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2018-05-28

東大寺大仏開眼の一場面

RIQ.Sさんにささぐ

文治元年(1185年)、八月。
東大寺において、大仏開眼供養が行われようとしていた。
未だ源平合戦後の混乱の残るなかで。

平家は西海において泡と消え、京は活気を取り戻した。
だが、それも束の間に、都は大地震に見舞われた。
それが先月七月のことである。

公卿たちの中には、なぜこんなときに、と口にする者も多かった。
いや、公卿たちの大勢(たいぜい)は、内心では多かれ少なかれそう思っていた。
それでも大きな声で反対意見を述べることは憚られた。
この大仏開眼供養に並々ならぬ熱意を燃やしていた人物が、他ならぬ治天の君、法皇だったからである。


法皇とその異母妹、八条院はそろって南都に赴いた。
二人が登場する頃には、東大寺の周辺はすでに人で埋めつくされていた。
老若男女、貴賤の者、果ては乞食に至るまで、都中の京雀(きょうすずめ)が集まったかのようだった。
法皇は御簾の中で、そのようすを嬉々として見物している。
「金毘羅丸ではないか!」
京雀たちの中に、見知った顔を見つけたとみえる。
「もう幼名で呼ばないでください!」
法皇に声をかけられた教成は、不機嫌そうな顔をした。
「おお、そうであったな。悪かった、悪かった」
そう言いつつも法皇は悪びれた様子もない。
「またこんなに御簾の隙間を広げて。聴衆から見えてしまうではありませんか」
教成が小言をいう。
教成はまだ八歳。
元服を済ませたとはいえ、幼名で呼ぶなという方が無理があるだろう。
「今日はどうした? 丹後は?」
法皇は教成の小言をさらりと流す。
「お忍びで供養を見に行きたいというので、私もついて来ました。見つかったりしたら危ないですから」 
「そうか。いやあお前も母を守るいっぱしの男になったのだなあ」
感慨深げに法皇は言う。
「ですから、もう子供扱いはしないでください」
「うんうん」
教成の言っていることをわかっているのかいないのか、法皇はただしみじみとしている。
そのとき、周りの雑踏に紛れて、こんな声が聞かれた。
「いやあ、こうして都に平和が戻ったのも、東の大将軍源頼朝さまのおかげだよなあ」
話しているのは屈強そうな身体をした男と、その恋人らしき女のようである。
「そうねえ。平家を都から追い出してくれたし、狼藉者の義仲もやっつけてくれたし、ほんと頼朝様さまさまよね」
「それにひきかえ朝廷ときたら。令旨を出したと思ったらひっこめたり、全く節操ってもんがない。だいたい、おれら庶民のことはどうでも良いと思ってるんじゃないか? あーー、頼朝さまがいっそのこと都も取り仕切ってくんねえかなあ」
「そうねえ。それもいいかもね」
女は男に向かって笑いかけた。

教成はおろおろした。
聞こえていないはずがない、これはまずい、と。
教成は法皇の方をちらりと見た。
その顔からは表情が読み取れなかった。
「金毘羅丸」
「は、はい」
「筆と墨汁を用意させよ」
「かしこまりました」
(一体何に使うのだろう。和歌でも読むのだろうか)
教成が筆と墨汁の用意が出来た頃には、儀式は始まっていた。
「金毘羅丸、遅いぞ」
「申し訳ありません」
法皇に言われて教成は頭を下げる。
「そうかしこまるな。私はお前の義父ではないか」
「そんな、滅相もございません」
「ちちうえと呼んでくれても構わぬのだぞ。幼いころのように」
「いえ、そういうわけには……」
「まあ、今はこんなことをしている場合ではない。お前もそこで見ておれ」
そういうと、法皇は大仏に自ら目を入れた。
意気揚々とした表情で。
教成の隣にいた丹後局は、両手で目を覆った。
指の隙間から、しっかり法皇の様子を見てはいたが。
「母上……。はしたないですよ」
教成がたしなめると、丹後局は舌を出して肩をすくめた。

法皇の振る舞いを見ていた者はしばらくあっけにとられていた。
だが儀式を取り仕切っていた僧侶が法皇の行為をほめたたえ、事なきを得た。
「大仏を再建したでも素晴らしいですのに、自ずから目を入れられるとは。法皇自身にも、現世にも、これ以上ない幸福が訪れることでしょう」
それを聞いた群衆は興奮しだした。
祭りのときのような熱狂だった。


それから七年後の建久三年(1192年)。
法皇は病床にいた。
「金毘羅丸か」
教成は、病み衰えた義父を前にして、立ちすくんでいた。
「怒らぬのか?」
「よ、幼名で呼ばないで下さいと、いつも言っているではありませんか」
それを言う声はふるえていた。
「金毘羅丸。お前は母親と違って、実直さだけが取り柄の男だ。これからも、それを貫きなさい。実直なのが一番だ」
「法皇さまに言われても、説得力がありません」
「それもそうだな」
法皇は笑った。
病人とは思えないような、快活な笑いだった。
「お前の母親には、世話になった。あれは抜け目のない、したたかな女でな、」
教成が言を遮る。
「息子に聞かせるような話ですか」
「まあそういうな。私はあれのそういうところが気に入っていたのだ。私は昔から、世話を焼いてくれる女が好みでのう。手のひらの上で転がされるのが心地よくて、楽だった」
「そう、ですか」
「お前のことは帝にちゃんと頼んであるよ。宣陽門院のことも含めて、な」
「そんな、逆です。私こそが帝をお支えしたいのに」
「そうはいってもな、お前はまだ非力だ。庇護者が必要なのだ。だからこそ、実教の養子にしたりもした。上手くやれ。そして、いもうとをよくたすけてやってくれ」
「はい、心得ております」
宣陽門院は、法皇と丹後局の間に生まれた娘である。
教成にとっては異父妹にあたる。
「ああ、それにしてもよく生きたなあ」
「そうですね。法皇さまほど自由に、勝手気ままに生きた人を、私は他に知りません」
「制限はあったがな」
「その制限を、打ち破ろうとする強さが、法皇さまにはありました」
「打ち破れなかったことの方が多いがな」
「それでも、よくやっておられたと思います」
「なんだ、偉そうだな」
「も、申し訳ございません」
「冗談だ。本気にするな」
法皇は教成に向かって笑いかけた。
「私は、自分の閃き(ひらめき)に従って生きてきただけなんだよ」
「閃き、ですか」
「あの大仏開眼のときは、『何とかして民衆の心をつかまねば』という思いが働いた。ほんの思い付きで考えたことだったが、筆を見たとき、気が付いたら身体が動いていた」
「そうなのですか」
「後の世の人は訝しがるであろうな。まあ、それも良い」
法皇は満足そうな表情である。
「しゃべりすぎて少し疲れてしまった。今日はもう下がってくれ」
「はい」


数日後、法皇は崩御した。
諡号は「後白河」と定められた。

教成は権中納言にまで昇った。
母から所領も多く譲られた。
装束・衣紋等の有職故実を家業とした山科家の祖となったと聞く。


   参考文献
角田文衛(監修)1997 平安時代史事典 角川出版 
美川圭 2015 後白河天皇ー日本第一の大天狗ー ミネルヴァ書房

リクエストは「後白河天皇と周りの人で誰か読みたいです」とのことでした。
大仏開眼のあたりを小説にしたくてミネルヴァさんの「後白河天皇」をパラ見したら、「教成」という人物に興味が湧きました。
この人は丹後局と前夫平業房との間の子供なのですが、後白河の近習の一人なんですね。
後白河との関係はどんな感じだったのかなあと。
後白河と丹後局は年も離れていますし、その子供も孫みたいで可愛かったってことなのかなって思ったり。
けっこうお互い年も年だからいろいろあるよね、みたいにさばけてたのかなって庶民的な妄想をしたり。
しかし、いかんせんこの「教成」なる人物の資料が少なくて困りました。
平安時代史事典に載っていて助かりましたよ。
あの藤原家成の六男、藤原実教の養子になった人物です。
最初は後白河with兼実&通親にする予定でしたが、この作品はこの作品でよかったと思っています。  

ミネルヴァ書房さんの「後白河天皇」は伝記や評伝として考えるとまとまりにかけるのですが、ネタの宝庫ではあります。
再読したら新しい発見もあって楽しめました。
良かったです♪
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日々のこと、趣味について語りたいと思います。
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2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

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