなことを言うんだな」
「私はれっきとした年寄ですよ」
「ここをこんなに大きくさせていて、なにが年寄か」
俺は笑って小三郎のそれをつかんだ。
小三郎もまた笑う。
「思えば、初寝の相手がこんな爺だったとはな。全く父も情緒のかけらもないことをしたもんだ」
「若君の相手をしたいという輩は、あの当時たくさんいたのですよ。私をあてがった殿の思いやりに、感謝することですな」
「そうだな」
「おや、今日は珍しく素直ですね」
「私はいつだって素直だろう」
「どこがですか! 確かに私に何かを言われるとすぐに従いますが、それも表面でだけでしょう」
「むっ」
俺は唸った。
全部お見通し、というわけか。

「俺は、父のようになりたい」
「ほう」
「そのためには、どうしたらいい? 教えてくれ、小三郎」
「若君は殿のようにはなれませんよ」
「なぜだ?」
「若君は殿に似ず、意地汚くて欲張りだから」
「それは父も同じだろう」
「殿はああみえて意外と欲深くないのです。与えられた所領も、必要とあればあっさりと手放してしまうところがあります。そこが院にも気に入られています」
「なら俺だってそうするよ」
「若君にそれが出来ますかねえ」
「出来るとも」
俺は力強く言った。
「本当に、若君は殿に似て可憐で、北の方様にも似てこんなにも美しいのに、なぜ性格だけがこうなのでしょう」
小三郎は嘆息した。
「そんなに似ているか?」
「ええ、お二人の若い頃にそっくりですよ。父譲りの低くて可愛らしい鼻に、母譲りの丸く潤んだ目、小作りな顔の造作。ただ、一度魅入られたら離れられなくなりそうな、魔性の雰囲気。この雰囲気は誰に似たのでしょうな」
「幼少の頃、俺は周囲の大人の視線が怖くて仕方なかったから、そのときの不安定さが出ているのじゃないかな」
俺は冷静に考察した。
「ああ、そうかもしれませんね。それともう一つ。若君は殿のような快活さを持ち合わせてはおりませぬ。それもあって、お父上のようになるのは難しいかと」
「俺は暗いというのか?」
「少なくとも明るくはありませんな。殿は男に抱かれることを一方では愉しんでいました。意外に思われるでしょうが、根が明るい方なので、何事もいい風に考えようとなさっていたのでしょうな。女色も楽しんでおられましたし」
「俺だって女は抱くぞ」
「ですが、心からは愉しんではおられないでしょう?」
「まあ、そうだな」
初めのうちはよかった。
だがあるとき女の媚態が自分のそれと重なって、吐き気がした。
自分も男の前ではこんな風に見えているのか、と。
そしていつしかそれは研究の対象になった。
どんな表情が男の心をくすぐるのか、足を開く角度は、喘ぎ声の大きさは、と。
「若君は、もっとこの世を楽しんで下さい。青春を謳歌してください」
切なげな声音で小三郎が言う。
「男寵の家に生まれて、この身体とこの容姿で、どうやって楽しめというのだ」
「もっと気楽に生きてください。何事も、ほどほどになさってください。老いぼれからの最後の願いです」
「お前への手向けは、俺の立身出世と決めている。立派な墓を建ててやるから」
「私はそんなものはいりません。若君の幸せを願うばかりです」
「もういい。今日は下がれ」
「……はい」

小三郎はまもなく亡くなった。
俺は「味方」を失った。

2015-03-25

歴史小説「芙蓉の殿上人1」

※男色・ショタがダメな方は読むのをおススメしません。

子供の頃は、大人の男性が怖かった。
藤原成親はそう述懐する。

人々は好奇の目で自分を見ていた。
「お父様、どうして大人たちは僕をじろじろ見るの……?」
父は少し困った顔をして、
「お前が可愛いからだよ」
などと言った。
「可愛いって、ぼくは男なのに」
「可愛いもの、きらきらしいものに男も女も関係ないのさ。近頃の世は、ね」
「僕わかんないよ」
「いずれ説明するさ。お前が、もっと大きくなったら、だが」
「……はい」

十歳の時に父の言おうとしていたことがわかった。
ある日父は老家臣の小三郎という男と俺を前にして、こう言ったのだ。
「この子ももう十歳だ。少し早いが、この手のことを教えてやろう。でないとこの子の身が危うい。どこぞの男に襲われるやもしれぬ」
「殿、いくらなんでも早過ぎはしませぬか……。それでは若君が可哀想です」
「私はこの子のためを思って言っているのだ。お前は黙って従え」
「はい」
小声で頷く小三郎。
「では、あとは任せたぞ」
「はい……」
そう言うと父は局から去って行った。
小三郎と二人にされた俺は、呑気に「何して遊ぶ?」などと言っていた、ような気がする。
小三郎は父よりも年上で、俺は彼を実の祖父のように慕っていた。
「若君……。どうかこれからする行為に、驚かれないで下さいよ」
小三郎は悲しい目をしていた。
言うが否や、小三郎は俺を抱きかかえ、口を吸った。
俺は小さな手をばたつかせて抗ったが、小三郎の手はゆるまなかった。
唇の端を押さえられ、小三郎の舌が入ってきた。
口の中で、舌と舌とが絡み合う。
やだ、気持ち悪い。
そう感じて俺は小三郎を突き飛ばした。
小三郎はあっさりと俺を手放した。
が、次の瞬間小三郎は俺を床に押し付け、衣装を脱がせ始めた。
「やだ、やめて。お父さん! お父さん!」
叫んでも、誰も来ない。
ーーみんなが見て見ぬふりをしている……?--
そんな疑いを持ったりも、した。
小三郎の手には容赦がない。
俺はあっという間に丸裸にされた。
「若君。どうか耐えてください」
小三郎は苦渋に満ちた表情で言う。

小三郎の「それ」が身のうちに入り、二人一つとなるまでに、どれぐらいの時を要したのか。
当時は随分と短く感じたものだが、今にして思うと、小三郎は相当な時間をかけてくれていたような気がする。
俺が少しでも痛い思いをしないように。
それが小三郎のせめてもの優しさだったのだ。
だが、当時の俺はそれに気付かなかった。
当たり前と言えば当たり前だが。
小三郎の仕打ちを、俺は父に言いつけた。
こんなひどいことをされた、と。
慰めてくれるはずの父は、怖い顔をして俺に言った。
「これからは、小三郎がお前の教育係だ」
と。
俺にはわけがわからなかった。
「宮中に出入りするようになったからには、ああした行為はつきものだと思いなさい。いつどこで、誰に求められてもいいよう、小三郎を相手に練習しておきなさい」
こう言うのだ。
「どうして? 僕はそんなことをするために官人になったわけじゃないのに」
「お前はそういうつもりでも、周囲の人間はそう思わないんだ」
「僕、わからないよ。どうして僕だけ」
「お前だけじゃない。お前の兄さんたちも一緒なんだ」
「兄さんたちも?」
「そうだ」
「なんで、どうして」
俺は泣きじゃくっていた。
「お前たちが、私の息子だから」
感情を込めずに父が言う。
「私は身体を盾にのし上がった、成り上がり者。尾籠(びろう)の、者。そういう人間の息子だから、周囲の人間もそう見るのさ」
「身体を、盾に?」
「そうだ。お前が小三郎にされたのと同様のことを、この父もやっているのだよ」
俺はそのときになってやっと意味がわかった。
父の言わんとしていること、小三郎の行為の意味、これから自分の身に起きる現実、が。
十歳の自分に、父はなんていうことを聞かせたのだろう。
成親は深呼吸をする。
それも、俺を思えばこそ、か。
成親は口の端を曲げ、歪笑した。
2015-03-20

紅い涙ー頼長と蔵俊ー

緇衣(蔵俊)仏子、長者(頼長)左大臣閣下の教命により、六月乙未十日より始めて同二十七日に至り終わる。

唯識比量容義二十箇条両巻これを記す。

……草案僅かに清書に就くも未だ訖らず。

丞相、早く薨じ賢覧に備えず。

遺恨の感、これに先んじることなし。

然るにかの素意を諧(かな)へんがため、その慧眼を開かんがため、八月丁酉九日より始めて、同十四日に至るまで清書、功を畢り、両巻を軸となす。

右筆として書かんと欲すれば、即ち文は紅涙の色に染まり、留心して案ぜんと欲すれば即ち義は心火の烟(けむり)に隠る。

手は振い心は迷ひて、鳥蹟(ちょうせき)字を成すも、晩より胸騒ぎて魚魯の謬を致す。

……時に保元元年丙子秋八月十四日これを記す。


「唯識比量問答巻下」の奥書より、興福寺五師大法師蔵俊


保元元年(1156年)、帝(後の諡を近衛)の崩御を受けて頼長は政治的に失脚した。
蟄居中の頼長は興福寺第一の学生蔵俊に教えを乞い、因明(仏教論理学)の研究をしていた。
経学をもって世を正そうとしたものの、経学は時代にはそぐわず、結果としてそれに足を引っ張られる形になってしまった。
だがその頼長を慰めてくれるものは、学問に他ならなかった。
院に手厳しく非難され、帝に怯えられながらも貫いてきた、己の政道。
間違っていたとは思わない。
だが、もっと別のやり方があったのかもしれぬ。
復権は難しいやもしれぬが、もしこの手で今一度政治を執ることが出来たならば、今度こそ……!
淡い期待を胸に抱きながら、頼長は一心に学問に励んだ。


今から一月ほど前のことである。
蔵俊のもとに、ときの左大臣頼長が訪ねてきた。
「蔵俊という者に取り次いでもらいたい」
蔵俊は何事、と思った。
興福寺は藤原氏の氏寺である。
頼長は曲がりなりにも氏の長者だ。
寺の運営のことで、何か間違いでもあったか。
蔵俊は内心では怯えていた。
だが、対面した頼長の発言は、意外なものであった。
「貴殿の教えを乞いたい」
頼長は政治的に失脚し、蟄居しているということだった。
そのさなかに、学問か。
蔵俊は頼長の顔をまじまじと見た。
憔悴しているようだったが、目の輝きは衰えてはいない。
逃げ場を求めているわけでも、自分の正しさを確認するためでもなく、この方は純粋に学問を極めようとしているのだろう。
同じ学生(がくしょう)として、蔵俊には相通じるものを感じた。
「よいでしょう。私でよければなんなりと。して、左大臣様の学びたい学問とは?」
「因明学(仏教論理学)を」
「因明学、ですか。なぜまたそれを?」
「私は長年強訴に手を焼いてきた。この上は敵をよく知ることが必要だったのではないか、と思うに至った。それで宗徒の学ぶものと同じ学問を治めたくなった。また、因明というのはこの世の理について学ぶ正道であろう。純然な学問、というべきか。こうした機会がなければ、学ぶことは出来ない思って、な」
「そうですか……。そのような理由で、因明学を……」
「いけないか?」
「いえ、めっそうもございません」
蔵俊は感じ入った。
宗徒でさえ深く学ぼうとしない因明学について、これほど理解があるとは。
そう、最近の宗徒は自分や自分の属する寺院の利益ばかりを追求して、真面目に学ぼうとしない。
嘆かわしいこと、と蔵俊は思っていた。
それを左大臣、前執政者という高位にある人が学ぼうとされるとは、と蔵俊は素直に感心したのである。

頼長は熱心に学問に励んだ。
興福寺第一の学生蔵俊にもこれには顔負けであった。
「あなた様ほどの学徒はおられませんよ」
蔵俊が軽口をたたく。
学問という共通の基軸が、二人の身分の差を超えさせていた。
「なんの! それでもとても貴殿にはかなわない」
「当たり前でしょう。年季が違いますから」
そう言って蔵俊がまた笑う。
「政治にも生かせそうだ」
頼長のこの発言に、蔵俊はぎくりとする。
「その……、左大臣様は、まだ政務に対して未練がおありで……?」
蔵俊が遠慮がちにいう。
頼長の顔色がさっと変わった。
「未練、とな?」
「はい……」
頼長はふうっと一息ついた。
「貴殿は何か勘違いをなさっているようだな」
「と、申しますと?」
「私は別に学問に逃げているわけではない」
「それは存じ上げているつもりです」
蔵俊が言う。
「私はまた政治を執りたい。いや、いつか必ずまた執政の地位についてみせる」
「怖れながら。あなた様には学問があるではありませんか。蟄居の身となったからには、学問に精進して、それを子孫に伝えていけば、それでもう十分ではありませんか」
「貴殿にはわからないであろう。私の長年の夢も、希望も」
「夢、ですか」
「そう、私はいつか必ずこの世の中を是正してみせる」
「それが思い通りに行かなかったから、失脚なさったのではありますまいか?」
蔵俊は恐る恐る言う。
「あれはやり方が間違っていたのだ。今度は上手くやってみせる」
「私はあなた様は政治家には向いておられないと、そう思いますよ。これは学問の師として、いいえ友としての忠告です」
「向いていなくても、難しくても、人にはやり遂げなければいけないものがある。それは『天命』と呼ばれるものかもしれない」
「向いていないのならそれは『天命』ではないという神仏からの啓示ではないかと、私はそう思われるのですがね」
「まあそれも一理あるのかもしれぬな」
そう言って頼長は笑った。
笑いごとではない、と蔵俊は思った。

この方は、摂関家の子息としてお生まれになるべきではなかった。
蔵俊は頼長を返したあと、一人慨嘆した。


蔵俊の懸念は現実のものとなる。
頼長が院(後の諡を鳥羽)の死後、帝(後の諡を後白河)方の挑発に乗り、保元の乱を起こしたのだ。
頼長は矢傷を負い、それが元でなくなった。

執政の地位にこだわるのはやめるよう、根気よく諭すべきだったのだ。
蔵俊は悔いたが、後の祭りであった。
もとより一介の宗徒が左大臣に進言などできるはずがなかったのではあるが。


頼長が戦死する前に、蔵俊は頼長から唯識容義の注釈を頼まれていた。
その清書を終えたのは、乱の一か月後だった。

蔵俊は頼長への敬愛を隠さなかった。
それがこの奥書には表れている。
紅い涙を流し、手を震わせながら、これを書いたというのだ。


蔵俊はその後、信西の子覚憲らを育て、後に興福寺の兼別当として南都に重きをなした。
死後は僧正法印大和尚位を追贈されたということである。
蔵俊にとどまらず、頼長の庇護した学者たちもまた、後世に大きな軌跡を残した。
藤原兼実の信頼を得た、藤原頼業などがこれにあたる。



*****
直接の子孫は残らなかったけれど、学問や楽道、儀式・作法道は残った、という、「師長と公継」と同様のオチですね。

元木泰雄(編)の「保元・平治の乱と平氏の栄華」という本の中の、「藤原頼長―苦闘する大学者―」を読んだら書きたくなって一本書いてみました。

この本はどの章も面白くて本当におすすめです。
ツイッターでさんざん言ってますが(苦笑)。
頼長の章は横内裕人氏の書きぶりがまた素敵でしてね……。
信西の諫言についても取り上げ、「彼(頼長)の一途さを知るだけに無念を噛みしめていたであろう」とも書かれてますよ。

因明学についてですが、院政期においては具体的にどういう学問だったのかがわからないまま書いてしまいました。
私は宗徒が学ぶ、この世の理(ことわり)とは何か、的なものかなあと思っています。
宗教論理学、って文言だけでもう難しそう(^_^;)
2015-03-14

恋合わせ

1120年頃のことである。

関白藤原忠実の邸で歌合があった。
歌合にはもちろん子息忠通、それと彼と親しい間柄にある源有仁も参加していた。
「お題は桜じゃ。自由に詠め」
忠実が皆の前で楽しげに題目を発表する。

それを受け、まず忠通が和歌を朗詠した。
「峰つづき匂ふ桜をしるべにて知らぬ山路にかかりぬるかな」
(峰つづきに咲いている桜を案内にして、入ったこともない山路に来てしまったよ)

「しみじみとした情景が目に浮かぶようですね。では私も一つ」
有仁はそういうと、和歌をそらんじた。

「春ごとに松の緑に埋(うず)もれて風に知られぬはな桜かな」
(毎年春には、茂っている松の緑にかくれて、風に気付かれず散らされない桜の花よ)

「なかなか典雅な歌ですな。色彩が鮮明で、光景が目に浮かぶようです」
すかさず老人がほめ言葉を口にする。
「さすがは権大納言様(有仁)。和歌はやはり、その人柄を表すのですね。なんて華やかなお歌なのでしょう」
女房たちのささめき声。
それを聞いて、忠通は舌打ちしたいような気持ちになる。

有仁は、眉目秀麗で何事にもそつがなく、光源氏の再来とまで言われている人物である。
同年代ということもあり、忠通は何かと比べられることが多かった。
「有仁さまが光源氏なら、忠通さまはさしずめ頭中将というところね」
したり顔でそう言う女房がいるのも知っている。

それが忠通には面白くなかった。
だが、有仁自身は性格もよく、摂関家の御曹司である自分を何かと立ててくれていた。
だから忠通は有仁を敵対視するというわけにもいかなかった。
それが忠通の心を余計に複雑にしていた。

ある日の夜更け、夜歩きの帰りに忠通はとある邸の前で有仁の牛車を見つけた。
有仁は牛車の中で、和歌を綴っているようだった。
真剣に、楽しげに。
それが忠通には不思議に感じられた。
有仁と北の方の仲は水も漏らさぬ間柄、と聞いている。
なのに、夜歩きか?
牛車は立派なもので、それが有仁のものであることは一目瞭然であった。
だというのに人目も憚らず……。
これは一体どういうことなのだろうかと。

次の日、忠通は有仁に昨日の一件を話した。
「人目も気にせず恋人のもとに通って、明け方が近いというのに丁寧に文までしたためて、奥方は何も言わないのか?」
すると意外な答えが返って来た。
「何も言いませんよ。むしろ、恋人に礼を尽くさずに帰る方が怒られます」
「どういうことだ?」
「大人の男なら、恋人には真心をもって接しなさい。短い一生のうちの、ほんの一瞬のあいだだけなのだから、本気で取り組みなさい、とこういうのです」
「夜歩きに対して寛容なんだな。恋人を作っても構わないとは、よく出来た妻で羨ましいよ」
「そんな殊勝なものではありませんよ。私の妻は風変わりなところがあるのです。なんというか、そうですね。恋にうるさいのです」
「恋にうるさい?」
「香にうるさい、味にうるさい、と同じ次元で恋にもうるさいのです」
「言っていることがよくわからないのだが」
忠通が正直に言う。
「そうでしょうね。我が邸の女房たちの多くが恋の上手であるという話は聞いたことがありますか?」
「それぐらいは、まあ」
「これには私の妻が一枚かんでいるのです。妻は恋というものをとても大事にしていましてね。男女の境なく、老若をも問わず、恋をしている者全員を応援してしまうような人なのです。私も含めて、ね。これには自分が夫ある身でもう恋は出来ないから、というのがあるからだそうなのですが」
「奥方の応援によって、貴殿の女房たちの多くが恋の上手として振る舞えると、そういうことか?」
「そうです。さすが察しがいいですね。妻はよくこうも言っています。世の中には、いろんな恋のあり方があっていい。恋ほど素晴らしいものはない、と。なかなか振り回されていますよ。この私が、ね」
有仁はそう言ってくすくすと笑った。
「それでも羨ましいよ。理解のある妻で」
「まあそうですね」
しれっという有仁。
忠通は正直妬けた。
「私の妻もそうだったらいいのになあ」
忠通をはため息をついた。
忠通の妻は気位が高くて嫉妬深く、夜歩きにもうるさかった。
「内大臣殿(忠通)も奥方に提案してみてはいかがですか?」
といって有仁は笑った。
「そうしよう」
忠通は神妙にうなずいた。

翌朝、忠通は頬に擦り傷を作って殿上の間の入り口にやって来た。
「猫にでもやられましたか?」
涼しい顔で有仁が聞く。
すると忠通は怒った表情で、
「妻にやられた。お前の言うとおりにしたら、このざまだ」
と言った。
「私は冗談のつもりで言ったのですよ。まさか本気にされるとは」
有仁はやれやれといった調子だ。
「うるさい。もうお前とは口を利かないからな!」
そう言うと忠通はずんずんと先に進んでしまった。
「そんな子供のようなーー」
有仁が小走りに走ってそれについていく。
忠通23歳、有仁17歳の頃のことであった。

忠通の父忠実が院の不興を買い、忠通が関白に就任したのは、この一年後のことである。
平穏な日々は、長くは続かなかった。
  
参考文献
金葉和歌集・詞花和歌集 1989 川村晃生・柏木由夫・工藤重矩(校注) 岩波書店

*****

私本平治物語で忠通をこき下ろした「忠通死去」を書こうとしたのですが、忠通を好きな人もいるから反感買うかなーと思ってまだ黒くなってない忠通の若かりし頃を書きました。
主役が有仁っぽくなってしまったけれど(^_^;)
「忠通死去」と同時にあげようとしたのですが、書き上げちゃったのでとりあえず載せちゃいました。
ちなみに私本保元物語の中には組み込みません(笑)。
本編と関係ないので。

有仁と北の方に関しては、こちらもご参照ください♪
「菊花ー有仁と北の方ー」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-183.html
「花香夜ー有仁と北の方―」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-97.html
「北の方の思いー有仁と北の方ー」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-103.html
「今宮2」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
2015-03-10

思いつきホロスコープ診断1

2008/06/24 03:43 にあげたものを本日改訂しました。

 参照数712

崇徳院のホロスコープを診てみます。

この時代、正確な生年月日と出生時刻がわかるのは、天皇か日記が現存している公卿の子息ぐらいだろうな。

元永二年五月二十八日 申の刻 京都生まれ
西暦にすると1119年7月7日 15時~17時(ホロスコープは16時で設定)


改訂後

蟹座の第一旬の太陽。
外界に対する敏感な反応と、感情の起伏の激しさを与えます。
身内意識が強く、特に自分が保護する立場にある者に対しては、親身な面倒見を惜しみません。
環境の変化を喜びますが、先祖から受け継いだ伝統や慣習を守ろうとする気持ちにも激しいものがあります。
深い同情心と鋭敏な知力に富んだ、思索型の人です。

双子座の月
陽気で軽快な性格です。貪欲な知識欲を持ち合わせます。
旅行好き、遊び好きで、目新しいものに本能的に引かれます。
要領がよくて抜け目なく、勢力の強い側につく巧妙な処世術を身につけています。
生き生きとした豊かな情感を持ち、それが魅力となって異性を惹きつけます。

太陽と金星が蟹座で合(0度)。
品性穏やかで情愛濃やかな性格です。
優雅で快活な人柄ですが、男性はやや柔弱なのが欠点です。
競争社会より美と快楽の追求に本質があり、芸術の世界との接触に有望です。
上位者から愛顧されやすく、また上流の社会に属する人々の間に友情を持ちます。
蟹座ということで、身内を大事にする性質が強いでしょう。

これにカイロンが吉座相(120度)。
自己や他者を癒す力があります。
また、トラウマを克服する上で自己表現や芸術方面のことが役立つでしょう。

月と土星が合
質実一点張りとなりやすく、非感激的な冷淡さを持ちます。
注意深い性質を持ち、陰気で臆病ですが、任務には忠実で秩序を大切にする人となります。
義務に拘束されやすく、人生上の楽しみが少ないでしょう。
男女とも、結婚生活に何らかの苦労が付きまといます。

これに火星が吉座相(120度)。
情熱でもって対応しようとします。

月と土星の合に海王星は凶座相(90度)。
夢想的な面が邪魔をするかも。

木星、冥王星、天王星が冥王星を中心にT‐スクエア。
木星と冥王星の凶座相は政治的な権力抗争に関係しやすく、最悪の場合社会的勢力・地位・財産などを一切失う不運に見舞われます。
天王星と冥王星の凶座相は職業生活の激変に遭いやすく、時代変革の嵐と体制危機をはらんでいることを表します。
また、惑星の格式においては木星が山羊座にあり「衰」、天王星が獅子座にあって「敗」です。
「衰」にあるとその惑星の影響力は弱まり、「敗」にあると弱点が強調されます。

これら大惑星は運行速度が極めて遅いため、惑星間で座相を作る期間も長くなります。
そのため、大惑星の作る座相は個人というよりも、その座相が作られる期間に生まれた人たち全体に影響を及ぼします。

   まとめ
「品性穏やかで情愛濃やかな性格です」
このアスペクトが蟹座にありますから、余計にそうでしょうね。「情愛細やかな性格」。
芸術に優れ、その方面で活躍することで自己を癒す。これがこの方の人生のテーマになりそうです。

その反面、暗くて陰気な部分もあります。
出生のことがありますから、このあたりは仕方がない気がします。
蟹座の影響が強いので、心を許せる人にしか打ち解けない、というようなこともありそうです。
「義務に拘束されやすく、人生上の楽しみが少ないでしょう」
これは本当にそうかもしれません。
自分が嫡流であるという思いから、あまり道に外れた行いはしなかったんじゃないかな、と思います。
子供の数も少ないですし、好色だったという印象は受けません。
人生を進んでエンジョイしようとするタイプではない気がします。

大惑星のアスペクトに至っては、宿命的なものを感じずにはいられませんね。


改訂前

ASC(アセンダント)の近くにカイロンがあります。

ASCはの初期の運を表し、本人が生まれたときの環境によって定まる事柄を示します。
また、本人の人生に対する姿勢を決定します。

カイロン(キローンともいう)は小惑星で、コンプレックス、トラウマ、ヒーラー、‘傷ついた癒し手,を表します。
このカイロンが秘密、障害、潜在している事柄、集合的無意識を意味する第12室にあります。

この方の人生の主題は自己のコンプレックスやトラウマを克服し、それによって他者を癒すことにあると思われます。
コンプレックスやトラウマの原因は、秘密や潜在している事柄にあります。
それを自分では意識していない、もしくは意識していてもそれを隠そうとする傾向があります。


木星、冥王星、天王星が冥王星を中心にT‐スクエア。
木星と冥王星の凶座相は政治的な権力抗争に関係しやすく、最悪の場合社会的勢力・地位・財産などを一切失う不運に見舞われます。
天王星と冥王星の凶座相は職業生活の激変に遭いやすく、時代変革の嵐と体制危機をはらんでいることを表します。
また、惑星の格式においては木星が山羊座にあり「衰」、天王星が獅子座にあって「敗」です。
「衰」にあるとその惑星の影響力は弱まり、「敗」にあると弱点が強調されます。

これら大惑星は運行速度が極めて遅いため、惑星間で座相を作る期間も長くなります。
そのため、大惑星の作る座相は個人というよりも、その座相が作られる期間に生まれた人たち全体に影響を及ぼします。

ただ、個人のホロスコープでもこれらの惑星がASCの支配星・太陽・月によって強化されていると、影響が強くなる場合があります。
このT‐スクエアは厳しいもので、格式も良くありません。個人のホロスコープに影響が出るのは望ましくないでしょう。

この方は、これらの惑星に月が関係しています。
木星、月、天王星で調停(メディエティション)の複合アスペクトを形成しています。
調停の座相ではオポジション(180度)の切迫状態は緩和され、トライン(120度)の穏やかさには活気が吹き込まれます。
木星と天王星が180度、月と天王星が120度、木星と月が60度です。
冥王星と月もセミセキスタイル(30度)で調和座相を作っています。

月との調和は、関係する惑星に感受性と想像力、人気などを与えます。

どんなホロスコープかな~?と軽い気持ちで診断したんですが、なんだか切なくなりました
カイロンの位置にびっくり。らしすぎる。
あのT‐スクエアは時代なんだろうなぁ。天王星と冥王星がスクエア(90度)を形成するのは1117~1120年なのだけれど、西行や藤原頼長もこのあたりに生まれています。

もちろん影響の良いものもあるんですけど。
カイロンが自己実現・誇りを表す太陽や、芸術的才能・恋愛を表す金星とトラインだったり。
トラウマを克服する上で、自身が嫡系であるという矜持や、和歌の作成、恋愛は有利に働いたと思います。
太陽と金星の合は品性穏やかで情愛深い性格を、太陽と海王星の吉座相は洗練された清廉な人柄を与えます。
また心理的・創造的な才能があり、虚構の世界で成功しやすいでしょう。

家庭運・家族運を意味する第四ハウスには月があります。
この位置の月は両親からの強い影響を受けることを示します。
精神的な安定感を家庭に求めることが多くなります。

この月はカイロンとセスキコードレコード(135度)。困難を意味し、混乱を示す座相です。
家族(鳥羽院)と上手くやれなかったことは、トラウマを克服する妨げとなっただろうな。
感受性や想像力に恵まれている分、余計につらかったかもしれない。

   参考文献
岡本翔子 心理占星学入門 2000 扶桑社
石川源晃 1992 [演習]占星学入門 平河出版社
石川源晃 1991 [実習]占星学入門 平河出版社
流智明 1986 占星学教本 JICC出版局
ルル・ラブア 2005 占星学 実業之日本社
プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
note、「小説家になろう」サイトにも投稿しています。

このブログ内の文章の無断転載等はおやめ下さい。

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お手数おかけしますm(_ _)m

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