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2019-06-04

氷の調べ7

 基明が、茅子を優しく押し倒す。茅子が怪我をしないように、茅子の腰を支えながら。茅子はぎこちないながらも、それに応えようとする。
 基明の唇が、茅子の肌をくすぐる。茅子は初めての共寝で緊張していたが、基明の優しい愛撫に、緊張は次第にほどけていった。
 基明は茅子の手を握り、口寄せた。
「美しい手だ」
「そんな……。傷だらけのこんな指、見ないで下さい」
「いいや、美しいよ。習練を重ねたものは、見目がどうであれ、どんなものでも美しい」
 基明の言葉に、茅子は照れて赤面してしまう。
 二人の視線が合わさった。茅子の身体に、基明が覆い被さる。
「怖がらないで。大丈夫だから」
 きつく目を閉じた茅子に、基明がささやく。その声の調子が本当に優しかったので、茅子は安心して身体を楽にすることができた。
 一連の行為を、茅子は波のようだと思った。最初はほんのさざ波だったものが、次第にとてつもなく大きな、激しい荒波となって自身の身体を打ち付ける。その波が激しくなればなるほど、基明を感じることが出来る。基明の優しさ、敬意、そして愛情を、身体の深いところで。
 波がおさまってしばらくした頃、茅子が口を開いた。
「伴奏して下さったときに使っていた楽器は鬼黒だとは思えませんでした。だから私、琵琶の弾き手が基明さまだとは気づかなくて」
「鬼黒は左大臣家に伝わる楽器だから。主に観賞用で、私は父上に言われたときにしか使わないんだ。見てくれはいいけれど、楽器の音はたいしたことがないだろう?」
「ええ、そう、ですね」
 茅子が遠慮がちに言う。
「そういえば、名前を聞いていなかったね。名は何というんだい?」
「女房名は『ひさめ』です」
「ひさめ。氷の雨と書く氷雨かい?」
「はい」
 茅子がおずおずと言うと、基明は少し笑ってこう言った。
「あなたらしい名前だ。初めてあなたの演奏を聴いたとき、なんて冷たい、厳しい演奏だ、と思ったものさ」
「そんな……」
 茅子は目を伏せる。
「あれは確か、私が熊野詣から帰った日のことだったと気がする。この邸にこんな琵琶の名手がいただろうかと、不思議でしょうがなかったよ」
「そうでしたの……」
「そういえば、聴いたことのない曲をあなたは弾いていたね。あれは秘曲?」
「そうです。『氷泉』といいます」
「氷泉。氷の泉。確かにあの演奏は湖に張っている氷のように冷たくて、鋭い調べだったね」
「はい……。でも、私はきっともう弾けません」
「なぜ?」
 基明が心底不思議そうに尋ねる。
「人の温かみを、知ってしまったから。だからあの凍てついた、氷柱(ひようちゆう)のように鋭い調べを奏でることは、きっともう出来ないのです。

 茅子が基明の目を見る。
 基明が、愛おしそうに茅子の髪をなでる。幸福なまどろみの中に、二人はいた。
「女房名ではない、あなたの本当の名は?」
「茅子、と申します」
「茅子。秋らしい名だ。秋は私の一番好きな季節だ」
「そうですか。私も季節の中では、秋が一番好きです」
「そう。なんだかうれしいな」
 基明が笑う。少年のような顔をして。
「直に秋がやって来る。秋が来て、冬が来る前には、私はあなたを妻として迎えたい」
「基明さま、そんな。こんなものの数にも入らないような女を、妻に、などと……」
「私はあなたと、あなたの音楽と共に生きたいんだ」
 基明の、真剣な目。茅子は直視することが出来ずに、目をそらしてしまった。
「周りが何というか」
「説得してみせるよ。それに、きっと穏子も応援してくれる」
「穏子さまが?」
(そういえば、穏子さまは一体どういうつもりで私と基明さまを引き合わせたのだろう)
「あの子は后がねとして、両親から厳しく育てられていてね。辛いことがあると、よく私に泣きつきにきていた。そのためか、今も兄離れが出来ていないんだな。さっきもこう言われたよ。『お兄さまの幸せが、私の幸せです。どうか幸せに、なって下さい』ってね。全く、大げさだよな」
 基明が快活に笑う。
「今夜の交代劇は、穏子さまが提案されたのですか?」
「? そうだよ。だって私は琵琶の使い手の正体があなただとは知らなかったんだから」
「そう、ですか」
 茅子はそれっきりなにも言わなかった。ただずっと基明の肩に寄り添っていた。
 しばらくしてから、基明が言葉を発した。
「あれ、もう眠ってしまったのかな。大人びているけれども、まだ子どもなんだな」
 そう言って、基明は大きな手で茅子の頭をなでた。満足げな笑みと共に。

 翌朝、基明が目覚めると、そこに茅子の姿はなかった。
 基明が茅子の名を呼ぶ。だが、呼びかけの声は局内に空しく響き渡るばかり。基明は途方に暮れた。
 邸の者総出で探したが、茅子は見つからなかった。
 
 茅子は琵琶だけを持って左大臣家を出、そのまま消息を絶った。
 右大臣家にも戻らなかったという。

参考文献
岸辺成雄・池田弥三郎・郡司正勝(監)1990 日本の伝統音楽Ⅰ総論篇 筑摩書房
角田文衛(監)2012 平安時代史事典(上)(下) 角川学芸出版

参考サイト
雅楽 GAGAKU|文化デジタルライブラリー
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc22/index.html6

*****

ちなみにウェブコバルトには今回の賞の選評なども載っていました。
その中に
「『はじめての夜というより“最後の夜”じゃないか?』と思えるものがあったり」
という一文があり、この作品がそうかも、とも思いました(^_^;

選評のページ→http://cobalt.shueisha.co.jp/contents/first_night_result
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ゆきめ

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