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2019-06-04

氷の調べ6

明くる日、穏子は基明の元を訪れていた。
「それで、昨日の犯人は見つかりましたの?」
「犯人?」
「昨日の夜、血相を変えて琵琶の弾き手を探していたではありませんか。私はてっきり、琵琶の主の粗相をお兄さまが怒っていらっしゃるものだとばかり」
「おかしなことを言うやつだな。あれは琵琶の弾き手が心配になって、それで大きな声を出してしまったんだよ」
「心配に? それは、どういうことですの」
「弦が濡れるような音がしたんだ。もしかして、弾き手が泣いているのではないかと、そう思ったのさ」
「……まるでお兄さまは、琵琶の弾き手に恋をしていらっしゃるようね。顔も知らない相手のことが心配、だなんて」
「恋? まあ、もしかしたらそうかもしれないな。あの琵琶に、私はどうしようもなく惹かれている。こんな気持ちは生まれて初めてだ。あの琵琶の主が私の妻だったら、こんなに幸せなことはないだろうなあ」
「……そんなことって」
 穏子が小声で言う。
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
 穏子はこわばった笑顔で基明に笑いかけ、
「失礼いたします」
 と言ってその場を去った。

 同じ日の夜、茅子が荷造りを終える頃に、穏子が局にやって来た。
「先生、今よろしいでしょうか」
「どうぞ」
 穏子が局に入ってくる。すぐに片付けられた局内に気づいたようだ。
「本当に行ってしまわれるのですね」
 か細い声で穏子が呟く。
「はい」
 茅子は頷く。茅子の決心は鈍らなさそうだ。それを見て取った穏子は、気を取り直すかのように、明るくこう提案した。
「最後に、先生の琵琶をお聴かせ願えませんか?」
 少し間があった後で、茅子は返事をした。
「はい。わかりました」
 茅子は琵琶を奏でた。この邸でのことを思い出しながら。
「本当に、素晴らしい音色」
 穏子がうっとりとした声を出す。何曲か弾いた後、穏子は
「お手水(ちようず)に行って参ります」
 と言って局を下がった。
(なんだか手が震えていたような気がするのだけれど、気のせいかしら……?)
 しばらくしてから、戸を開ける音がした。茅子が顔を上げると、そこに立っていたのは穏子ではなく、基明だった。
(えっ、どういうこと)
 茅子は混乱した。
「あなただったのですね」
 基明が、喜びを隠しきれない、といったようすで茅子に尋ねる。
「いいえ、人違いです」
 つかつかと基明は茅子の元へと行き、その場に座り込む。
 茅子が呆気にとられていると、茅子の手をとって自分の手とこすり合わせた。
「この指のすり減り方。激しい撥捌きをしている、何よりの証拠だ。私の想い人はあなたで間違いない」
「想い人、ですか」
 茅子はまだ状況を飲み込めないでいた。
「穏子に言われて気づいた。私はあなたの演奏に、恋をしていた」
「それはあくまでも、演奏に、でしょう」
「いいや、違う。あなたの音楽は、あなたそのものだ。だからあなたの演奏への恋は、あなた自身への恋でもあるんだ」
「仰っていることがよくわかりません」
 茅子は顔を背ける。基明の言葉に喜んでしまったことを、悟られないために。
「いいや、わかるはずだよ。私たちは、音楽を通してあんなにたくさんの時間を共有したじゃないか」
「それは……」
 茅子が言葉に詰まる。基明が、じっと茅子の目を見る。茅子は目がそらせない。
(全てを見透かされているかのような、透明な瞳。そうね、きっと私の方もずっと恋をしていたんだわ)
 茅子は握られていた手に、もう一方の手を重ねた。
 基明の手が茅子の頬をさする。
「愛しい人。ここは私に、全て任せて」
 基明は耳元でそうささやいて、茅子に口づけをした。
 燈台の灯りが消される。
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プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
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2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
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