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2019-06-04

氷の調べ5

 だが、平穏な日々はそう長くは続かなかった。
 その日は、珍しく琵琶の使い手の方から曲を弾いてきた。茅子がそれに合わせて演奏をする。
(悪くないものね。相手に合わせるというのも)
 茅子はそう思いながら琵琶を弾いた。三曲目の曲目は、「胡蝶」だった。
(これは……。父の好きだった曲だわ。父の琵琶に合わせて、私は童(わらわ)舞(まい)を踊っていた。今考えればとても下手くそだったと思うけれど、父は「上手だ、上手だ」と言ってくれて。それが嬉しくて私は飛び跳ねるように踊って……。なんて懐かしい)
 茅子は述懐する。すると、涙がしたたって弦の上にこぼれた。濁った音が出る。
(いけない、いけない)
 撥を打つ手を止めて、茅子は涙を拭く。
 そのとき、邸の対の屋の灯りが点った。
 何事、と茅子が思っていると、基明の声が聞こえた。
「琵琶の弾き手は、誰だ」
 (うそ、基明さまだったの)
 茅子は驚き、咄嗟に琵琶を隠した。
「何ごとですか」
 基明付きの女房が尋ねる。
「さっきまで、琵琶を弾いていた者を探している」
「はあ」
 女房は気のない返事をする。夜中にたたき起こされて、少し不満なのだろう。
「探すのは明日でも」
「いや、今知りたいのだ」
 基明は自分で灯りを持ち、廊下を歩きはじめた。
(こっちに、来ちゃう)
 茅子はどうすることも出来ずに、あたふたと局内を歩き始めた。
 すると、声が聞こえた。
「先生、開けてください」
 茅子はわけがわからないながらも、ええいままよ、と戸を開けた。立っていたのは、穏子だった。
「穏子さま、どうして」
「とにかく、私の局に来て下さい。ねっ」
 穏子が茅子の手を引っ張る。いつになく強い調子だった。
 穏子の局に入ると、穏子は開口一番こう言った。
「私といたことにしましょう」
「えっ?」
「お兄さまが来たら、私がそう言います。だから先生もそれに合わせて話をして下さい」
「それは、どういう」
「お兄さまに咎められたくはないでしょう?」
「そ、それはまあ」
「わかったなら私の言うとおりにして下さい。お兄さまは自分がこうと決めたら譲らないところがあって。今夜もきっと、犯人が見つかるまでずっと探すおつもりですわ」
「は、はあ」
 茅子は状況がよく飲み込めないながらも、穏子に従った。
 やがて基明が穏子の局にやって来た。
「琵琶を弾いていた者を知らないか?」
 基明が穏子に尋ねる。
「知りませんわ」
 穏子が首を振る。
「そういえば、お前に琵琶を教えている先生がいたな。その先生の局はどこだ?」
「先生なら、さっきまで私とおしゃべりをしていました。ねっ」
 穏子が茅子の方を見る。少し頬を引きつらせて。
 基明はこのときになってやっと茅子の存在に気づいたようである。
「これは失礼しました。このような無礼を働いてしまい、申し訳ありません」
 基明が茅子に対して頭を下げる。
「いいえ、そんな」
 頭を上げて下さい、と言おうとしたのを、穏子が遮った。
「本当に無礼ですわ。楽器の先生ともあろう方に対して。わかったなら早く出て行って下さい」
「あ、ああ」
 穏子が基明を追い出そうとして手を引っ張る。二人の手が触れるのを見て、なぜだか茅子の胸は痛んだ。
 基明が局を出てしばらくしてから、穏子が口を開いた。
「危ないところでしたわね」
「ありがとうございました」
 茅子が手を床について頭を下げる。
「でも、どうして?」
 顔をあげた茅子が尋ねる。聞きたいことはたくさんあったが、今はそれしか言葉が出てこない。
「私、先生とお兄さまが毎夜のごとく合奏をしているのに、気づいていたの」
「そう、でしたか」
 茅子は力なく言葉を洩らした。
「初めは気が気でなかったのよ。音楽に対してはなみなみならないこだわりを持つお兄さまに、合いの手のような合奏をさせるだなんて、って」
 穏子は少し笑っている。だが、それは決してせせら笑いの類いではない。本当にお育ちがいいのだな、と茅子はこんな場面だというのに感じいってしまった。
「でも、二人の合奏を聴いていたら本当に楽しそうで。ずっと聞いていたくなってしまって。それでお兄さまにも、先生にも相手の正体を告げずにいてしまったの。ごめんなさい」
 穏子が身体を丸めて謝る。
「穏子さま、そんな」
 茅子が慌ててそれを押しとどめる。
「先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
 茅子は穏子の目をしっかりと見て、お礼を言った。
「知らなかったとはいえ、左大臣家のご嫡男さまに伴奏をさせるなど。とんだ無礼を働いてしまいました。申し訳ありません」
 茅子が頭を下げる。
「私はその責を負って、この邸を去ろうと思います」
 自分でもびっくりするくらい、すらすらと言葉が口をついて出てきた。
(そうだ、私はこの邸を去ろう。そしてどこか、私を知らないところへ行こう。右大臣家にも戻らない。この姫さまは、幸せにならなくてはいけない)
「先生、そんな」
 穏子が視線を落とす。
「ただ、私が琵琶の弾き手だったことは誰にも告げないでいただけないでしょうか? 私はこのまま黙って邸を去りたいのです。我が儘を言っていることはわかっています。でも、どうか」
 穏子は沈黙していたが、やがて口を開いた。
「わかりました。そのようにいたします」
「ありがとうございます」
 茅子は軽く頭を下げた。
 穏子の元を離れて自身の局に戻り、茅子は荷造りをし始めた。
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ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
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2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
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