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2019-10-21

内緒の進講会

高橋悠さんにささぐ

「それで中宮さま、お話というのは……?」
中宮さまから直々にお話があるというので参上したのに、中宮さまはなにも仰らない。
他の女房たちは、全員遠ざけられている。
一体何ごとだろう。
私はまだ少女の面影のある年若い中宮、藤原彰子を見つめた。

中宮さまは頬をぱっと赤らめてこう仰る。
「その……。紫式部、お前に頼みごとがあるの」
「頼みごと、でございますか」
女房に対して主(あるじ)が命令ではなく、頼みごと、とは。
ますます何ごとであろう。
「私に、漢詩を教えて欲しいの」
「漢詩ですか? 中宮さまも、今流行している漢詩遊びが気になるのですね。かしこまりました。どの漢詩にいたしましょうか。華やかで文化的な漢詩がよろしいですよね、それなら……」
「そうじゃないわ」
そこで中宮さまに言を遮られた。
「そうじゃない、と仰いますと?」
私は少し戸惑って聞き返した。
中宮さまは、普段はこのようにはっきりとはものを仰せにならない。
なにか燗に障ることを言ってしまっただろうか。
「私が教えて欲しいのは、そういう華やかな漢詩ではなくて、その……」
中宮さまは何やら恥ずかしがっていらっしゃる。
ここは女房である私が上手く察しなくは。
考えを巡らすものの、答えにはたどり着けない。
「中宮さまは、なぜ漢詩を学びたいと思われたのですか?」
順を追って聞いていこう。
「先日、主上が源氏物語を見てこう言ったでしょう。『この作者は日本の正史を読んでいるね。実に漢文の素養がありそうだ』って」
「はい、それがどうかされましたか?」
「その……。主上は漢詩がお好きでいらっしゃるわ。でも、私は漢詩を読むことが出来ない。読めるようになったとしても、私には内容が難しくて、理解は出来ないものだと思っていたわ。けれど源氏物語なら私も読める。だから……」
そうか、そういうことか。
私は合点(がてん)した。
「中宮さまは、主上に近づきたいのですね」
私は柔らかく微笑んでみせた。
中宮さまは少し不思議そうな顔をなさっている。
「私の書いた源氏物語には、たしかに漢文の影響があると思います。主上は漢文がお得意でいらっしゃいますから、それに気づかれたのでしょう。漢文は難しいものだと思われていた中宮さまも、普段自分の読んでいる物語にその素地があるのなら自分にも理解できるのではないか、と、そう思われたのですね」
「そ、そうね」
中宮さまは恥ずかしげにうつむいていらっしゃる。
上等な衣裳をまとい、何十人という女房にかしづかれている、ここ後宮の女主(おんなあるじ)。
その女主は、まだ幼さの残る年若い女性だ。
私は中宮さまをお可愛らしい、と思った。
こんな言い方は不遜だけれど、私はこの女性をみると庇護欲をそそられる。
守ってあげたいと、そう思うのだ。
「でしたら新楽符にしましょう。この作品は長恨歌で有名な白楽天の作品ですが、内容は文学とはほど遠い政治的なものとなっています。ついてこれますか? 私、学問にかけては厳しいですよ?」
冗談めかして尋ねる。
中宮さまが「はい」と頷かれる。
本当に真剣な表情だ。
私は中宮さまが愛しくさえ感じられた。
なんて純粋で、健気なのだろう。
幸せになって欲しい、と思う。
それは主人に対すると真心というよりは、娘に対して抱く愛情のようなものだ。
「では教材を準備しておきますね。都合がつくようでしたら、明日から始めましょう」
「紫式部。このことは主上や、お父さまには言わないで欲しいの」
「お父さまにも?」
「ええ、このことを知ったら、きっと父のことだから大仰にするわ。主上にもお伝えになるかもしれない」
「わかりました。内密にお教えしましょう」
私はにっこりと微笑んだ。

「進講会」はそれから二年あまりも続いた。
そのうちにそれは中宮さまのお父上や主上の耳にも入った。
お父上の道長さまは、「これで主上の気がひける」とでも思ったのだろうか、中宮さまの思っていたとおりそのことを触れ回った。
豪華な写本を作って、中宮さまに献上したりもしていた。
私はそれを知って、殿方というのはなんて無神経なことをするのだろう、と思った。
中宮さまは表面上はお喜びになっていたけれど、内心では心外なこととお思いになっていたはずだ。
私は、せめて主上には中宮さまの想いが正しく伝わって欲しいと思った。
中宮さまのひたむきな求道心の、原動力となっているもの。
その透明で純粋な真水(まみず)のような想いが、媚びや自分の気をひくためのものではないと、主上には理解してほしいと思った。


   参考文献
朧谷寿 2018 「藤原彰子ー天下第一の母ー」 ミネルヴァ書房
山本淳子 2007 「源氏物語の時代ー一条天皇と后たちの物語ー」 朝日新聞出版

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ゆきめ

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