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2019-06-04

氷の調べ4

その日の深更、茅子は久しぶりに琵琶を奏でた。荒々しい弾き方だ。 気が立っているのかもしれない。
(穏子さまの実の兄への恋慕は、穏子さまの欠点ということになろう。お伝えすれば、右大臣さまはお喜びになるに違いない。でも……)
 茅子は迷っていた。
(穏子さまの、あの痛々しい表情。今まで自分に見せていた、曇り気の全くない笑顔とは対照的な……。そうあんな笑顔、私は向けられたことがなかった。笑顔だけじゃない。右大臣家の人々からは優しくしてもらったことさえ、なかった。両親以外の人に、こんなに良くしてもらったのは初めてだわ。それなのに、私はその穏子さまを裏切るの? そんなことをして、許されるの?)
 自問自答を繰り返しながら、茅子は琵琶を奏でる。すると、どこからか琵琶の音がした。茅子の音色に折り重なるように、その琵琶は音を奏でる。きらきらしい音色。それでいてどっしりとした、全てを受け止めてくれるような、重々しい音調。
(この音は、以前私に合わせて弾いてくれた、あの琵琶だわ)
 その琵琶は優しく、いたわるように茅子の音との距離を詰める。茅子の荒い弾き方を諭すかのように。
(暖かいなにかで、包み込まれているような心地。どこか懐かしいような……)
 茅子は演奏を続けた。演奏が終わる頃には、茅子の荒んだ気持ちはだいぶ和らいでいた。
(ありがとう。お礼を言うのは、これで二度目ね)
 茅子は琵琶の主に小さく礼をして、琵琶を引っ込めた。

 茅子はそれからも、深更になってから琵琶を弾いた。するとあのときの琵琶が、茅子に合わせて音を奏でてくれた。茅子にはそれがうれしかった。
(この邸の人間という他は、名前もなにもわからない琵琶の使い手。でも、この琵琶の使い手だけには、私は全てを委ねられる気がする。それはなんと、幸せなことだろう)
 茅子が弦を小さく弾く。琵琶の使い手が些細な失敗をしたので、それを咎めたのだ。琵琶の使い手は、それに反応して、少し大きな音を出す。失敗を、ごまかすかのように。それがおかしくて、茅子は少し笑ってしまった。
 合奏をしている間は、茅子は右大臣のことも、穏子のことも忘れることが出来た。
 茅子は右大臣にまだ穏子のことを報告していなかった。あたりさわりのない文を送って、のらりくらりと追求をかわしていたのだ。
2019-06-04

氷の調べ3

 左大臣家で働きだして一か月が経とうという頃。
 穏子の兄基明が熊野詣から帰ってきた。
 相部屋で一人琵琶をかき鳴らした次の日に、茅子は基明を見る機会があった。渡り廊下を歩くところを遠目で目にしたのだ。
(あれが基明さま。穏子さまとはあまり似ていないのね。美男ってほどではないかも)
 茅子は女房たちがなぜあれほど騒ぐのか、理解できなかった。
(なにか取柄でもあるのかしら。まあ、私には関係のないことだわ)
 それっきり、基明のことを考えもしなかった。

 ところが、である。
 基明のことを、いやでも意識させられる一件があった。
 左大臣が邸内で演奏会を開くといって、基明と数名の女房で合奏をさせたのだ。
 基明は琵琶を担当していた。使っていたのは先日貸してもらった、黒い煌びやかな琵琶だ。楽器名を鬼黒というらしい。
 基明の演奏に、茅子は衝撃を受けた。
 基明の琵琶の音色が、軽やかに、自由に音曲内を闊歩(かつぽ)する。それでいて決して独善的ではない。その証拠に、力強い撥さばきに呼応するかのように合奏そのものが盛り上がっていった。
 茅子は、幼い日に父から言われたことを思い出していた。
茅子の父親は、まだ十歳にもならない茅子に楽器を教えた。自分に猛特訓を強いる父親に反発し、茅子は「これが何の役に立つのか。音楽に習熟したからといって何を得られるというのか」というようなことを言った。すると父は困ったような苦笑いを浮かべてこう言ったのだ。
「音楽には、人と人とを結びつける力があるんだよ」
 そのときには、さっぱり意味がわからなかった。
(でも、今なら少し分かる気がするわ。この演奏の仕上がりを聴けば)
 公式の演奏にも劣らないくらいの、素晴らしい演奏だった。
(それに、音楽には人を惹きつける力もあるのね。邸の女房たちのうっとりとした顔。基明さまの人気の秘密は、これだったのね)
 
 その夜、茅子は興奮して寝付けなかった。
(あんなに素晴らしい音色、自分以外では今まで聞いたことがなかった。どうしよう。なんだか、くやしい)
 茅子は寝床からむくりと起き上がった。しまっていた琵琶を持ち出し、物音を立てないように注意しながら窓辺に座る。
(もっと、練習しないと)
 茅子は曲をかき鳴らし始めた。
 するとしばらくしてから、茅子の音に合わせて琵琶を弾く音がした。茅子が手を止める。
(誰かしら。この音は鬼黒ではないから基明さまではないだろうし……。きっと楽器好きの女房が合わせて弾いてくれているのね)
 茅子はそれ以上深くは考えず、また琵琶を弾き始めた。さっきの琵琶が、茅子の音色を追う。二つの琵琶の旋律が折り重なり、美しい調べとなる。
(誰だかわからないけれど、ありがとう。素敵な体験をさせてもらったわ)
 茅子は心の中でお礼を言い、琵琶を下げた。

 明くる日、女房頭のききょうから、茅子は「局が空いたので個室に移ってください」と告げられた。茅子はこれで思うさまに琵琶が弾ける、と喜んだ。
 茅子は相も変わらず、穏子に琵琶を教えるだけの生活を送っていた。穏子の欠点を、見つけられずにいたのだ。
(右大臣さまからは、催促の手紙がたくさんくるけれど、見つけられないものはどうしようもない)
 茅子はため息をつく。
(それに、数ヶ月も教えているとなんだか情が湧いてきてしまって。こんなに優しくて素直なお嬢さんなんだもの。できたら幸せになってほしい、と思ってしまう)
 茅子はそれでも気を取り直し、穏子を呼びに局へと向かった。練習の時間になったのだ。だが、穏子を呼んでも返事がない。
「穏子さま? もしかして、ご気分でも悪いのですか。入りますよ」
 茅子は慌てて穏子の局に入った。すると、穏子は狩衣を抱きかかえて涙ぐんでいた。ただ事ではない雰囲気だった。その場に立ちすくんでいる茅子に気づき、穏子は青ざめた。「穏子さま。その狩衣は……」
 狩衣に、見覚えがあった。基明がいつだったか着ていた狩衣だ。
「誰にも言わないで!」
 穏子が血相を変えて言う。今まで見たことのなかった表情だ。
「穏子さまは、基明さまに恋をしていらっしゃるのですか」
 茅子の声は静かだった。
 穏子はあきらめたようにこくんと頷いた。
「基明さまと穏子さまは、異母兄弟なのですか」
「いいえ。同母よ。子どもの頃から一緒だった。年頃になってから引き離されたけれど」(高貴な人の家では、きょうだいといえど男女が一緒にいるのは良くないと、離れて暮らさせるという。この家もそうなのか)
 茅子はなんと言葉をかけたら良いのかわからなかった。すると穏子が話し始めた。
「わかっているわ。許されない恋だって。でも、どうしようもないの。お兄さまが好きなの」
 穏子が頬に涙をたらす。顔が少し赤い。
「ずっと、隠してきたのに。こんな形で見つかってしまうだなんて」
 穏子はしゃっくりをあげ始めている。茅子は穏子が不憫になり、言葉をかけた。
「私は誰にもいいませんから」
「本当に?」
「本当です」
 一瞬、右大臣の顔が頭をよぎった。だが茅子は表情を変えずにさらにこう言った。
「私は穏子さまの味方です」
 茅子がぎこちない笑みを浮かべる。
「ありがとう」
 穏子に笑顔が戻った。茅子の胸は痛んだ。
2019-06-04

氷の調べ2

それからしばらくして、茅子は左大臣家に音楽の教育係として入った。
もちろん右大臣家からやって来たということは伏せてある。宮中にも出入りする、由緒の正しい楽の家から、左大臣の娘のために直々に派遣された、ということにした。
女房(にようぼう)頭(がしら)だというききょうから、邸を案内された。
「とても広いお邸でしょう。造りにも、趣向が凝らしてありますの。左大臣さまは、何事にも造詣が深くていらっしゃって。そうお思いになりませんか? ええっと、なんとお呼びすればよろしいのかしら」
「……。何とでもお好きなように」
「そうはいきませんわ」
「そうですか……。では『ひさめ』とでも」
「『ひさめ』さま。涼しげな、良い女房名ですね」
 ききょうは笑顔を絶やさない。女房頭にしては重々しさに欠けると感じたが、茅子は明るくて人が良さそうな女房だ、と思った。
「申し訳ないのですが、ひさめさまにはしばらくのあいだ大部屋に寝泊まりしていただきます。ちょうどいい局の空きがなくて。すみません」
「わかりました」
「次に姫さまに会っていただきます」
 そう言ってききょうは邸の奥へと進んでいった。見るからに高価そうな調度品の置いてある局の前で、ききょうが声をかける。
「入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
 澄んだ声の持ち主である。話し方も柔らかくて優しい。
 ききょうが一礼して局に入っていく。茅子もそれに倣う。
「左大臣さまの正妻腹の姫、穏子(やすこ)さまです」
 ききょうが恭しい態度でその場にひざまずく。それを見た茅子が、慌てて自分も跪こうとする。すると、穏子がそれを遮った。
「私にご教示くださる先生に、そんな真似はさせられません。どうか普通になさって?」
 穏子はそういってにっこりと笑った。
 茅子は育ちの良さとは、こういうことをいうのか、と思った。
「ひさめさま、よければここで一曲弾いていただけませんか? 教育係になるほどの人の腕前を、みせていただきたいのです」
 ききょうが請う。悪気はなさそうだ。
「わかりました。琵琶をとって参ります」
「琵琶ならこの局にもありますよ」
 穏子が局の一角に視線を送る。ききょうがそこから琵琶を持ってくる。煌びやかな装飾の黒い琵琶だ。
「調弦しますので、少しお待ちいただけますか」
 茅子が撥で弦を手繰る。
(音高はそう狂っていないけれど、見た目のわりには平凡な音色ね)
 調弦をし終えると、茅子は「桃李(とうり)花(か)」という曲を弾き始めた。
「まあ」
「素敵」
 ききょうと穏子がため息交じりの声を漏らす。
弾き終えると、茅子は額の汗を拭った。
「すごい! 聞き入ってしまったわ。この曲はなんという曲なの?」
 弾んだ声で穏子が茅子に聞いてきた。
(有名な曲なのに、こちらの姫さまはご存じないのね。雅楽の知識も教えなければいけないようだわ。これは少し骨が折れそう)
「桃李花といいます」
「華やかな曲ね」
「曲水(きよくすい)の宴で演奏される舞楽ですから」
「そうなのね」
 穏子は頬を上気させている。まだ演奏の余韻に浸っているようだ。 
しばらくしてから、穏子が尋ねる。
「先生は、どちらで琵琶を学ばれましたの?」
「私は両親に琵琶を習いました。二人とも、琵琶をよく弾く人でしたので」
「そう。子どもにこんなに素晴らしいものを与えられるなんて、素敵な御両親ね」
「……はい」
 茅子は亡くなった両親のことを思い出し、目を少し伏せた。
 それに気づいたのかはわからないが、この話はそこで沙汰止みになった。
 ききょうが話題を変える。他愛のない世間話だ。茅子にはそれがありがたかった。
 小一時間ほど三人で談笑した後、茅子は穏子の局から下がった。

 その次の日から、茅子は穏子につきっきりで琵琶を教えた。穏子は思いの外上達が早く、これには茅子も精が出た。
「先生、この部分は、どのように弾けばよいのですか?」
「その部分は、徐々に音量を下げていってください。終盤に差し掛かるころですから。曲の終盤を盛り上げるのには、そうした演出も必要なのです」
「わかりました」
額に汗を浮かべながら、穏子は熱心に琵琶を弾いている。
「穏子さま、少し休憩をしましょうか」
「そうですね」
穏子が顔を上げて微笑む。
淡色の花のつぼみを連想させる、可憐で清楚な微笑だった。
(この姫さまには、果たして欠点があるのかしら。絶世の美女、というほどではないけれど顔は美しい部類に入るし、性格も素直で品が良い。右大臣さまの望みは、叶えられそうにないかも……)
「先生、どうしましたの?」
「えっ?」
「なにか考え込んでいたようでしたので」
「なんでもありませんよ」
茅子は努めて冷静を装う。
「そうですか。ならいいのですけれど。てっきり私の琵琶が下手なばっかりに、具合を悪くしてしまったのかと思いまして」
穏子が屈託なく茅子に笑いかける。茅子は胸が痛んだ。
2019-06-04

氷の調べ1

集英社コバルト文庫の投稿企画「初めての夜小説賞」で「あと一息の作品」だった小説を掲載します。


 人里離れた山奥に、小さな泉がある。夜が明けると、その泉に朝日が差し込む。暗くて目立たない泉だが、光で水面が反射すると、その部分だけが美しく輝きだす。
 朝日だけではない。この泉には、夜空に瞬く星々も映る。冬になれば氷も張る。星の瞬く夜と、光が差し込む朝、そして薄氷の見られる冬。泉にしてみれば、これらはかけがえのない時間なのかもしれない。それがたとえ、一瞬で消え去ってしまう類いのものでも。

 蔀(しとみ)を開けると、生暖かい、ふわっとした風が入ってきた。
「もう、夏なのね」
 茅子(かやこ)は局の中で一人、呟く。この大部屋の局は本体、八人ほどで使っているのだが、今は茅子しかいない。なんでも、この邸の嫡男が今日熊野詣から戻るのだという。相部屋の女房たちは、それを見に行っているらしい。
「この間までは美形だという中納言の話で持ちきりだったのに、皆げんきんなこと」
 茅子はそう呟きながら、撥(ばち)に手を伸ばした。
「琵琶はいいわ。自分からは何も語らないから」
 茅子は琵琶をたぐり寄せ、調弦をし始めた。撥で琵琶の弦を一本一本弾く。
 調弦が終わったところで、茅子は琵琶の持ち方を変えた。柳(りゆう)花(か)苑(えん)という曲の一節を弾き始める。
「仙人が、花を手折って詩を詠んだときに生まれたというこの曲。一人で演奏するのも、そう悪くないわね。もちろん合奏したときの優美さ、柔らかさは、琵琶だけでまかなえるものではないけれど」
 やがて茅子は琵琶を弾くことにすっかり熱中してしまい、今度は氷(ひよう)泉(せん)という秘曲を弾き始めた。茅子の生家にしか伝わらない、門外不出の秘曲だ。
 氷泉を弾き終わる頃には相部屋の女房たちが局に戻ってきた。
 茅子は女房たちに気づかれないように、琵琶を籠の中に隠した。

 
 茅子は音楽を生業とする、下級貴族の家に生まれた。両親は茅子が幼い頃に亡くなり、それ以後は父の奉公先の右大臣家に引き取られた。茅子の両親の父母もすでに亡くなっており、頼れる親族もいなかったためだ。
 右大臣家で、茅子は下女同然に扱われた。おいてやるだけありがたいと思え、と言わんばかりの態度の右大臣家の人々に、茅子が腹を立てることはなかった。その頃にはすでに分別がついていたからだ。ここを飛び出したら、路頭にさまよって乞食のような生活をするしかないということも、茅子にはわかっていた。
 それでもどうしようもなく辛いときはある。そんなときに茅子を慰めてくれたのが、音楽だった。皆が寝静まったころに、隠れて思うさまに琵琶をかき鳴らす。茅子はそれだけを楽しみに、生きてきた。
 年端もいかない頃から両親に琵琶をたたき込まれ、その後も精進を怠らなかった茅子の腕前は、今では名人の域に達するほどだった。
 そこを見込まれたのだろうか。先日、右大臣から直々に話があった。
「左大臣家には、正妻腹の娘が一人いる。帝の后にふさわしいと、もっぱらの評判だ。お前に、左大臣家に偵察に行ってほしい。その正妻腹の娘の、音楽の教育係として」
「何を探れば良いのですか?」
「その正妻腹の娘に何か欠点がないかを探ってほしい」
 茅子は右大臣を顔をしげしげと見つめた。その目からは焦りが感じられた。
右大臣の正妻腹の子供は男子ばかり。娘もいないわけではないが劣り腹、という話だ。自分の側には入内させるのにふさわしい娘がおらず、焦燥感が募るのだろう。右大臣と左大臣は、長年にわたって宮中での地位を競い合ってきた、政敵同士だ。左大臣家の正妻腹の娘に欠点があれば、それを噂で流すなりして、入内を阻もう、という腹なのだろう。姑息だ、と茅子は思ったが、そのようなことを言えるわけもない。主の命令は絶対だ。
「承知いたしました。仰せのままに」
 茅子はそう言って深々と礼をした。
2019-06-04

「初めての夜小説賞」結果

コバルト文庫の「初めての夜小説賞」は受賞とはなりませんでした(>_<)

「あと一息の作品」に名前がありました。

また頑張ります!

プロフィール

ゆきめ

Author:ゆきめ
ブログタイトル:しおんのいだしぎぬ。

日々のこと、趣味について語りたいと思います。
心理学、西洋占星術、歴史(主に院政期)など。
よろしければおつきあいくださいませ☆

2012年11月6日ウェブリブログから移行しました。記事の上にある参照数とブログ気持ち玉はウェブリブログのときのものをそのまま載せたものです。

公募小説の投稿などは「遠野紗雪」という名前を使っています。
note、「小説家になろう」サイトにも投稿しています。

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お手数おかけしますm(_ _)m

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