FC2ブログ
2018-04-30

今鏡マンスリー「九条兼実」

廣田さんにささぐ

その日、故藤原忠実の邸を訪れていた藤原兼実は、優雅な琵琶の音色に惹かれて足を止めた。
琵琶の音は上品でありながら哀切で、人々の心に訴えかけるものがあった。
邸中の人間が聞き入っているようにも感じられた。

ーーこんな時間に、一体誰が。新入りの女房だろうかーー
兼実は不思議に思った。
この日は兼実の祖父忠実の月命日だった。
ーー祖父の死を悼んでくれているのだろうか。だとしたら、ありがたいことだーー
忠実は兼実が物心ついた頃から知足院に幽閉されていて、死の折になってようやく幽閉を解かれたという人物であった。
たいした祖父孝行の出来なかった兼実には、女房の心遣いがありがたかった。
その日は夜も遅かったので何もせずに帰ったが、後日何かを差し入れさせようと兼実は考えた。

何日か後にまた邸を訪れると、琵琶の音色が聞こえた。
先日の琵琶と同じ弾き手だろう。
伸びやかでいながらきめ細やかな撥(ばき)捌き。
甘さを抑えた切ない音色。
辛酸を嘗めでもしたのだろうか、実に説得力のある音の奏で方。
兼実はまたも聴き入ってしまった。

兼実は邸の下男に尋ねた。
「最近、邸で何か変わったことはないか?」
「前(さき)の左大臣藤原頼長様の子息、師長様が帰京されました。内大臣(兼実)さまにはいとこにあたられます」
「師長殿が。ほう」
兼実はそうは口にしたものの、師長のことはよく知らなかった。
こちらも兼実が物心がついたときには、保元の乱に連座して配流されていたからである。
ーーあの琵琶の音は、師長殿の女房の一人か。いや、もしかしたら妻の一人かもしれぬ。あの高貴な琵琶の音色からすればーー
「あの美しい琵琶の弾き手に、何かを贈りたいものだ。何が良いかな」
兼実はぶつぶつと独り言を言い始めた。
「何が良いか、私が聞いておきましょうか?」
下男が気をまわして言う。
「いや、いい。私が考えて、直接贈りたい」
「そうですか」
忠実の代から邸に仕えている下男は、顔をほころばせた。

次の日、下男は師長の元に行った。
「本人からは口止めされているのですが、兼実様は師長様に贈り物がしたいと考えているそうですよ」
「贈り物? 私に? なんでまた」
師長が不思議そうな顔をする。
「琵琶の音色に惹きつけられたとのことでした。孫同士が仲良くされますと、亡き殿下(忠実)もあの世で喜ばれることでしょうなあ」
師長は思案する。
ーーははあ。兼実殿は、琵琶の音の弾き手を私の妻か何かと勘違いしているな。ここは一つ、からかってやろうーー
「ちょっと頼まれてくれないか?」
「はい、なんでしょうか」
「兼実殿には内密でお願いしたのだが……」
師長が下男にそっと耳打ちする。

数日後、師長は邸の蔀近くで琵琶を弾いていた。
几帳の横から女物の袴を見えるようにおいて。
琵琶の音に呼ばれるかのようにして、兼実がその場に姿を現した。
「美しい音色に、すっかり聴き入ってしまいました。亡き左大臣様の子息・師長殿の奥方とお見受けいたします。どうかこれを受け取ってはくれませんか。ほんの気持ちです」
兼実はそう言って、螺鈿の筥(はこ)を取り出した。
女物の袴の近くにそれを置く。
兼実は緊張した面持ちである。
師長が撥をそっと地面に置く。
几帳を師長が取り払う。
「内大臣殿も、すみにおけませんなあ。実は人妻がお好きでいらっしゃるんですか?」
兼実は青ざめた。
「いえ、これはその……。私はそういうつもりでこれを贈ったのではないのです。ただ、美しい琵琶の音色を聞かせていただいたお礼がしたいと。まさか夫君に見つかってしまうとは。いや、これは口が滑った。ほ、本当に誤解しないでください」
「鈍い方だなあ。琵琶の弾き手は私の奥方なんかじゃありません。琵琶を弾いていたのは、私ですよ。わ・た・し」
そういって女物の空の袴を指さした。
「えっ?」
兼実はしばらく混乱していたようすだったが、しばらくしてからようやく事態が飲み込めたらしい。
今度は顔を真っ赤にして、怒りをあらわにした。
「どうしてこんなことをしたんですか?」
「内大臣殿ともっと親密になりたいと思いまして。ねえ、いとこ殿?」
師長がからかうように言う。
ーーこ、こいつ。とんだ食わせ物じゃないかーー
内大臣といえどまだ十五才の兼実は、うまい返しも思いつかない。
「今日は失礼します!」
兼実が帰った後で、師長は思わずぷっと吹き出した。
ーーあんな子供が、内大臣か。乱世だなあーー
そんな師長を、下男ははらはらしながら見つめていた。
「兼実様は内大臣ですよ。こんな子供じみたいたずらをして。出世に響きますよ」
「私は子供のご機嫌を取るほど落ちぶれてはいないし、そんなにやわではないよ。なんとかしてのし上がってみせるさ」
「そうですか。私としては、御いとこ同士仲良くしていただきたいんですけどねえ。あの世にいらっしゃる大殿(忠実)もそれを望んでいると思いますし」
「お前の気持ちもわかるけれど、それは難しいと思うよ。いままでの経緯が経緯なだけにね」
「そうですか……」
「まあ、お前までだまして悪かったよ。お詫びに飯でもごちそうしよう」
「大変ありがたいのですが、私には妻の作るご飯が一番のごちそうですので。お気持ちだけ受け取っておきます」
下男は一礼して去って行った。
「つれないなあ」
師長が呟く。
「妻か。私も考えねばならんなあ」
師長はそう言うと、琵琶や袴を邸の女房に片付けさせた。

兼実は自邸に帰った後で、日記に師長の悪口を思うさまに書き付けた。
そして執念深く、根に持つ性格のこの男は、この後もことあるごとに師長を意識し、隙あらばこの日の仕返しをしようと考えを巡らせるのであった。
スポンサーサイト



プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
note、「小説家になろう」サイトにも投稿しています。

このブログ内の文章の無断転載等はおやめ下さい。

コメント本文にURLを記載したい場合は、URLかメールアドレスのところにでも張って、その旨をお書きください(スパムコメント防止のため)。
お手数おかけしますm(_ _)m

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンター