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2015-04-20

歴史小説「くべるー師長と兼実ー」

建久三年(1192年)夏ーー。

からりと晴れた日だった。
空はどこまでも青く澄み渡り、鳥たちは心地よさげに空中を舞っていた。
兼実は日記を書いていた手を止め、廂(ひさし)に出て空を仰いだ。
「いい天気だ。内にこもっているのはもったいない」
思わず独り言が口から出る。
我ながら年寄りじみているな、と恥ずかしくなった兼実は、近くの女童(めのわらわ)に話しかけたふうを装った。
すると普段邸の主人に話しかけられるのもまれな女童は、びっくりして逃げていってしまった。
「まったく、教育がなってないのう」
兼実がまたも独り言を言う。

そんな兼実のもとに思いもよらぬ報せが届いた。
「なに、それは本当か?」
兼実が気色ばむ。
「はい、妙音院どのが直筆の楽譜や書物などを焼いているとのことです」
「しかし、なんでまた?」
兼実の従者有安は、目をそらしながら
「死期(しき)を、悟られたのではないでしょうか……」
とだけ言った。
兼実の顔色が変わる。
まず兼実が言葉を発した。
「行くぞ」
「どこへですか!?」
「決まっておろう。妙音院の邸だ」
「行って何をされるつもりですか?」
「いいからついて来い」
兼実が牛車の準備をさせ、二人は妙音院藤原師長の住居妙音堂へと向かった。


「あやどのーー、もっと炭を持ってきてくれ」
「はーーい」
「悪いね。夫に内緒でこんなことに協力させて」
「いいえ。私と殿との仲ですもの」
あやどのがいたずらっぽく笑う。
あやどのは、師長の弟子の妻になる前までは、師長の妾だった。
死期を悟った師長に対し、最後に情けをかけたのだ。
あやどのは情愛細やかな性格の女性だった。
「でも、本当によろしいんですの……? すべてを燃やしてしまうだなんて。もったいないといいますか……」
「私の父の日記は、父の死後に一部が流通してしまって、そのおかげで私はよくからかわれたからね。父の情事の相手の婿になって、私と成親はできているんじゃないかって、こそこそと噂話をされたものだよ。私は後世に浮名を流したくないんだ」
「でも、それにしたって……」
「安心なさい。お前の夫は私の教示本がなくても、立派にやっていけるさ」
そこで師長はあやどのに向かってにっと笑いかけた。
その笑顔は闊達だったが、頬は削げており、病のあとをうかがわせた。

兼実と従者有安は、その様子を物陰に潜んでじっと見ていた。
「なんだ、元気そうではないか」
「いえ、妙音院殿は顔は笑っておりますが、顔色が大分悪うございます」
「そうか……」
兼実はふと寂しげな表情をした。
だが次の瞬間、意を決したように有安に向かって声をかけた。
「有安、宝物庫の中に入るぞ」
「宝物庫、ですか、なんでまた」
「鈍い奴だな。妙音院がまだ燃やしていない自筆の教本をいただいてくるのだ」
「そ、それは……。恐れ入りますが、盗人の真似事を殿はされるので……?」
「だってそうでもしなければあやつの自筆の教本を守れないであろう」
「今からでも止めに入れば」
「あやつが私のいうことを素直に聞くたまか」
「……殿は、妙音院殿の楽の音が本当に好きで、それをお守りしたいのですね」
有安が微笑む。
「ば、馬鹿を言え」
兼実が顔を赤くする。
「私はただ、後世の人間があやつの楽の音を聞けなくなくなるのを残念に思うだけだ。私は後世の人間のことを考えて行動しようとしているのだ。別にあやつ自身のためではない」
「はいはい、わかりましたよ」
有安はにんまりとする。
それが癇に障ったのか、兼実は
「急ぐぞ」
とぶっきらぼうに有安に言った。

妙音堂の奥に入り、宝物庫で楽譜や教本などを物色する。
その中には、「三五要録」もあった。

「あやどの、奥で音がしなかったか?」
「そうですか? 私には聞こえませんでした」

妙音堂に仕える侍女の中には兼実を見つけた者もいたが、空恐ろしくてとても公言できなかったという。


*****
有安という従者の名前はここからとりました~。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/toyoongakukenkyu1936/1989/53/1989_53_43/_pdf
↑ほとんど読んでないんですけどね(苦笑)。
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2015-04-10

歴史小説「忠通死去」

長寛二年(1164年)。

藤原忠通は出家の身でありながら、家女房の五条とさかんに情交をかわしていた。
忠通は六十七歳であったが、老いてなお情欲が衰えることはなかった。
局の内に、五条の喘ぎ声が響き渡る。
五条はつつましやかな性格でありながら性的には放埓で、同衾の際には忠通の思いのままに乱れるのであった。
「殿の精力には本当に驚かされますわ。わたくし、とてもついていけません……」
控えめな様子で五条が囁く。
情事の名残で頬が赤く染まっていて、何とも言えない色気があった。
忠通はそれに気分を良くして、五条をかき寄せる。
「そうかね?」
「ええ、ほんとうに」
五条のうっとりとした声。
忠通は喜悦した。
束の間自分が若返った気さえした。


このような時間さえ持てれば、もうそれでいい。
他には何もいらない。
ここまでの境地に至るまでに、どれぐらいの年月を擁したことだろう。
忠通は保元の乱の勝者ではあったが、その勝利の味は苦かった。
保元の乱で忠通が敵対したのは、嫡女聖子の夫君である讃岐院、そして自身の異母弟頼長である。

その上、乱後は氏の長者の任命権など、多くの権利が朝廷に奪われた。
地位の保全こそかなったものの、一体自分はなんのために戦ったのか、と思わされるような結果だった。

保元の乱の二年後には、後の平治の乱の首謀者信頼に無礼を働かれもした。
賀茂祭使の行列を見物していたところを信頼が横切ったので、私はそれを咎めた。
そして血気盛んな下使いの者が、信頼の車を破却した。
非があるのは信頼の方であるにもかかわらず、信頼を寵愛する院は私の家司に処分を下した。
院は保元の乱で奉った、かつての帝だった。
私は何という人を帝に推挙してしまったのか、と悔やんだが、後の祭りであった。


しかも、あろうことか、その信頼の妹を息子の妻にしなくてはならなかった。
摂関家の莫大な荘園を守るためには、どうしても武力が必要だった。
摂関家が保持していた武力、為義をはじめとする郎党は保元の乱で壊滅させられていた。
摂関家は丸腰の状態だったのだ。
そこで武力を保持する信頼の力が必要になった。
私はあの男に頭を下げねばならなかった……!
なんという屈辱。

それでも家のため、と思って耐えたというのに、それから間もなくして信頼は平治の乱を起こした。
あのあさましい兵乱を起こしたのが、息子の義理の兄だとは。
本当に、考えたくもない。


「殿……?」
暗い顔で思案していた忠通に気づいた五条が、声をかける。
「ああ、すまぬ。少し考え事をしていた」
「もう下がらせていただいてもよろしいですか?」
五条が言う。
もう少し名残を惜しんでもいいだろうに、これだから若い女房は、と思わないこともなかったが、忠通は
「ああ、下がりなさい」
とだけ口にした。


数刻後、忠通はそういえば今日は五条の兄が訪ねてくるんだったな、と思い出した。
どれ、挨拶でも、と五条の局を覗こうとした時だった。
別の女房から声をかけられた。
「あっ殿……」
「なんだ?」
「あの、五条は体調が良くなくて……」
「そんなはずがなかろう。さっきまで一緒だったのだ」
「いえ、その……」
歯切れの悪い受け答えの女房。
それに構わず、忠通は五条の局の前に立った。

聞こえてきたのは、女の喘ぎ声と、男の忍び笑いだった。
忠通は耳を澄ませる。
するとこんな会話が聞こえてきた。
「ほんっとうに嫌になっちゃうわ。あの爺、とっととくたばってくれないかしら」
この声は、五条か?
忠通は思案する。
「仮にもご主人様だろ? 相変わらず口が悪いなあ、お前は」
「だって嫌なものは嫌なんだもの。やっぱり私は若い男がいいの。あんなぶよぶよした手とたるんだ肌の持ち主に、本当は身体を触られたくないのよ。怖気がするわ」
男は笑って答えない。
「第一、私が口でしてあげないと、あの人勃たないのよ」
「そうなのか?」
「そうよ。なのに情欲だけは人並みかそれ以上にあって。私の身体を舐めまわすのよ。年寄くさいったら」
「それはそれは。可哀想なこったな」
「その上嫉妬深くて、私に男を通わせることもさせなくて。会えるのは異母兄のあんただけなのよ。おかしくなりそうだったわ」
「まあ俺はいいけどね。お前という女を知る機会が持てたことだし」
「あの耄碌爺に抱かれた後は、口直しがしたくてたまらなくなるの。さっ、もう一度私を抱いて。もっと慰めて」
「お前は本当に淫乱だなあ」
「まあね」
女は小さく笑った。
「よくそれでこんな大きなお屋敷の女房が務まってると思うよ」
「私は猫かぶりは得意だもの。それにあの爺さん、鈍感だからね。あんたとの仲だって屋敷の人間はみんな気付いてるのに、あの人だけが知らないのよ。ほんとおめでたい人よね」
「先の関白ともあろう人が。俺はああはなりたくないね」
男がそう言うと、女も笑った。

忠通はまさか、そんな、と青ざめた。
それでも気を持ち直して局内に押し入り、即刻二人を追い出した。

だが忠通の落ち込みはすさまじく、何日も寝付いた揚句、ついに帰らぬ人となった。

先の関白、藤原忠通。
政敵ともいえる間柄にあった頼長や信西と比べると、その死はあまりにもあっけなさ過ぎた。



*****
忠通ファンの人、ホントすみません(;・∀・)
でも愛人の密会現場に居合わせて~、ってのは史実です。
角田文衛氏の「平安の春」に載っているのですが、「出典が明らかでなかった気がするし、実は史実じゃないのかもなー」と思っていたら、ばっちり明月記に書かれていた模様です。
明月記に書いてあるという出典情報はwikiですけど。

父親の忠実は播磨という妾にこんなことはされなかったよなー、やっぱり二人の人徳の違いかね?と思っていた時期もあるのですが、忠実もなんというかあれな人なので。
記録に残ってないだけかもしれませんし、忠通の場合は若い女房に手を出したのが運のつきなのかなーと思ったりします。
わかりませんけどね。
ただの想像です。
播磨は祇園女御に仕えていたということで、年齢的にはそんなに若くなかったのでしょうし。


最後の一文を書きたいがためにこのショートショートを書いてしまいました。
別になくてもよかったのですが、「信西最期」を書くなら、バランスをとるために忠通と頼長も書きたい!と思いまして。


追記:
忠通さんは十年近く前の初期の設定では「稀代の策謀家」でした。
でも文献を読んでいくうちに、そんな大したもんじゃないのかもなーとなりました。
なんというか典型的な木を見て森を見ず、な小粒な政治家ですね~。

よければこちらもご参照ください。
読みにくいかもしれませんが(汗)。
http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-40.html
2015-04-08

思いつきホロスコープ診断25

源頼朝のホロスコープを診断してみます。

久安3年4月8日、尾張国熱田生まれ
西暦(ユリウス暦)に直すと1147年5月9日、名古屋市熱田区生まれ
出生時間は不明なので12時で設定。

牡牛座の第二旬の太陽。
実際的な感覚と不屈の活動力の持ち主です。この生まれの人は、決定は遅いですが一度決意が固まると堅忍不抜の意思力をもって物事を推進していきます。用心深くはありますが人に信用されればよく責任感を果たし、途中で立場を放棄することもありません。その手腕は堅実で安定性があり、人の信頼に足るものを備えています。
第二旬の太陽。金星に加えて水星の影響を受けます。親しみやすい好感の持てる人物ですが、水星の否定的な部分が現れると、人の心を読み取る狡猾さが現れ、移り気で子供っぽい自惚ればかりが強い人となりがちです。

獅子座の月。
誇り高く高尚な性格です。生来人の上に立つ器量があり、頼まれると面倒なことでも引き受けて世話をします。自分の存在を強く意識しているので、称賛されることが好きです。しかし、ときには尊大で横柄な面が現れます。教養のあるなしを問わず大きな包容力の持ち主で、人の情愛には最大の反応を示します。

太陽・水星・土星・冥王星が主に牡牛座で合(ステリウムを形成)。
意志・知性・忍耐力・刷新性が互いに強く影響しあい、その力は甚大なものに。
水星以外は牡牛座なことから、この力は慎重に発揮されたと思われます。
地の星座ということで、強力なカリスマ性の持ち主だったのではないでしょうか。

これに海王星がオポジション(180度)で不調和。
四惑星のステリウムの効果に、ロマンが邪魔をするでしょう。

太陽・月・海王星が月を中心にT-スクエア。
意志・感情・夢想性との間に不調和が生じやすいでしょう。

月・火星・天王星が火星を中心に小三角。
情熱・感情・改革性は上手く働きます。
特に火星と天王星のトラインは大胆で決断力に富み、自由と独立を強く求める性格です。革新的な着想と独自の発明的想像力を持ちます。偉大な建設的エネルギーがあり、予期せぬ方法によって目的を成就します。

火星と木星がトライン(120度)。
積極的な人生観を持ち、寛大で勇壮熱烈な性格です。男性的エネルギーが強く、偉大で強力な想像力を持ちます。集団を指導統率する能力とともに規律に対する忠誠心があり、冒険的行為から名誉をえます。

まとめ。
太陽と月がイメージのまんまです。
忍耐強い牡牛座のイメージと、生まれながらの王者といっても過言ではない誇り高さ(獅子座の月より)。
火星と木星のトラインの「集団を指導統率する能力とともに規律に対する忠誠心があり、冒険的行為から名誉をえます。」も確かにな~。となりました。
半面現実主義者で、ロマンチックなことは不得手。
四元素や三区分のバランスは悪くないのですが、地の星座のパワーが群を抜いており、そこに比重がいきがちだったのは否めないかも。
改革者としてみると、天王星が月と火星との小三角でわりと有利に働いたのかな、と思います。
「火星と天王星のトラインは大胆で決断力に富み、自由と独立を強く求める性格です」にも頷けるものがありますね。
2015-04-02

歴史小説「歌の縁(えにし)」

「鵜飼船1」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-164.html
「鵜飼船2」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-165.html
「鵜飼船3」http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-167.html
の続き。

登場人物は聖子と九条兼実・良経です。

みすぼらしい印象を与える女性(ひと)だった。
新院の寵愛を一身に受けているというその女性を見て、聖子はこんな風に感じた。
兵衛介局。
私が生めなかった、新院の皇子を生んだ女。

寵姫ならば、もっと派手な装いをしてもいいのに。
生まれながらの后がねである聖子は、こんな風に考える。
あれでは新院自身の「格」さえ引き下げかねない。
聞けば新院の寵愛を受けていてもなお、彼の局は一介の女房として振る舞っているという。
謙虚なところのある新院は、そこにまた惹かれるのだろうか。

新院は、今も変わらず私の元を訪ねて来てくれる。
ときには贈り物を携えて。
情愛細やかに、言葉をかけても下さる。
けれど、以前のようなおおらかさ、朗らかさは感じられない。
関係性に円熟味が増した、とでもいえば聞こえはいいかもしれない。
でも、私は以前の関係の方が好きだった。
兄が妹を慈しむのに似た、一本気だったあの方の愛情。
この世には自分たち二人だけしかいない、という意識の共有。
後宮に妃は私だけ、という状況がなし得たことだといえるけれども、それがかなったのは、ひとえに新院が私を愛してくれていたからだ、と思う。
それすらも疑いたくはない。

私たちの関係が変わってしまったのは、今の帝、躰仁を養い子として迎えてからだった。
なかなか皇子を産めないでいる私に、父が業を煮やして、新院の父親である一院の皇子躰仁を私たちの養子にせよ、と言ったのだ。
それは父の謀(はかりごと)の一環であったらしく、間もなく新院は帝の位を下ろされた。
実権も握れぬまま。
私が躰人の養育にかまけている間に、新院はあの女房に心を移し、間もなく皇子が生まれた。
私は皇子を生んだのが自分ではなかったことが悔しかったし、新院の心変りが悲しかった。
ある日御所を訪れた新院に、恨み言を吐いたこともある。
「私が何をしたというのですか」
すると新院はこう言った。
「何もしてはいない、ただ、気付かなかっただけだ」
と。
私にはわからなかった。
ーー私にはわからなかったこと、気付かなかったことが、あの内裏女房にはわかるというの?--
私は驚いたし、はっきり言って心外だった。
私の方が、新院と一緒にいた時間は長いのに、と。
新院の、
「ただ、私の悲しみに寄り添うてくれる」
という、あの言葉。
あの言葉の意味が、私は今になってもわからない。


数年後。

やがて保元の乱が起こり、新院は讃岐へと配流された。
兵衛介局というあの女房がお供をすると聞かされたとき、私の心が疼いたのは、嫉妬からだったのだろうか、悔しさからだったのだろうか。
けれど私は、自分も新院と共に行きます、とは言えなかった。
それが聞き入れられないことは、はじめからわかっていたから。
私はいったいいつから、諦めというものを覚えてしまったのだろう。


保元の乱から二十三年後。

聖子は異母弟兼実を猶子とし、その後見を受けていた。
「皇嘉門院さま。息子の良経です。先日元服を済ませました」
兼実が、まだ稚い少年の手を引いて、聖子のもとにやって来た。
「まあこの子が。そなたに似て、賢そうなこと」
聖子の頬が自然と緩む。
聖子は子供が好きだった。
「良経と言いましたね。あなたは何が好きなの? この尼とお遊びをしましょう」
「僕は、和歌が好きです!」
「そう、大人びているのね」
聖子は驚いた。
この年頃なら、まだ子供じみた遊びの方を好んでいると思ったのだ。
「この子は幼いながらも風流なところがあって。馬や狩りなどには目もくれず、よく勉強しますし、和歌や漢詩をもよく詠むのです」
兼実が口を挟む。
「そう。勉強家さんなのね」
聖子はころころと笑いながら
「作った和歌を、一つお披露目してくれないかしら」
と続けた。
「先日は、こんな和歌を作りました」
良経が答える。
「さびしきはいつもながめのものなれど雲まの峰の雪の明けぼの」
「まあ、立派な歌だこと」
聖子は大仰に驚いてみせた。
良経は少し照れた様子で、鼻の上を少し赤くしている。
「この歌は、讃岐院さまの、『夜をこめて谷の戸ぼそに風さむみかねてぞしるき峰の初雪』という和歌から着想を得たのです。讃岐院さまの歌が、僕は大好きです」
「これっ」
兼実が慌てて良経の頭を下げさせた。
「申し訳ありません。この子にはよく言って聞かせますから」
「いいのよ」
讃岐院ーー新院ーーの名を聖子の前で出すのは禁忌だった。
聖子がそれを命じたわけではない。
ただ、周囲の人間が聖子を気遣って誰もその名を口にしなくなったのだ。
聖子はなんとなく懐かしくなって、良経にこう聞いてみた。
「讃岐院の和歌の、どんなところが好きなのかしら」
「院の和歌は、気品があって、繊細で。おおらかなようでいて、鴛鴦(おし)や鵜飼に思いを馳せられる優しさもあって。僕はそういうところが、大好きです!」
「そう……」
「きっと、讃岐院自身がそういうお人なのでしょうね」
屈託のない良経の言葉。
ーーやめてーー
「……皇嘉門院、さま?」
良経が聖子の顔を覗き込むようにして顔を上げる。
すると、聖子はその場で泣き崩れてしまった。
「皇嘉門院さま!?」
兼実が慌てて聖子のもとに駆け寄る。
ーーやめて。それは私が一番よく知ってる。私の中の新院を、揺り動かさないでーー

ひとしきり泣いた後、おろおろしている二人に向かい、聖子は笑顔を作ってこう言った。
「ごめんなさい。取り乱してしまって」
「申し訳ありません」
兼実が頭を下げる。
「謝ることはないわ」
聖子は兼実を見、次に良経の方を見て声をかけた。
「讃岐院のことを、そんな風に言ってくれてありがとう。讃岐院は、本当にその通りの人でしたよ」
うっすらと、微笑んで見せる。

そういえば、こんなこともあった。
聖子は束の間むかしに思いを馳せた。
新院が在位中に行われた歌合で、新院自らが、こう詠まれたのだ。
「ひさかたの天の香具山いづる日もわが方にこそひかりさすらめ」
(香具山から出る日の光も我が方にこそさすでしょう。ー帝もわが方にお味方して下さるようですよー)
中宮である私方の女房と、帝(近衛天皇)方の女房とを競わせた歌合せだった。
新院は帝方の女房に代わって、この歌を詠んだのだ。
詞花集の中に入っていたこの歌を、その後精選の段階で新院は排除された。
鳥羽の院や帝に対して異心ありと、そう思われないために。
当時の私は気づかなかった。
ただ、もったいないこと、などと思っていた。

あの方は、政治的にはいつも戦っていらした。
負け通しだったけれども。
私はそれに気付かず、支えることもせず、風流を好んだ表面的な部分だけを見ていたのだ。
それに気づいたときには、もう手遅れで。
なにもかも、終っていて。
だから私は、いつしか新院について考えることをやめていた。
逃げていたのかもしれない。

聖子は自分を囲んでいる親子二人を見つめた。
人の心に寄り添うというのが、どういうことを指すのか。
私にはやはりよくわからない。
でも、この子たちを見守ることなら出来る。
大事なことを思い出させてくれたこの子を、この子の父親を、これからはゆっくり見守っていこう。
それがきっと、この世に残された私の償いの術(すべ)なのだ。
聖子は自分にそう言い聞かせた。


   参考文献
金葉和歌集・詞花和歌集 1989 川村晃生・柏木由夫・工藤重矩(校注) 岩波書店

   参考サイト
千人万首様
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin.html

   参考記事
「崇徳院 - みづぐきの あとばかりして」
http://kunstlied.blog23.fc2.com/blog-entry-414.html


   文中で出て来た鴛鴦と鵜飼は、崇徳院作のこの和歌からとりました。

早瀬川みをさかのぼる鵜かひ舟まづこの世にもいかが苦しき
(急流の川の水脈をさかのぼる鵜飼船――殺生戒による来世の報いばかりでなく、それに先立ってまず現世でもどれほど難渋することだろう。)

このごろの鴛鴦(をし)のうき寝ぞあはれなる上毛うはげの霜よ下のこほりよ
(今頃の季節の鴛鴦の浮寝こそは哀れである。上毛に降りた霜よ、下の水面に張った氷よ。)  

聖子と兵衛介局についてはここでも書き散らしました。
「鵜飼舟」参考文献
http://shionnoidashiginu.blog.fc2.com/blog-entry-168.html
プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
note、「小説家になろう」サイトにも投稿しています。

このブログ内の文章の無断転載等はおやめ下さい。

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お手数おかけしますm(_ _)m

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